タイの理由 ~自分の使命に気づく~
サワディーカ。
@yayoiです。
先日、友人たちと私の4人で、バンコクのあるお寺に行き、暑かったので
その後、冷たいものを飲みながら、話をしていました。
話の流れで、自分がこの先、何をしていきたいのかという話になりました。または自分の使命(ミッション)はなにかという話…
一人は将来、バンコクで買い集めた石を置いたカフェを日本でやりたいと
いう夢があり、もう一人と私は、発信しながら、または人に話をすることで、人に伝えていきたい事柄がありました。そして残る一人はまだ何を
したいかわからない...と。
私も長いこと、自分の使命がわからなくて悩んだ時期がありましたが、
それがだんだんわかってきて、しかもいくつかのミッションがあり、それらすべてがこのタイという国に大きく関わっていました。
現在も住んでいるタイですが、私はこの国が本当に好きで、
何でここまで好きになったのかという記事を2015年3月に
他のブログで書いたことがあります。
今回の記事はそれを見直して、加筆しながら書いていこうと思います。
タイとの出逢い
私がタイという土地に初めて足をふみ入れたのは、2000年。
当時はソウルに住んでいたのでソウルから友人と二人、旅行で行くことに
しました。
いっしょに行った友人は、”タイ料理も和食も何でもみんなおいしい!!”
と、感激でバンコクを気に入りすっかりご満悦の様子。
当時のソウルでの外食は日本人の口にあわず、あまり日本人受けするお店が
なかったのです。
その横で、 私はここに住んでこの文字勉強することになったら、大変そう
だな... などと、〇の並んだタイ文字の看板をみながら、冷静に友人の言葉を聞いていました。(タイ語の文字は〇の部分から書いていきます。)
それがタイに住むことによってこの文字を勉強し始め、
それによって人生も大きく変わっていくなんて、思いもよらぬことでした。
魂がミッションを思い出す
その後、我が家もタイへの駐在が決まり、2005年の7月にバンコクに引越。
2009年の7月の終わりくらいにシンガポールに行くまでの約4年の間に、
タイ語の学校に通ったり、ムエタイを習いに行ったりして、在住中に
タイがどんどん好きになっていきました。
しかし、タイ語の方は、少しわかるようになってくると、いつしか他の活動に目が向いて、タイ語はやめることはなくとも、細々と続けている程度に
なっていきました。
それが “ タイ語は私にとって必要! ”と大きく変わったきっかけがあった
のは、翌月シンガポールへ移動を控えた、タイを去る直前のこと。
気がついたら、買っておいたタイ語クラスのチケットが100時間以上も
残っていたのです。
もったいないから全部使おうと、引越し前の忙しい中、毎日タイ語学校へと行く羽目になったのですが、毎日使うとタイ語が自分の一部のようになり、
先生たちとも仲良くなりました。
教科書を使ってタイ語を学ぶシステムではない学校だったからか、タイ語や先生たちがより身近に感じられ、ずっと住んでいて ”そこにあるのが普通 ” のタイから離れたくなくなりました。
実は私はタイに引越して行くことが決まった時、
「タイ語を勉強するならネイティブなみになるまでがんばろう、
そうでなければ初めからやらない。」
そう考え、不要なら初めからタイ語は習わなくてもいいかなと思いました。
しかしいざ暮らし始めると、タイ語がわからないとちょっと生活がしにくいことや、たまたま家の近くにあったムエタイのジムに通い始めたら、
オーナーは日本人でしたが、言葉は100%タイ語だけの世界。
ここではタイ語ゼロだと全く楽しくない。
そう感じたので、早速学校を探して通い始めました。
そして、そこそこタイ語がわかるようになると、普段の生活に流されて
いき、ネイティブなみになるまでがんばろう、は忘れました。
でも、そのミッションを忘れかけていた私を、最後の最後にタイ語100時間という時間が待っていてくれました。
この最後の100時間、毎日朝から夕方まで小学生の様に学校に通う1ヶ月。
ここで、私の魂が自分のミッションをやっとひとつ思い出したようです。
それは、“タイ語を勉強する”
理由はともあれ、ただただ勉強することです。
タイは私が帰ってくる場所
それからです。
人は自分の魂が自分のミッションを思い出したことに気づくと、
変わっていきます。
しかし現実はやってきてタイを離れる日が来て、シンガポールへ。
近いのに時差1時間、同じ南国とは思えないほど雰囲気の違う
当時のシンガポールにはタイ語の学校はありませんでした。
そうなったら自分でやるしかありませんが、ミッションを思い出した
私は人が変わったようになり、いろいろ方法を探しました。
熱心にyoutubeでタイのドラマを見たり、本を購入して文法や聞き取り
練習、NHKのニュースをディクテーションしたりと、毎日ただ一人、
家でのタイ語の勉強が始まりました。
そして3-4ヶ月に一度はシンガポールからタイに10日間くらい来て
あのチケットを使いきった学校に再び、行くようになりました。
本当は1時間だけ残したのです。1時間残っているとここに戻れると
感じたのです。そして、当時でいうプチ留学みたいなことを始めたのです。
ある時期から、シンガポールから通ってくる私に、顔をあわせた先生たちが言い始めた言葉がありました。それは、
” @yayoi おかえり ” とか” @yayoi タイに帰ってきたんだね ”
という言葉でした。そう言われてから感じるようになりました。
ここ (タイ)は私が帰ってくる場所だったんだ。
でも、なぜタイなんだろう…
不思議に思う私、知りたいと思う私に不思議なセッションを受ける
機会がその後やってきました。
続きます。
お読みいただきありがとうございました。
@yayoi
カバー写真は私がタイで最も好きな場所でたまに訪れる建安宮という小さな神社です。2011年にシンガポールからタイへプチ留学の際、再訪して撮ったものです。この神社について書いたブログです。
よろしければあわせてお読みください。