牛追いの彫像がナンセンス過ぎた
サムットプラカンのギンゲーオ通りにあった彫像を紹介する。
歩道橋を渡る途中で、中央分離帯に下記の彫像があることに気付いた。
中々、インパクトがある彫像である。しかし、一見してコンセプトがよく分からない。タイ的なキッチュさは全面に押し出されていて、この垢抜けなさに新鮮な感覚を味わうことができる。
男は牛追いであろうか。しかし、なぜ、牛追いや牛たちをここに表現したのか。また、この牛はバッファローにも見える。
十牛図の中の「見牛」や「得牛」の段階を表す……、などと無理やり解釈する事は出来なくも無いが、おそらく関係無いだろう。
このキッチュさ、乱雑な空間表現がタイのアートの魅力なのだが、時折、そのあまりの美的な表現の無秩序ぶりに、驚き呆れ、お腹いっぱいの状態になってしまう外国人は私だけでは無いだろう。