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玄海孤舟
「玄海孤舟」 犀歩
春夏秋冬 色は移ろひ
年々歳々不易に流る
遥か玄なる海の果て
大波小波にゆれる一葉の孤舟(ふね)
我を信じて漕ぎ出せば
いつしか凪の浦に着き
こころ安らぎ 彼の岸(かのきし)に行かん
春夏秋冬、景色は移り変わってゆくものですが、
時は毎年変わることなく過ぎてゆきます。
遥か奥深い混沌とした大海の果てに
人生の大波小波にゆれる孤独な人がいます。
そんなときには自分自身を信じて一歩を踏み出すしかないのです。
そうすればいつしか波のない穏やかな岸に着くことでしょう。
こころやすらかに、楽しく幸せな日々を過ごしましょう。
作者注
玄なる海。玄とは存在の根源にある幽遠にして神秘的なものをあらわす。色としては黒っぽい色。
色は景色。仏教では五蘊(ごうん)の一要素。物質的存在としての「色」は、いろ、形あるもの。認識の対象となる物質的存在の総称。一定の空間を占めて他の存在と相容れないが、絶えず変化し、やがて消滅するもの。
色と言えばこの歌を思い出します。
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに 小野小町
不易とは いつまでも変わらないこと。不変。
変わらずに時は流れるという意。
我を信じてとはブッダのいう自燈明。
「26 それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、
他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、
他のものをよりどころとせずにあれ。」
ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 中村元 訳より
島とは、大海の島のように自分を島(たより)として確立しなさい
ということ。
彼の岸とは生死の迷いを河・海にたとえた、その向こう岸。悟りの境地。
玄なる海は玄界灘、凪の浦は福岡県福津市にある恋の浦という砂浜を想い作りました。写真の場所です。
玄界灘は冬になると季節風も強くかなり時化ます。
「恋の浦」というロマンチックな名前の由来は諸説あるようですが、そのひとつに、地元の庄屋の娘と博多の廻船問屋の息子の悲恋の物語があります。二人はこの海岸で永遠の愛を手に入れたのでしょう。
さて、この海の沖合はかつて日本海海戦で日露両軍が大海戦を演じた場所です。曾祖母はこの時の大砲の音を聞いたそうです。1905年の出来事です。
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