宿題で豊かな時間が生まれたよ
こんにちは、教師系筋肉のらいざです。
自分は今、小学校2年生の担任の先生をしています。
今日は筋トレではなくて、先生という仕事で感じたことを記事にしようと思います。
3学期の修了式は26日(金)でして、もうあと1週間で今年度は終わってしまいます。
クラスの子どもたちとも別れが来るので、少しばかりセンチメンタルな気持ちです。
さて、そんな中ですが、最近とても豊かな時間が自分の中であって、それを今回の記事では書きたい思います。
それは宿題に関することです。
宿題で豊かな時間って、ちょっとつながりにくいですよね笑
みなさんも宿題という言葉には、やはりあまりよい思い出は、ないのではないでしょうか?
宿題に関する記事をささまるさんが書いてます。
是非読んでみてください笑
https://note.com/thales_class/n/n84774b15fc1d
さて、小学校の宿題というと、国語の教科書の音読があり、漢字練習があり、後は計算ドリルなどが思い浮かぶと思います。
例えば、今日の宿題は、音読に漢字ドリルの◯番の漢字や計算ドリルの◯番という具合に、毎日決まりきった宿題が同じように出ます。
これは、いわゆる定量的な宿題と言われるものです。
この定量的な宿題を批判的な目でみると、一人ひとりの学力が違う中で、このような同じ量で同じ難易度の宿題を全員同じように出す意味があるのか?ってところに疑問が生まれます。
学力が高い子は、分かってることをわざわざやらさせられる、学力が低い子は全く分からない問題をやらないといけない。
現にこのような宿題が学習ではなく、もはや提出だけを目的とした作業となっているケースも自分の経験の中では多く見受けられましたし、そう感じてる人も多いはずです。
あれだけ教育界では、それぞれの子に応じた個別最適化された学びが叫ばれてるのに、明らかにこれはそぐわないものだと思います。
そして本来であれば、楽しいはずの学びがつまらないものとなっている面も確実にあります。
だったら宿題なんて無くせばいい!
とは思うのですが、宿題は、もはや学校においては文化になっている面もあって、『宿題をなくしてしまおう』という考えをもつ先生は少なくて反対されるのは必至ですし、保護者の方からも『宿題をちゃんと出してくれないと家で勉強しないんです』などというご意見も頂くこともあります。
さらに、ポジション的にも自分のクラスだけ宿題をなしにしたり、自由にしたりする事はなかなかできませんでした。というのも、クラス間に差が生まれると言う懸念があって、それをやはり公教育では嫌うからです。
このようなところを大きな理由に様々なことも重なって定量的な宿題に対するモヤモヤは晴れることはありませんでした。
いつしか低学年の段階では、家に帰っての学習習慣を身に付けると言う意味では、定量的な宿題の価値はいくらかあるのかもしれないと自分に言い聞かせながら、定量的な宿題を子どもたちに課している自分もいたかもしれません。
ただ、そこにチャンスがやってきたのです!
2月末。その漢字ドリルや計算ドリルなどの定量的な宿題が全て終わったので、最後にこのような宿題から抜け出して、宿題に新しい取り組みを試すことができるタイミングがやってきたんです。
試したのは、子供たち自身が自分でその日の宿題内容を決めて、取り組み、そしてふりかえりをするというような宿題です。
(※友人の葛原祥太が考案したけテぶれ学習法というPDCAを回していく宿題の仕組みを参考にしています。)
名付けて『ジブン宿題』
略して『ジブシュク』と呼んでます。
このジブシュクが自分にもめちゃくちゃ豊かな時間を作ってくれるってことを実感しています。
(子どもたちもそうじゃないかなと期待してます。)
スタートした当時は、いきなり宿題内容を自分で決めることに戸惑っていた子どもたちも、今は生き生きと取り組んでるようすが見受けられます。
なぜか?
それは子供たち自身が、自分がどのように学びに向かったかという事実を、自己決定とふりかえりで実感することができてるからではないでしょうか?
ポイントとなるのが、自分で決めるということと、自分が決めてやったことをふりかえるということです。
今までは、ただ指定された漢字練習帳のマス目を埋める、指定された計算問題をただ解くだけだったのが、自分で決めてやってみて、それをふりかえって次の宿題に繋げようとしていくんです。
もちろん二年生なので、そこにフィードバックをすることは必須ですが。
毎日、ジブン宿題を返却するときに、子どもたちが書いたふりかえりのコメントを踏まえながら『やってみてどうだった?今日はどうしたい?』と聞いてます。
ここで話す子どもたちはすごく生き生きとしてるんですよねー!
ホントに楽しそうなんです!
それに、子どもたちのふりかえりを読むと、『今日は簡単すぎたので問題をさらに難しくする』や『今日は難しすぎて進まなかったので、やり方を見直す』などと、自分の取り組みを、ちゃんと次に繋げようという視点も少しずつ獲得してきたように思えます。
さらに、そこの解像度を高めるために、子どもたちに『それって具体的にはどうしたいの?今日はどんな感じにしてみる?』という声かけを加えてしています。
そこで、また子どもたちたちの目は輝きながら応えてくれます。
それは定量的な宿題の時には生まれなかったことですし、それが勉強が苦手な子にもすごくプラスの効果を生み出していて、宿題を出さなかった子も、ちゃんとその子なりに取り組んで提出していますし、自分に気づく機会ともなっています。
また、それぞれの学びを共有するためにジブシュク交流会といって、それぞれがノートを見せ合うという取り組みもやっています。
それで他者の取り組みから気づきを得たり、刺激を受けたりして自分が主体となって進めていく学びへの関心もさらに高まっています。
自分で決めるから取り組める。
そして、自分でふりかえるから次に繋げることができる。
この自己決定をさせる場面を設定して、決定したことをやってみて、次に向けてふりかえりをする。
その成長のサイクルを回す姿、それぞれの子たちが自分なりのペースで確実に進んでいく姿を、
近くで見られることがとても豊かなんです!
イキイキとして自ら前に進もうとする人からは、エネルギーをもらえますからね!
それは子どもとか大人とか関係ありません。
それにこの経験は、大人になってからも役立つ経験であり、武器にもなるとも思います。
宿題は文化。
簡単に無くすことはできません、そして定量的な宿題もそれは同じ。
だから、定量的な宿題とも上手く向き合いながら、子どもたちが成長していける宿題を提案していけたらと思いますし、来年度は、このような経験を積める場面を宿題に限らず、たくさん増やしたいと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
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これが今後の記事を書く活力にもなります。よろしくお願いします。