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偏差値30代から早慶上智合格へ👀! 甲子園を本気で目指す高校球児だった息子の子育て【認知能力・非認知能力】から見た「育ち」の検証⑤

こちらは息子の育ちを
検証している本の原稿です。

こちら「まえがき」 ⇓

第一章 第一項

第一章 第二項


今回の記事はこちらからの続きになります。


第一章  第三項
の部分が書けましたので
アップさせていただきます。
編集者の方には
投稿することを許可していただいています。

校正などで内容が変わることも
あるかもしれませんが

今後も書けたところから
こちらに上げていく予定です。

⇓ ここからが原稿です。

■第一章 息子と野球そして学力

ここで、息子○○と野球との接点、そして勉強への興味について触れておこうと思います。

息子は父親やわたしの実の弟である叔父の影響もあって小さいころから野球が大好きでした。野球をこよなく愛し、高校では県内の私立強豪校で甲子園を目指して一心不乱に野球をしていました。

地域の小規模小学校へ入学後、授業は真面目に受けてはいましたが、息子の興味関心は常に遊びと運動で、取り立てて勉強に興味はなく、小学校の時は学童野球の練習に行くための条件の一つとして、学習教材くらいはとりあえずやっていました。

中学から高校へは野球が絡んだ推薦入試で入学し、高校に入ってからは文字通り、高校球児として野球一色の高校生活を送っていました。一度だけ、初めての試験休みに遊びに行こうとしていた息子に一応「テスト勉強しないの?」と聞いてみたたことがあります。

烈火のごとく怒り「俺はいつ遊ぶんだ」と言い、腐っていました。
この時、自分で決めた「野球」に今の全てを掛けてがんばってはいるけれど、大好きなこととは言え本人の中でのストレスは親のわたしの想像以上なのだろうと感じて、そこから一切勉強のことを言うのは止めました。一つだけ、入学前に交わした約束「授業は寝ないで受ける」これだけ守ってくれればいいと再確認だけして…。

長男が高3の夏、栃木県の名だたる強豪校が全国制覇を果たしました。息子が所属していた私立高校は毎年のようにこの屈指の強豪校と決勝戦で当たり敗退していました。

息子が3年生の時、その最後の夏は相手に食い下がり結果かなり善戦はしたものの、やはりその壁は厚く、高く、甲子園への夢は叶いませんでした。

当時、息子がわたしに語った言葉で特に印象に残っていることがあります。「かあちゃん、甲子園に行くのは確率的に言ったら東大に合格するよりも難しいからね。実力ももちろんだけど、運も重要なんだよ!」いがぐり頭で真っ黒な顔で眼を輝かせながら、そんなことをわたしに真剣に話してくれました。

高校入学から2年半、とにかく、来る日も来る日も野球だけに明け暮れる毎日でした。生半可な気持ちだったら逃げ出したくなる練習量と内容に加え、ポジション争いやレギュラー争い、先輩との関係など、身体だけでなくメンタルもボロボロになるくらいの絶え間ないプレッシャーと闘う毎日です。更に、最高学年となっては、チーム内に複数いる副キャプテンの一人としてキャプテンと他のメンバーとの間を取りもちながら、精神的にも肉体的にも本当にギリギリのところで本人も相当頑張っていたのだと思います。『三度の飯より野球が好き』という野球への強い想いと、甲子園という絶対に叶えたい大きなが夢そこにあったからこそ耐えられた2年半だったと、間近でその姿を見ていた者として痛感します。後から「あの時もしかして間違ってたら 命がなかったかも…。」と振り返ることもあったほど、血反吐を吐きながらも野球に命を懸け、青春を燃やしていました。

その、甲子園への夢が絶たれた時、一時は糸が切れた凧のようになり当時はやりの「ポケモンゴー」で夜中に友達と外を徘徊したり好きに遊びまわったりと、それまで抑圧されていたものが見事にはじけるように、息子は自由に行動し始めました。しかし、わたしは容認していました。高校で野球だけ頑張ればいいと言えた理由の一つ、それは、その私立高校が大学の付属校だったからです。従って、とんでもない評定をとったりしていなければ大学はエスカレーター式で上がって行ける、そんな目論見もわたしにはありました。
しかし、ポケモンゴーに興じながらも息子は何か虚しさを感じていた…。そう、野球への夢がまだ捨て切れていなかったのです。「不完全燃焼だ、やり切れた気がしない」と。完全レギュラー出場できなかった不甲斐なかった自分を完全燃焼させたい気持ちが燻っていたようでした。

夏の甲子園が終わりに差し掛かるころ、突然「大学でも硬式野球がやりたい」と言い出しました。エスカレーター先の大学のセレクション(野球部入部推薦会)にも一応参加したのですが、実はここの大学が全国優勝レベルの大学だったため「ここでは俺は、レギュラーにはまずなれない」と、他の大学の硬式野球部を探し始めました。なんと、見つけたのは『早稲田大学』です。ここなら一般受験でも硬式野球部に入部できると自ら調べ受験したいと言ってきました。確認のために息子と2人で練習会を兼ねた説明会に参加しました。食い入るように説明を聴き練習会では質問までしています。しかし、これまで鉛筆は転がすものくらいに思っていた息子が果たして今、どのくらいの学力があるのか…。

高校の近くのいくつかの塾に足を運んでみました。話を聴いてもらえただけでも幸運だったのかもしれません。息子はやる気満々でしたが、最初の考査ではなんと偏差値30代半ばでした(大汗)。この時点で息子は事の重大さに全く気付いていませんでした。

この後息子は、半年間の猛勉強の末、早稲田大学のどの学部にも受からないというどん底を経験した後、最終的には、1年半の浪人生活を経て、早慶上智3校に合格します。

唯一、息子が幸運だったと言えるのは、英語が好きで、英語には常に自信があったことだと感じます。それには、感謝してもしきれない、息子が小・中学生時代にお世話になった大事な英語の先生、3人の子どもたちが「○○(○○○○)」と呼んで愛し、尊敬する、恩師の存在が深く関係しています。我が家の子どもたち3人とも、この先生のもとで英語の楽しさと素晴らしさを学び、この先生が大好きだからという理由で英語が大好きになりました。そのおかげで息子が早慶上智3校に合格できたと言っても過言ではありません。先生には親子ともども、心から深く感謝しています。

ここまでが、息子が大学受験をすることになった経緯や背景となります。


ここまでが原稿となります。 ⇑

なお、息子の名前そして
英語の先生のお名前は
本の出版時に出したいと思い
こちらではあえて伏せさせていただきます。

今日もここまでお読みいただき
本当にありがとうございました✨

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ありがたいことにsora予報さんが
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書いてくださいました!

こちらについては後ほど
わたしなりの感想も添えて
お伝えできればと考えています。

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