我が家流、火との関わり方。
山岳地帯で暮らしてた頃。
籾殻をいぶして薫炭を作ってます。
農家さんからもらってきた籾殻に焼いた炭を入れて一昼夜かけてゆっくりと焼いていくんです。
子どもたち、炭の入った籾殻の山に葉っぱを入れてピザごっこしてたと思ったら、あったかーいって寝そべってます。
ムスコの隣では焼けている薫炭。
先進国の大人は必ず危ないと言う場面だけどこの村の人たちは容易に危ないとは言いません。
熱ければ本人が気づきます。
すぐに命にはかかわらない。
ここでは暮らしの中に火があります。
年長さんの時からムスコは火をキープしながら朝ごはんのおかゆの番をしてくれていたし、竹でご飯を炊いたりもしてきました。
三食全て薪で作ったご飯。
生活の中に火があります。
今日はリアルな火のある暮らしの写真をちょっと紹介したくて書いてます。。
何度となく書いてます、すみません笑。。(インスタの方です。)
でも最近つくづく思うのです。
生まれた時からずっと普遍的に私たちのそばにあるライフライン。
それが当たり前ではないと言うことを頭で理解しようとしても、難しいことだなと。
少なくとも以前の私はそうでした。
たくさんの情報を集め分かったつもりになっていたけれど、その情報だって、でどこすら知らなかったことなど、突き詰めたこともなかった。
そんな私が自分で体験したくて飛び込んでライフラインのない暮らし。
私が経験して感じたことが必要な方に伝わったらいいなっておもって綴ってるインスタ。
たった一人の方の日々が何らかの気づきで豊かになるのだとしたらそれは素敵なことかもしれないって思うから。
そんなわけで☺️。
火は危ないものではなく、ありがたいものです。
私たちが扱いを間違えなければ恩恵だと思うのです。
ここでは夜になるとよく火を囲みます。
そうすると子どもたちは昼間とはちがうあそびをじ始めます。紙に炭を包んで花火のようなものを作り始めたり。。
次から次へと遊びが生み出されます。
昨日の虫の話のように暮らしの中に学びがあると言うことをここで私は毎日目にしてきました。
すべては暮らしから始まるのかもしれない。
学びも仕事も遊びも全ては興味から生まれる。
そしてね、暮らしが安心の上にあることから生きる力は育ち始める。
そこ積み重ねで今の自分が楽しいって思えることが自分を大切にし人を大切に思う力を育んでいくんじゃないかって思うから。
少なくとも私は我が子に、昔の自分のように、思春期の自殺願望を抱えて欲しくないとおもう。
ここ数年の経験の中で私は心底思ったこと。
日々生かしてもらってる感謝を感じながら生きてこれたら多分それは起こらないと感じてます。
じぶんの生を粗末にするような生き方をしないでほしいな、そんな想いが伝わるようにこれからも私は家族と暮らしていこうと思ってる。
そんな思いがあるので私は今、山で暮らすことを積み重ねています。
そうしておとづれたかたにもどこかのタイミングでそんな想いが伝わっていくといいなと思いながら私の経験を深め本気で山暮らしをしています。
火を使うことに慣れていない現代の子どもたち。
私が息子にはじめて火を使うことを教えた時は火は熱いと言うこと、そして危ないと言うことから伝えていました。
でも、そうじゃなかったね。
だから今、ここにおとづれるお子さんに伝えてることはね。
とりあえず火に触れる。
美味しいものを食べ、火を眺める。
そうしてからそっと、火はね、こんな風に私たちを豊かな気持ちにしてくれるありがたいものなんだと私は思うんだ。
こうして私たちは生かしてもらってるんだよね。
だから私たちの手で怖いものに変えていかないように、風向きを見たり、空気の乾き具合を感じたり、誰かがそばにいないか周りに配慮をしたりしながら、大切に使わせてもらってね。
全ては感謝ありきでありたい。
そう思いながら日々の経験を積んでいます。
そんなふうに暮らしを積み重ねて火を取り入れていった我が家の子供達は、火を使うときも、刃物を使うときも、周りに最大限の配慮をしながら使ってくれるようになりました。
全ては体験なんですね。
頭で理解したことと、身体で理解したこととは使い方が全くちがってくる。
大人は自分の経験がないことはすぐ不安なになって声をかけてしまうけど黙って見てるくらいがちょうどいいのかもしれないなと感じています。
山岳地帯の暮らしでは竹で炊くご飯も日常でした。