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【vol 13】偏差値30台から早慶上智合格へ👀! 甲子園を本気で目指す高校球児だった息子の子育て【認知能力・非認知能力】から見た「育ち」の検証

第四章 が書けましたので
一項ずつアップさせていただきます。
今回は第一項です。

編集者の方には
投稿することを許可していただいています。

校正などで内容が変わることも
あるかもしれませんが

今後も書けたところから
こちらに上げていく予定です。

ここからが原稿となります。 ⇓

■第四章 学童期
◆遊びの達人

ここからは、息子○○の小学校時代のことについて触れていきたいと思います。前述した最高の保育園から1人を除いて全員が、地元の小学校に入学しました。そこで、他の幼稚園から2人加わり、全部で10数人の同級生と6年間の小学校生活を送ることになりました。3つ離れた姉とともに、約1キロ15分から20分の道のりを近所の子たちと歩いて登下校しました。この学校は残念なことに、今は過疎化により廃校となっています。近隣の5つの小学校が統合され、子どもたちが通っていた中学校と同じ敷地に併設されて、現在在籍中の子どもたちはスクールバスで通学しています。

その、四季折々に美しい山の景色が臨める学校で、我が子たちは自然体験豊かな小学校生活を送りました。また、各学年は10数人、末娘が小学校に上がった時は同級生は10人に満たず、途中から複式学級となりました。人数が少ないこともあって、全校児童がどこの誰なのかを、先生方も子どもたちもよく分かっている、また、同じ保育園から上がってくる子も多く、互いが兄弟姉妹のような、そんな環境の学校でした。息子たちの学年は圧倒的に男の子が多く、小学校ではめずらしい、男子がリーダーシップを取るクラスでした。

学童期の息子についてわたしが特筆したいことは、その発想力や創造力です。学童期の息子を一言で表すと、何事も遊びにしてしまう、そして、その遊びを最大限に楽しもうとする、いわば「遊びの達人」でした。

実は我が家には当時、大事なきまりがありました。現代ではかなり難しいことだと思いますが、それは、『平日はゲームをしない』というきまりです。当時は、任天堂のDSというというゲーム機が全盛期で、当時の子どもたちの間では今はやりのスイッチと並ぶ勢いでした。また、任天堂のWiiというテレビ画面に向かって行うゲームや、Wii Sportsという、実際に体を動かして行うゲームも人気でした。

息子はゲームが大好きだったのですが、一応、我が家のルールを守り、(時には守るふりも…。)平日にはゲーム以外のもので遊んでいました。テレビを見ることもありましたが、平日暇を持て余した時、息子がハマっていたのは当時NHK教育テレビで放映され、ちまたで流行していた「ピタゴラスイッチ」と呼ばれる仕掛けづくりでした。息子が仕掛けづくりのためにキッチンやリビングに置かれていた調理器具や生活道具をいつの間にか自分の部屋に持って行ってしまうため、使いたいときに使えないとったこともしばしばありました。息子は自室で、キッチンから持ち出したスプーンやレンゲ、リビングからは中身を無造作に取り出したティシュボックスなど、自分が「これだ!」と思うありとあらゆるものを持ち込み、「ピタゴラスイッチ」の仕掛けづくりに夢中になっていました。「ごはんだよ~。」と呼んでも、聞こえないこともあるほどでした。

では、制限を解き放たれた週末のゲームはというと、これまた週末だけで結果を出すために、ものすごい勢いでゲームに集中していました。野球の練習もある休日は、朝4時半に起きて練習前の約2時間半で自分の目標をある程度クリアし、練習を終えた後は友達の家や自分の家で友達と当時ハマっていたWiiの「スマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズ)」に夢中になっていました。こうした、メリハリをつけられるようなところも、ひょっとすると息子の持ち味なのかもしれません。

また、さらにもう一つ特筆すべきは、地元の自然の中でのスリリングな遊びです。我が家から自転車で5~10分ほど上ったところに、息子がとても仲良くしてもらっていたお友達の家があるのですが、そのお宅の近くに絶好の遊び場がありました。息子はこの場所が大好きでした。それは、澄んだ水が豊富に流れ、子どもたちが入って遊べる川でした。

この場所に、小学校4・5年生くらいから中学生まで、夏になると数名で集まってスリリングな川遊びや、魚捕りなどを楽しんでいたようでした。中学2年生の時、誕生日プレゼントに何が欲しいか尋ねたところ、「銛(もり)を買ってほしい。魚をしとめるのにちょっと高い銛が必要だ。」と言われてびっくりしたものの、息子の要望に応えたこともあります。後になって息子自身から聞かされてドキッとしたことがあったのですが、実はここで遊ぶ中で極まれではあったものの、どうやら命の危険にさらされるようなこともあったようです。しかし、そうしたことも含め、自然と一体になり、夢中になって遊ぶ経験、年を違えた仲間との交流、時にヒヤッっとすることもあったけれど、起こったことへのその時々の対応力が、今の息子を形づくっていることも大事な事実だとわたしは感じています。

また、息子はいっとき「太鼓の達人」でもありました。学童期とはやや時期がずれますが、息子が中学校1年生の時のことです。まずは任天堂DSで「ゲーム太鼓の達人」にハマりました。その後、友達の家にあったWiiで太鼓の実打ちにもハマり、友達が息子のハマりようにWiiに接続できる電子太鼓を息子に貸し出してくれたほどでした。ピタゴラスイッチもそうなのですが、息子は小学生のころから興味をもつと満足いくまでとことんやり抜く、やり尽くすといったところがありました。この太鼓の達人にも夏休みいっぱいハマり、息子なりにものにしました。息子はゲームの先人たちの太鼓の技術を動画を使って学び、達人たちのようにゲームのポイントを獲得していくには何が必要なのかを、来る日も来る日も探求していたようです。家にあったデジカメで自分の連打の動画を撮り、どうしたら先人たちに近付けるかを試行錯誤しながら追求して最終的にはかなりのところまで習得しました。わたしは夏休みと言えどもお盆休み以外はほぼ毎日学校に出勤していましたので、ことの一部始終を見ていたのは妹です。次女がわたしに、夏休みの部活から帰ってきた兄がどうやって太鼓の達人になっていったのかを教えてくれました。

ある日、子どもたちと一緒に行ったショッピングモールの一角で大勢が集まる人だかりを見たのですが、それはまさしく、我が息子が真剣なまなざしでゲームセンターの太鼓に向かうその場所でした。母としては、ちょっと恥ずかしくもあり、また、そんな息子の姿がちょっと誇らしくもありました。落ちを付けると、この後、夏休みの宿題に全く手を付けられていなかった息子は、夏休み最終日の2日間、ほぼ徹夜で宿題を終わらせようとして、夏休み明け初日に寝不足で体調不良を起こして学校を早退してきました。夏休みの課題が「太鼓の達人:レジェンドに近付くには」だったらよかったのにと、母は苦笑いしたのでした。この後息子は本気でドラマーになりたいと考えた時期があり、主人もわたしも反対はしなかったのですが、ドラムを置ける場所が家業を営む場所、「お堂」しかないと父親に言われて、諦めました。そんな、息子が過去にドハマりした、懐かしいエピソードでした。

ハマったことに心ゆくまで取り組ませたことは、後に息子にとって大事な「宝」にはなったようです。こうした経験が、息子が一つのことにまっしぐらに向かうパワーを生み出し、大きな目標を成し遂げるための下地を作ったことは間違いないと感じます。


ここまでが原稿となります。 ⇑

なお、息子の名前の公開について
息子本人から許可はもらっているのですが
本の出版時に出したいと思い
このシリーズではあえて伏せさせていただきます。

以前の原稿をお読みになりたい方は
つたない文章ではありますがこちらからどうぞ。

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ここまでお読みいただき
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水澤 靖子
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