24/11/24 「失点」という言葉に置き換えられてしまうその感性

minoltaSR-T101/MDROKKOR50mmF1.7

朝、起きられず。
「疲れてるんでしょ。ゆっくり寝ときな」と、Aに労われる。
Aは7時に家を出て、なんとか湖という場所まで友だちとサイクリングへ行った。テーブルの上に持ち物を記したメモがあり、その端に「37km」と書かれている。

目覚ましを無視して10時起床。セックスしている夢を見ていた。男の人はよく見るらしいが、わたしは全く見ない夢なので、なんとなく不思議な気分で目覚めた。

ぱぱっと家事を済ませて、ソイティーを淹れる。飲みながら、香川の古書店で見た、富澤大輔『平行写真』という写真集が欲しくてネットで検索していると、説明文にこんな言葉を見つけた。

「ぬくもりだの暖かさだの、そんなのは誤魔化しですよ。僕は、人生の本当の姿を描きたいんです。」
映画監督・小津安二郎氏はそんな言葉を残しています。写真/写真集という表現もその特性上、どんなドキュメントであろうと広義の「フィクション」の扉をくぐってしまいます。
しかし、決して「真実」を写せるわけではない写真/写真集というフィクションの中に入ってもなお、富澤の写真は「ただそこにある」「本当の姿」だと思わせてしまう、圧倒的なリアリティの光を放ちます。
この『平行写真』の、最初の写真の “ 前 ” にも、最後の写真の “ 後 ” にも、本から顔を上げればわたしたちの目の前には変わらない光景があるだけです。

南方書局

僕の最初の一台は父の形見だった。
その時はなんとなく父が覗いたファインダーを自分も覗くことで、寂しさを紛らわしていた気がする。
それが故に初めからあまり大した物を撮ろうという意識がなかった。ふらふら歩いては、別に何も写らなそうな中空を狙ったり、単純に動くものに反応してシャッターを切っていた。
しかし装置であるが故に条件さえ整えば必ず何か写り込むのだ。
ダイヤルを回してシャッタースピードや絞りを決めボタンを押せば、手元に収まった小さな箱の中の歯車とバネが目にも留まらぬ速さで跳ね上がる。そうするとフィルムの表面で化学反応がこれまた一瞬起きる。残るはイメージの痕跡。
こういった一連の工学、光学、化学の反応と連鎖そのものが好きだったし、なんともいえず楽しかったのだ。
しかし思い返してみるとずっと長い間、僕が撮ったものを褒めてくれたのは遠い親戚で哲学者のおじさんと、父の友達のバイオリニストのおじさんと、母だけだった。

富澤大輔


自分がなんとなく、それでいて長い間作りたいと思ってきた音楽も、正しくこういうものだった。
誰かの心を揺さぶるだとか、揺るがない信念の元にだとか、そんなことはどうでもいい。心底どうでもいい。

ソイティーを飲んだりソイコーヒーを飲んだりしながら、久々にフリーペーパーの続きを作る。A3サイズの新しいレイアウトに苦戦。亀もびっくりの速度で進んでいる。出せるのは年内あと1回だろうか。

夜は四ツ谷へ。いよいよ寒くなってきた。年の終わりが近づくと、なんとなく母が亡くなったころを想起する。そうやって、何か大切なことを心の真ん中に置き直している気がする。
電車の横揺れがひどくて酔ってしまい、駅を降りて成城石井でアップルパイを買って食べた。最近、電車の揺れで酔う。酔いと眠気がセットでやって来るのだが、それがなんとも気持ち悪い。減量とか健康だとかは、結局元気なときしか言ってられない。

ECDの『失点 in the park』と『MELTING POT』ををヤフオクで落札。コンビニでPaypayにチャージして帰る。久しぶりにCDを買った自分にちょっとワクワクしている・・・気がする。




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装丁家のmatsudaさんのミニコミ誌に漫画を載せていただきました!1冊250円で販売しております。
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