根拠、蒐集。
集める。
それ自体はさほど珍しい行為ではない。
対象を限定せずとも、収集という行為そのものは別段珍しいものではない。
例えば食玩や切手、ジャズなどのレコードは、収集趣味の対象として代表格に当てられる。
かくいう私も、なぜこんなことを語っているのかと問われれば、収集趣味を持った人間の一人だからである。
ただ、自意識過剰よろしく一つ前置きしておくと、複数あるその収集対象のうち、なかなか同じ趣味の他人の部屋にはなかなか見受けられないものであろうものが一つだけある。
これは、密かに私の自慢でもあった。
金曜日の夜。
前週、職場の飲み会で告知していた通りに、少し広めの自宅でホームパーティを開いた。
先週末に計画を立て、それからのウィークデイの仕事終わりにちまちまと準備をして料理を仕込んだ。特別に美味というわけではないが、恋人はいつつも一人暮らしをしている20代後半男子の平均値を超えている自負は少しある。自意識過剰よろしく、である。
集めるということの趣味が高じて、このホームパーティを開いている。私にとっては、人ですらその対象となっていた。これはどうしようもなく自業自得なのだが、もちろん主催の自分がもてなす側になるわけだ。リビングで料理をつつきながらの知人の話し声や笑い声が、キッチンにやんわりと届いてくるのには、子供の頃からの印象だろうか、寂しさを禁じ得ない。
そんなことを考えながらサラダをいなし、次は上げるための鶏肉に取り掛かる。丸々一羽買ってきたので、これから自ら捌かなくてはならない。丸焼きは食べづらいことこの上ないので、見た目よりも効率を重視した裁かれた丸焼きというやつだ。グリルチキン。もちろんそれを織り込み済みで買ってきて仕込んでいるのだから、文句はない。文句はないが、
緊張がある。
話は少し変わるが、集める、という遊興は、バラバラのものに対する執着とも取れるのではなだろうか、と私は考えている。この論に則れば、集められるものを作り出すのも、収集を嗜好とする者のまた別の嗜好と言える。自我の中で大切にすべき嗜好品がなぜそれであったかを考えたときに見える系譜をたどった先に、私の場合はそこに再集合や一見バラバラのものを関連付けて収集するという、新たな世界が見えてきたのだ。私はかき集め、整え、バラバラにして再度結合する。プラモや切手、トレーディングカードなんかが、それに当たるだろう。集めることは、その嗜好の系譜に自覚的になればなるほど、それを無駄としか捉えられない理解できない他人への理論武装を終えて、より愉しみとなる。だから私はー
「おーい?もうその辺でいいんじゃね?あんまり細かくすると、骨まで食っちまいそうじゃん」
そこで、飲み物を冷蔵庫に取りに来た知人に声をかけられてハッとした。私は鶏を捌いていた。
その鶏肉はあやうく、まるで客人に小学生でもいるかのようなサイズに成り果てるところだった。
「あ、ああ。そうだな。この辺にしとこう」
私は乾いていたが、そのことを自覚しすぎる前に、アルコールを二度三度、喉を鳴らして放り込んだ。
あとこの鶏は、下味をつけて、香辛料をまぶしてオーブンへ。下味を寝かせることも考えたが、そこそこいい鶏肉が買えたので、素材の味とやらも主張できるだけ残す方法にした。
思考は、自分一人のものからホームパーティを開いている自宅に馴染んでいく。
陽気な酒にいくら喉を鳴らしても、それを考えないようにしても、渇きは何も変わらず渇きのままだった。
私、伊登《いとう》廉士《れんじ》は、いたって普通の会社員だ。
自分で言うが、真面目で遅刻もしない。無駄に欠勤もしない。会社の指示の範囲内で、お利口に有休を消化する。
ホームパーティのように遊びもする。彼女だっている。最近では結婚の話も出ているくらいだ。趣味もある。コレクターだ。
仕事ではそれなりに稼いでいるし、そこまで裕福というわけではないけれど、不自由でもない。
端から見れば順風満帆に見えるかもしれない人物像。それが私だった。
この自己紹介を聞いた人はどう取るだろうか。自慢?勝ち組のプライド?いや違う。
この自己紹介で語りきれるくらい、私という人間には凹凸も引っかかりもない。強烈なインパクトもない。いたってノーマルな、平和的な人物像。親から見たら、理想的かもしれない。しかしその世代間価値観差は、特に親子ほど、本当のところ乖離するものだ。目的が一緒でも、アプローチがまるで変わるように。
私には一つ。とても初対面の人にするような自己紹介で吐露することなどできない感覚がある。
渇きである。
これは、自分の収集嗜好の系譜を辿った(正確には辿ってしまった)時に初めて自覚した感覚だ。
それまでは収集というお為ごかしに騙されて生きてきたが、それに時々飽きるのだ。自ら選んだことに飽きるというのは、それが、本来の心に根ざしていないから、自我の感性と嗜好性の発露の間に溝もしくは壁があることを意味しているのだと思っている。
そうして自分を定義した結果、その渇きはさらに酷くなり、同時にそう簡単には潤わず、完全に潤うことなど不可能なのだ、ということに気づかされ、もはや適当な雑誌でこなす自慰行為にも等しいような、代替行動で消化するしかなかった。それは、自分の嗜好、その系譜の源が、自分には決してたどり着くことのできない何かであり、そしてそれがあるとわかっていながら獲得できないという拷問に甘えることとなった。そしてその代替行動もまた、系譜の源流を少しでも汲み取ろうとして続け、それは独自の系譜を作り始めた。
3人目の頃だろう。それに、気づいたのは。
ホームパーティを開いた翌日のことである。
渇きが眠りを妨げ始めたことを自覚して、私はネットに入り浸る。もちろんその渇きはネットに入り浸ることで解消されるようなものではない。潤いを得るための情報収集である。
私は相手を求めた。まるで溜まりに溜まった性欲をぶつけるための一晩の相手をそれはまるで物色しているように。
あらかじめ、ネットや様々な手段でこの辺の情報を探れば相手は見つかる、というあたりをつけておいた。今夜が初めてではなかったし、私は作業になれるのが早い。
今回の相手は、どうしようもない、欲にまみれた女だった。
男、貢ぐ金、借金、ギャンブル、前科あり。
正直対象は誰も良かったが、善良な市民を自分の行為の対象にするのは気がひける。
私はあくまで衝動で行為を行っているのではなく、生きるために必要な、睡眠欲や食欲と同じように把握し、それらと同列に習慣として捉え理性的に処理しているのだ。
金をチラつかせるために、対象が今まで一度も口にしたことなどないであろうレベルのディナーを提供した後で、その腕を見込んで頼みたいことがある、と下から関係性を提供する。詳しくなくてもメーカーも車種も判別できるような乗用車で連れまわしたあげくに、その相手が金に物言わせて服従させようとしているわけではないということに、相手は恍惚を禁じ得なかったようだ。
夕方に駅で合流し車を走らせ少し話をして打ち解ける。予約していた会員制でもなんでもないがそこそこのレベルのレストランで食事を済ませた後、近くの山林にはいり、車を止める。
そこから歩くことに女は怪訝そうな声を出したが、ここには知る人ぞ知る素晴らしい酒を出すいいバーがある。僕は飲めないけど、君にご馳走したい。さらにそこで、少しビジネスの半紙を、みたいなことを相手に囁いて、言いくるめる。ここまで、店の僕への対応やら会話で相手の中で私の信用度はかなりのレベルに達しているようだった。このままそのつもりがあれば、今夜を過ごし下手をすれば金ズルにもできたかもしれなかった。
しかし、そんなもの私にとっては何の価値もない。ただ人間が、私の作業によって私にのみ与えてくれる潤いを私は枯れるくらいに求めているだけだ。
車からしばらく離れたところまで歩いて、小さな古いロッジがみえてくる。私はジャケットのポケットに仕込んだそれを確認して歩調を変えることなく近づいていく。女も同様についてくる。
女にはそこが店だと言って近づき、それ、を取り出して口元に当てる。染み込んだ薬を吸い込んでしまった女はぐったりと眠ってしまった。
脳が強制的な睡眠に暴力的に眠らされてしまっていて、完璧なまでに脱力したその体を、なるべく傷つけないようにロッジの中に運び込んで安全なところに寝かせる。
そうして一度車に戻り、道具を持ち出してロッジに戻ったら、誰かが物音を嗅ぎつけても入ってこられないよう厳重に鍵をかける。実際ここの持ち主は少々成金だったらしく、この土地を離れても忘れてしまっているのか、このロッジを放置していることは確認済みだった。
厳重に施錠したとはいえ、それでも見つからないよう、多くはない窓には暗幕をかけてあるが、さらに明かりは最小限にとどめる。手元が見えれば完結する作業だ。そこまで煌々とした灯りはいらない。
シートを敷いて、彼女の体を寝返りを打つように一回転させてシートの中央に乗せる。
道具も状況も揃った。かくして乾きに少しでも潤いを与える作業が始まる。
まず取り出したのはメス。
仕事柄、こういうのはそのあたりに転がっていて、入手にはそこまで苦労しない。
もちろん取り扱いは厳重だったが、問題はなかった。
腹部に差し込んで、開く。
死んだわけではないので、当然暖かく、滑る血液が流れ出す。
薬はかなり強力だ。通常の外科手術にも耐えうる全身麻酔にも用いられるそれを使った。
通常であれば体幹に沿って、もしくは平行に一筋だけ入れるのが普通だが、今度は最初に入れた傷の両端から直角に、メスを入れる。
これで、内臓の一部が、肉体の支えをなくしてこぼれ出す。
大事なのは、腸ではない。
体本体との接続を次々とメスで断ち切り、厚手のビニール袋に収めていく。
むせかえるほど血の匂いはが噴き出してくるが、私はマスクも何もつけない。
この頃には、相手は絶命している。
しかし、彼女にとってそれも、最も重要な事柄ではない。
小腸、大腸、腎臓、を摘出。
次にすい臓、肝臓も三分割して摘出。
横隔膜を切り開いて、肺もなるべく潰さないように。
そして、残した幾つかの器官のうち、いよいよ本命たるそれに手を伸ばす。
胃である。
先ほど、私の案内したレストランで食事を終えたばかりの消化器。
車から持ち込んだ道具のうち、テグスを手に取る。
それで胃の上下、食堂と、腸につながる消化管を切れないほどにきつく結ぶ。内容物は閉じ込められた。
道具のうち、大きめの瓶に手をかける。
胃の他にも様々な入るようなサイズだったが、その中は液体で満たされている。
保存液。
胃本体を中心に結目よりも外側を切断し、瓶の中に収める。
しっかり入ったことを確認し蓋を乗せ、蓋による挟み込みもないことを確認してからしっかりと封をしする。残した他の内臓も綺麗に根こそぎ取り除き、厚いビニール袋に収め、切り開いた体を縫合する。中は空洞。まるで欲望の枯れた心のようだ。
そんな私見を思考したところで作業は万事終了。
私は取り出した内臓と道具だけを抱えて、帰路に着いた。
私は帰宅後、保管した内臓をしばらくそのままで体温を発散させる。保管庫に入る熱源を極力少なくするためだ。これまで蓄積した6点に影響があってはいけない。
蒐集に使った道具を血液洗浄用の薬品で洗浄し、さらに薬品に満たされた超音波洗浄機にかける。
それらを1時間放置しつつ胃臓の熱を発散させている間に、パソコンを立ち上げる。
別に誰かに強制されている必須事項ではないが、これはこの行為の、小さくとも確実に存在する社会的な価値を持たせるための行為だ。
これは、とある人間への報告である。
私がこの蒐集を始めたきっかけとなった、とあるユニオンがある。
そのユニオンは「或終同盟」と言い、私のような嗜好の人間をネット上でつないでいる不特定多数の集団だ。人によってその性質の捉え方は違うが、一部のメンバーでは宗教化しているなんて傾向も見受けられる。
安易な宗教に傾倒するのは自我の脆弱性を世間にさらすような行為である。もちろん人は一人で生きていけるほど強くはない。が、一人では生命も保てないほど脆弱であるはずがない。故に、もともと弱者である人間が宗教に傾倒するというのは、その中でも弱さをさらす行為ということになるからして、私は自身にそれを認めていない。
或終同盟のサイトにアクセスした私は、匿名で今日のことを簡潔に書き込む。最低限のディティールと、初見。二十分ほどで記事の執筆を終えて投稿を完了すると、ものの数分ですぐに一人という人物からのスカイプの通話着信が告げられる。
「はい、登(とう)です」
「やあ、登くん。僕だよ。一人だ」
「お久しぶりです、盟主」
「先ほどの書き込み、とても興味深く読ませてもらったよ」
「それは、ありがとうございます」
「登くんは真面目だね。丁寧に、周期を崩して、あくまでも模範的に終わりを作り出していることもそうだけど、君のその、僕に対する態度もだ」
「前からお伝えしていますように、年齢は関係ありませんよ」
「あくまで立場だ、とね」
「はい。盟主は、年下でも盟主ですので」
慇懃無礼。
例えるならその言葉がちょうどいいだろう。
宗教は否定したが、完全なる主従関係に関してはそれぞれの立場を有効活用するためのものとして適切と考えている。
「君の蒐集は順調かな?」
「はい。おかげさまで、望んだ形に、望んだ速度で集めております」
「ならよかった。きみのおかげで、また新しい終わりが奏でられた。これも素敵だ。月夜に、よく映えるだろうね」
「ありがとうございます」
「健康に害はないかい?あと、身辺にも」
「はい。全て問題ございません。お気遣い、感謝いたします」
「そうかい。ならいいよ。無理はしないように」
「心得ております」
「君は、また一つ終わりを迎え入れた。君の終わりが、また一つ美しくなった。その美麗さで、証明する日は遠くないよ」
「痛み入ります」
盟主からの、今の自分にとっては最大限の賞賛の後の合言葉を持って、通話は終了となる。
我に、終わりを。
その言葉は、何かの終わりに纏わるを覚醒させる歌姫のそれに似ていたが、或終同盟のメンバーにとっては恍惚の入り口以外何者でない。
まだ生ぬるい胃の瓶を抱きかかえた私の、殺戮が続く。
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根拠、蒐集 了