蕎麦変人おかもとさん #3
第三話 いい蕎麦には睡魔が潜む
ざる蕎麦を三枚平らげ、蕎麦湯はトロトロ、値段が高いなどと我々が話していたら、いきなり振り返り、鋭い目つきでこちらに近づいてきた前川さん。テーブルのすぐ横までやってきてこう言い放った。
「どうでしたか、蕎麦のお味は」
「えっ、いや、その、ほんまにびっくりしました。強烈においしいです。香りもすごくあって、えへへ」
「この薄緑色と強い味と香りにカルチャーショックを受けました。さすが同業者の粕谷さんがおっしゃるだけのことはあると思いました」
「ふふ、どうせ、彼は僕のことをへんこなおっさんとしか言うてないでしょ」
前川さんの鋭い眼光が柔らかになった。
「粕谷さんの蕎麦とはまた違った趣でした。それにこの独特の味に驚きです。河村と話してたんです。まるで枝豆みたいな味だって。これはどういった蕎麦なんですか。一般的なものと何が違うんでしょうか。あまりにも鮮烈です」
「一般的という言葉ほど不安定なものもありません。まず、蕎麦にはいくつか種類があって、基本はつなぎの割合がどうなのかということです。例えば粕谷の戸隠流は七三で三割のつなぎが入っています。二割だと二八。一割だと九一。蕎麦粉十に対して一割のつなぎを加える外一というのもあります。で、うちのんは生粉打ちといって蕎麦粉十割、つなぎゼロなんですよ」
蕎麦のつなぎには普通小麦粉が使われるが、時に鶏卵や山芋、豆乳、フノリなどを使うこともあると聞く。また、例えば同じ二割でも、店によっては十八%と八二%などと季節やその時の蕎麦粉の状態に応じて微妙な加減をすることもあるとか。
当時、つなぎを入れない十割蕎麦といえば田舎蕎麦のことで、色が黒く、時にうどんかと思うほどの太いものもあり、箸でつまむとすぐに切れてしまったり、食感はもそもそとしていることが多かった。
「うちのんは同じ十割でも田舎蕎麦とはまったく違うタイプです。あれは外皮(そば殻、鬼皮とも呼ぶ)も挽き込んでいるので黒い蕎麦になるんです。ま、それが本当に外皮の色なのか、はたまた着色料かは別問題ですけど。うちの蕎麦が薄緑色で細くて長く切れないのはいくつか理由があって、ひとつは外皮を入れてないことがあります。外皮を入れるとどうしても食感が悪くなって、えぐみが出てしまうんですよ。それに外皮はごっつ汚いんです。うちでは玄ソバ(外皮のついているこげ茶色のソバの実)を仕入れて、それを磨きにかけるんですけど、そりゃもうゴミだらけですよ。まぁしかし、それ以前の問題として、本当に蕎麦を原料としているのかどうかも問題です。海外産の劣悪な蕎麦粉を使った小麦粉七割のそばならまだまし。酷いのになると蕎麦粉ゼロというのもあります。ほな、これは何なんや、と。真っ黒で蕎麦の風味がするほうが怖いでしょ」
「だから蕎麦なんておいしくもなんともないとか、特に関西ではうどんの補欠と言われるんでしょうね。そんな蕎麦なら食べない方がまし。みんな理由はわかっていなくとも、なんとなく蕎麦から遠ざかっていくわけだ」と岡本さん。
「そう、特に関西ではまともな蕎麦を出す店は少ないです。どんな蕎麦を出しているのか怪しい蕎麦屋が、平気で手打ち蕎麦とか新蕎麦と書いた幟を立ててるし。万が一、まっとうな蕎麦を食べられたとしても、それは料亭のような超高級店だったり、どこかの有名蕎麦屋の出張イベントくらいのもの。それでも生粉うちかどうかは疑わしいものですよ。信州や北関東には、この手の本格的な蕎麦を出す蕎麦屋は何軒かあります」
岡本さんが興味津々の眼差しでゆっくりと大きく頷き続ける。
「まぁ、うちもまだまだ挑戦の途中ですけどね。店を開業した一九八五年当初は、この辺りがまだ開発し始めたころで、土建屋を相手に麺類食堂として開業しました。うどんや丼物も出すような、まぁドンくさい店ですわ」
そういって、前川さんはいきなり顎を突き出しながら僕を凝視した。ひたすら話を聞き続けていた僕はただ戸惑うばかり。
「な、なんでしょか」
「僕は元落研でしてねっ、ええ、つい」
だからなんなんだ、と思った僕は苦笑いしてごまかす。
「あ、そうそう、先ほどの延し場に来てください。その方が話が早いから」
そう言って我々は厨房側から先ほど前川さんが蕎麦を切っていた延し場に通された。そして袋の中からソバの実を掴み取り、作業台の上にばらりと無造作に置いた。
「うわっ、なんですかこれ。薄緑色してます。普通は茶色とか黄色いんじゃないんですか」
「それは成長不良か、剝いてからの保管が悪いからです。そうなるといくら挽きたてでも味も香りも出ない。農家がしっかりと栽培したもので、ちゃんと保管したものだと、剥きたてはこういう色をしているんです」
「そうか、さっき店内にあった写真の蕎麦が薄緑色だったのはこのせいだったんだ」
「そうです。これは外皮をむいたもので、抜きとか丸抜きなどと呼びます。で、この内側がまた何層かに分かれているんです」
前川さんはそう言って、一粒を爪で割って内側を見せた。
「外側にある薄い膜のようなのが甘皮、内側の実全体が胚乳、芯が胚芽となります。臼で挽く、とは言いますが実際は割れて潰していくんです。その際、まず内側から崩れて、その際に落ちる内層の粉が真っ白のでんぷん質の多い部分で、一番粉とか、さらしな粉などと呼ばれています。その後、胚乳部や子葉部が二番粉、最後は表層の甘皮部分が粉になっていきます。うちの蕎麦が薄緑色をしていて、味が濃いのは、この甘皮も含めているためです。甘皮には蕎麦本来の風味がびっしりとあって、いいものはこういう薄緑色をしてるんです」
「へぇ、甘皮か。こんな小さな実の、こんな薄い膜が色と味の正体だなんて、繊細な世界ですね」
「まったくです。でも、せっかく自家製粉をしているのに、この甘皮を取り除いてしまう蕎麦屋もいる。と言うか殆どそっちやないかな。理由は、これを含めるとつながりにくくなると言うんですよ。つまり、箸でつまむとすぐに切れる蕎麦になると。でもそれは違う。切れない蕎麦にするためには製粉のクォリティが重要です。ただ石臼で挽けばいいというわけではない。甘皮は挽くのんが難しいんですよ」
「関東の店では、この甘皮を取ってしまう手打ち蕎麦屋が多いですよね。何やら食感が悪くなるとかで。で、この甘皮を挽きくるんだものを田舎蕎麦とする店もあるし。しっかりと統一されたものではないということですね」
岡本さんは本当に詳しい。そんな専門的なことまでなぜ知っているのだろうか。蕎麦のことをよくわかっていない僕にとっては、あまりに高レベル過ぎて殆ど理解できていない。なんとかメモを取り続けてはいるが、「はぁ」「へぇ」「ほぅ」のハ行三段活用頷き術で応戦するので精一杯であった。そして何より、蕎麦には睡眠促進作用があるんじゃないかと思うほど先から眠たくて仕方がない。
が、岡本さんは容赦なくどんどん深みに食い込んでいく。今度はごろごろと回り続ける大きな石臼に目を向けた。
「これが電動石臼ですね。見たところ、かなり改造されてるように伺えますがご自身でされるんですか」
「ええ、失敗を繰り返してはの手探り状態ですが。蕎麦の製粉所ではロール式製粉機という大きな機械を使うんですが、早く回転し過ぎて蕎麦が焼けてしまうんです。もっと個人経営蕎麦屋向きの回転式石臼ってものがあればいいのですが。今のところ、この「ひこべえ」(㈲吉野工業。現在は閉業)しか選択肢がなくて。回転スピード、落としこむ量、目立て、すべてカスタムしまくっています。そうそう、臼については今年の一月に開業した京都府立植物園前の『じん六』(店主、杉林隆行さん。当時四〇歳)も凄いですよ」
「『じん六』さんですか。そりゃぜひ伺ってみたい。ところで玄ソバの仕入れはどうされているんですか。先ほど製粉所とちらっとお話されましたけど、普通の蕎麦屋は製粉所から仕入れておられるんですよね」
「何が普通かわかりませんけど、手打ちを謳っている店の多くは製粉所から粉を仕入れてると思います。石臼まで置いている店はまだ少ないですから。うちは玄ソバを国内の生産者から直接仕入れてます。その『じん六』も積極的に生産地開拓をしてくれていて、一緒に仕入れることもあります。製粉所にも問い合わせたことがあるんですけど、国内産を持っているところはわずかしかない(当時)。仮に国内産があったとしても、各農家のものを全部一緒にしてロール製粉してしまうので、実にもったいないことになってます。蕎麦はデリケートな作物で、同じ地域でも農家によって粒の大きさも色も味もまったく違いますから。いま僕は畑を借りて試験的に自家栽培していて、そのことをつくづく感じます。蕎麦の持つ本来の味を表現するには、各農家ごとに仕入れて、できれば産地で天日干ししてもらって、こちらでちゃんと保管して製粉をしないと。まぁ、そもそもは国内産が少なすぎてそれを選ぶのは至難の技ですけが。仮にあっても高すぎるし、年々生産者は減っています。おいしい蕎麦栽培は、日本の農業のためでもあると思うんですよ」
僕の瞼はもう限界だ。視界の半分が白い花園のようになっていた。が、岡本さんはますますパワーが漲っていく。
「そういえばこちらの店の入り口に、「福井産」と蕎麦の産地が明記されてましたね。これは日によって変わっていくわけですか。たまには自家栽培物も使うとか」
「自家栽培はあくまでも勉強のためだけです。素人がにわかにできるもんやないです。産地は仕入れ状況に応じて変えていますが、先言ったように大事なのは地名ブランドではなく、畑、農家の方の能力なんですよ。どんな考え方でどのように栽培しているのかが重要です。そして、いくら優秀な農家でも自然が相手なので不可抗力もあります。今年が良ければ来年と再来年はちょっと落ちるとか、想像を超えた悪天候とか、特に昨今はそういう可能性は高くなっています。結局、我々蕎麦屋にできることは、その時々の蕎麦の状態に応じて、どう対応していくか、ということしかないんですよ」
もう気絶寸前、というところで、ようやく前川さんが流れを変えてくれた。
「ささ、それでは店内へ戻りましょうか」
少し歩いて意識が戻った僕は、テーブルにある箸袋に目が行った。手書きで何か言葉が書かれてある。
―――自分に都合の良いことでも 蕎麦にとって都合が悪けりゃおことわり 蕎麦にしてやれることなんて やっぱりしれてるもんな―――
蕎麦というものはどうやら想像以上に、奥深く、デリケートで、一筋縄ではいかない食べ物であることだけはよく伝わった。僕はもっと安直に考えていただけに、まるで一から修行しなきゃならないような、そんな重圧を感じていた。それはそうとタバコを吸いたくてしょうがない。店内は禁煙である。そういえば入口脇に灰皿が置いてあった。何とかごまかして外へ出ればよかったがもう遅い。
岡本さんはドーパミンどばどばで目を輝かせながら、まだまだ質問を連射する。
「前川さんは関西で『じん六』さん以外にどなたかお付き合いされてる蕎麦屋はあるのですか。あるいは強く影響を受けた店とか」
「影響を受けたのは、そこに貼ってある鶯色の蕎麦の写真です。雑誌の切り抜きなんですが、初めて見たとき、これが本物の蕎麦なのかとびっくり仰天でした。気になって、写真の蕎麦屋『ふじおか』まで行ってみたんです。場所は長野県信濃町(現在は長野市上ケ屋)。山奥深くにあるんですけど、なんと客は入換え制(当時)なんです。入店に間に合わなかった人は、山の中で二時間くらい待たなあかんわけですよ。で、実際に大勢の人が待ち続けているからまたすごい。蕎麦は地元野菜の料理や漬物などとセットになっていて、オプションとして蕎麦ぜんざい、蕎麦がきなどがありました。ひととおり料理をいただき、店主の藤岡さんともお話させていただきました」
「肝心の蕎麦はいかがだったんですか。やはりすごいですか」
「写真のように確かに濃厚な鶯色でした。で、正真正銘の蕎麦の香りもガツーン。伺うとやはり優秀な農家が近所におられて、藤岡さんは石抜きや磨き、脱皮、選別、貯蔵、製粉まで完全というほどに徹底しておられる。もともと三重県の松阪でご商売をされていたそうです。蕎麦のために長野に転居したのかもしれませんね。その諦めない行動力に感動しました。また、それにちゃんとファンもついていってるのも素晴らしい。あんな山奥で偽物をだしたらお客も暴れますね。自分もこのまま突き進んでいってええんや、頑張ろうって勇気をもらってきましたよ」
岡本さんは何度も大きく頷きながら前川さんの話に聞き入っていた。
と、そこに鐘が大きく一回鳴って僕の身体がびくっ。
グォォォォォォ~~~ン
時刻は七時半になっていた。
「あ、いきなり長居してしまいすみません、夜の営業は確か七時四〇分まででしたね。河村さん、そろそろお暇しましょう」
岡本さんはいつものぼろぼろの紙袋を手にして、中から財布を取り出そうとする。ホームレスとも見紛いそうな紙一重のそれを店主が興味深そうに見ながらこういった。
「ところでお二人はどちらから来られたんですか」
「ええ、僕たちは大阪なんです」
「あらぁ、はるばる遠くから来ていただいて。大阪のどこらへん」
「彼が箕面寄りの豊中で、僕が吹田の緑地公園というところです。ご存知ですか」
「ええ、よく知ってますよ。なんや箕面やったら山を越えたらすぐですやん。車やと一時間くらいで行けますよ。緑地公園もそこから十五分くらいのもんでしょ。今日はもしかして電車で来られたとか」
「そうなんです。車を持ってませんから」
「時間かかったでしょ」
世間話になると突然目がさえてくる僕。
「ええ、ざっと二時間の遠足です。ほんまに遠かったです。今日は岡本さんと緑地公園駅で待ち合わせて、そこから梅田に出てJRに乗って京都駅、嵯峨野線のパターンです。嵐山を超えたとたん、保津峡のアルファ波効果で熟睡してしまいましたけど。ほんまええところですよね」
「そうでしたか、ほんまにありがとうございます。またいつでもお越しください」
店を後にし、我々は坂道を降りていく。外はすっかり真っ暗になっていた。僕はすかさずタバコに火をつけ大きく一服する。
「それにしても、岡本さんてほんまに蕎麦のことよう知ってはりますね。いったいどうやって情報を得てくるんですか」
「ええ、柴田書店という出版社のそばうどんという本とか、あとは河村がスポーツクラブを去ってから職場の若いのんと一緒にあちこち食べ歩きだして。それで仲良くなった店がまた別の店のことを教えてくれるって感じで」
「自称、とてつもない麺喰いの岡本さん。やっぱり麺ばっかしですか」
「そう、殆ど麺ですよ。大阪だとやっぱりうどんが多くなるんですけど、ラーメンは京都が多くて。そういえば『實徳』へ初めて行ったのも、すぐそばにあるラーメンの『ますたに』がたまたま休みだったからなんです。前から何かで読んで存在は知ってたんですけどなかなかね。ラーメンがつないでくれた蕎麦の縁です。それはそうと今回の取材は三軒でしたね。いい記事書けそうですか」
「それがですね、殆どメモを取れてない、というかわかっていない。凄い話を聞いてるはずなんですけど、僕には受容できるだけの脳ミソがなくて。もういっぺんこなあかんことは間違いないです。写真も撮り忘れたし」
「おおっ、撮り忘れ、いいじゃないですか。次はいつ行きますか。今週でも行きますか。なんとしてでも時間作りますよ」
「どないしよかな。あ、そうそう、吉田拓郎のことを聞くの忘れてましたね。あの屋号、絶対吉田拓郎からとったんとちゃうかな。それも聞かなあかん」
「近いうち絶対いきましょう。頑固で変人というわりに実は可愛い方かもしれませんよ。なんせ落研ですから」
我々はバスに乗ってJR亀岡駅に戻る。電車を待つホームで会話を続ける。
「せや、落研で思いだしましたけど、さっき前川さんが僕に向かってご自身の店をドンくさいとおっしゃってましたが、あれどういう意味なんですか」
「なにっ、わかってなかったの。あれは元々がうどんとか丼の定食屋だったことにかけてるんですよ」
「あっそうか。うどんのドンと丼のドン。なんや~いちいち深いわもぅ」
再び、土の匂いを含んだ風が吹くJR亀岡駅から、人混みとビル風の埃にまみれたJR大阪駅に着いたのは夜の一〇時頃だった。近いようで遠くて深い亀岡の旅だった。
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