"となりの、となり。"5-さいごのあさ。
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そこから先の二日は、もうどうしようもないくらいの普通のカップルだった。
大学の時、よく行っていた美術館に久しぶりに訪れたり、飲み物とお弁当を買って海辺に行って食事をしたり。レストランに行ったりもした。宿泊先は事前の相談で、あたしの家に決まっていたから、そこからあちこちに遊びに行ったり、ゆっくり二人で自宅にいる時間もあった。
その久しぶりで大切な二日の再会の中で、少しだけ別れを告げようとしている気持ちを忘れていた時間もあった。
ついにあたしの心が動くことはなかった。のだけれど。それでも、やっぱり太紀のことが好きであることに変わりはなかった。
結局好きなのだ。それはもう、おかしくなるくらいに好き。
あなたの温度が恋しくて、何度冷蔵庫に横たわったか。
あなたの温度がなくて、何度冷たいベッドで泣いたのか。
あなたが帰ってきた日の朝は空いていたベッドの右側が、その日の夜にはそこにあなたがいて、どれだけ幸せだったか。
けれどそれでも。
あたしの心の中には、切ないくらいに別れを頑なにあきらめないあたしがいる。
好きなのに、嫌いになれないのに、嫌なことなんてほとんどないのに、太紀と別れる私なんて想像できなかった。
お互いの気持ちのバランスがちゃんとしていれば。
昨夜のあなたの耳元の甘いささやきが証明しているその気持ちがあれば、あたしはこの絆を繋ぎ続けることができると思っていた。
比較的短い、首までの髪ですらうざったくなるぐらい、もっとちゃんとその声を聞きたいと思うほどに好きなのに、それでも。
大好きな人の幸せを願わない自分じゃなかった。そしてその幸せにあたしは必要なのかな?きっとない。遠くにいて、東京に行けるわけでもない。仕事をやめられるわけでもない。
それなら。
太紀の夢の選択肢を選ぶべきだ、と思ったんだ。
けれど、この思考には、ひとつ、重要な要素が欠けていた。
ゆっくりと目を覚ます。
例の右側で安らかに寝息を立てている太紀の横顔。これだ、と思う。これが欲しかったのだ、と思う。それでも決意が消えない。というか、彼のことが好く気持ちが募れば募るほど、決意が固まっていく。余計な凝固剤だと思う反面、それでいいのだ、という頑なさにイライラする。
そんな太紀に、帰京を告げられていた日の朝が来た。
二泊三日。今日、彼は夕方の新幹線で東京に帰る。
もちろん送るけれど、どこで別れを切り出していいものかがわからない。
どこに、行こうかな。今日はまだ明確に予定を決めているわけではない。と思いながら、彼の頬に少しだけいたずらをして、起こさないようにゆっくりとベッドを抜け出して、キッチンへ行って朝食とコーヒーの準備をし始める。
メニューはトーストとサラダとちょっとしたスープ。
ちょうど卵をフライパンに落としたところでお腹に腕が回される。
「おはよう」
「……おはよう。そんなことしてると火傷しちゃうよ?」
やんわりと柔らかくハグしてくる太紀に注意を促す。
「そしたら秋桜に手当てしてもらうからへーき」
「寝ぼけてるでしょ?顔洗ってきたら?」
「寝ぼけて、る、かもね」
もしかして振りだったのかな?と思った時には腕は離れて、太紀は洗面所に向かって行った。
ばーか。新婚かよ。嬉しすぎる。
朝食を終えて、少しコーヒーブレイクを挟んで、もう彼が荷造りをしなければならない時間になった。もちろん手伝って、このまま家にいるよりは少しだけ海辺によっていこうという話を切り出すと、そう言えば今回海にきてなかったなぁ、という話になり、行くことになった。ここだ。ここで切り出すしかない。
太紀のキャリーバッグの準備ができる前に私は初日に似た格好で準備が完了していた。
そして二人で並んで家を出て、海に向かう道を歩き始める。自宅から海岸、浜辺までは30分とかからない。のんびり歩いて行こうということになったのだ。
自宅にほど近い、そ日も二日目も渡った踏切に差し掛かり、電車が来ないことを確認してあたしが渡りだすと、彼がついてこなかった。
「……どうしたの?」
「…見ていたかっただけ。今日で帰っちゃうから、僕が一番大好きな秋桜の姿。歩いてる後ろ姿好きなんだよ。並んで歩いていると見れないだろ?」
…いちいち決心を鈍らせてくる。これから一時間以内に私はあの決心を太紀に伝えなければいけないのに。全くもう。大好きじゃないかよ。
「…いこ」
「うん」
さあ、長月秋桜。
勝負だぞ。
【イメージ写真提供】