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教育データの社会実装のために優先すべき論点

株式会社Libry(リブリー)代表の後藤匠です。

今回は、「教育データの社会実装」を進めるために、優先すべき重要な論点について、自分なりに整理して書いていきます。本ブロクを皮切りに各論点ごとにマニアックに深堀っていく連載シリーズとなります。

後藤自身、2011年、大学4年生の時から起業の準備を進め、文科省事業の有識者を勤めたりしながら、EdTechという立場から教育業界や教育データに向き合い続けてきました。

「教育データ」の価値を信じる一方で、どうにも思うようなスピードで教育データに関する政策議論が進んでいないと感じています。

EdTech事業者の人たちや、各省庁や国会議員の方々などと意見交換する中で感じるのは、「論点の丁寧な整理」と「議論の幹」の必要性です。

どうにも、複雑な議論を複雑なまま「ふわっ」と議論してしまって、本質的な議論が前に進んでいない気がするのは僕だけではないと思います。

その中でも教育データの議論をする時に「まずは決めなければならないこと」について、自分なりに論点の整理をしていこうとこのブログを書きました。

また、自分の色々な方の意見を吸収して、自分の考えをブラッシュアップしていきたいので、ぜひコメントもらえると嬉しいです!(後藤の情報発信の意図は下記ブログを見てください)

これからより重要になる「教育データ」

2020年にGIGAスクール構想の早期実現が行われ、日本の公教育に急速に「ひとり1台端末」が普及しました。現在は、文科省の調査で、全国の公立学校(小中高)において、平均1.1台/人の端末配備となるまでになっています。

全国の公立校(小中高)における児童生徒1人あたりの学習者用コンピュータ台数(令和5年度学校における教育の情報化の実態等に関する調査結果(概要)(令和6年3月1日現在)

2020年時点では「GIGA端末が有効活用されなかったら、また端末のない世界に戻ってしまうかも…」と心配していましたが、次の端末更新に向けた基金も造成され、端末整備については一安心かなと思います。

端末の整理が進む中で、「端末を配備する」「使っていく」というレベルから、「どう使うか」という点を思考する自治体や学校が増えてきていると感じています。

「いかに簡単に様々なツールが使えるようにするか」「いかに子どもたちがモチベーション高く学べるか」「いかに教育効果を高めるか」など、様々な観点で考えても、教育データが貢献できることは非常に大きいです。

骨太方針2024にも、下記の様に記載されており、日本の方針として教育データの利活用を進めていこうという流れがあります。

教育データの収集・分析・利活用を促進し、実態把握や効果検証等を踏まえながら、学びの個別最適 化に向けた取組や、入学・高校入試事務のデジタル化を含む校務DXの推進に向けた取組 等を加速し、先進事例の創出と横展開を図る。

経済財政運営と改革の基本方針 2024(P14)

教育データに関する緊急性の高い論点

僕は、教育データの社会実装が進む中で、また、データを取り巻くルールを検討していく中で、下記の項目の検討を優先して進めるべきだと考えます。

■優先して確認すべき・決めるべきこと(リンクは別の記事に飛びます)
- 「教育データ」という言葉の定義
- 省庁横断で決める長期目標・KGI
- 具体的な中期目標
- 細かい論点
 - 教育データ流通システムのグランドデザイン
 - 「学習eポータル」の目的と機能を一致させるための見直し
 - 生徒を同定するID体系
 - 共有知化する教育データの項目と粒度
 - データ・オーナーシップの丁寧な整理

優先すべき論点のざっくり概要

今回のブログでは、一旦、各項の概要を説明し、細かい解説は、それぞれにブログを書きます。そのため、索引的に捉えてもらえると嬉しいです。

また、「教育データをどう使うか」というユーザーストーリー(ユースケース)の観点が抜けていると感じた方もいるかも知れませんが、それは、各論点を検討する中で当然同時に検討されなければならないものです。
独立した論点というよりも、全ての議論に含むものとして捉えており、あえて単一の論点とはしていませんので、あしからず。

「教育データ」という言葉の定義

ここまで、「教育データ」という言葉を使ってきましたが、「教育データってそもそも何を指すの?」という質問に私達は明瞭に答えられるでしょうか。

「教育データ」「主体情報・活動情報」「学習系データ・校務系データ」「学習履歴データ」「スタディログ・ライフログ・アシストログ」など様々な言葉が使われています。どの言葉がどこまでの意味を含むのかということがイマイチはっきりしません。

少なくとも、各省庁が同じ言葉を同じ定義で使えるように、「教育データ」に関連する言葉の定義の確定や教育データ標準(文部科学省)の用語の浸透を進める必要があると考えます。

省庁横断で決める長期目標・KGI

日本の教育データ政策(もとい、教育政策)におけるKGI(目標達成指標)を定め、一貫した政策が実行され、効果検証がすべきだと考えます。

教育データ政策を進める中で、「どういう状態」を目指すべきかということを明確にし、省庁横断でその目標に対して一貫した政策が行われるべきです。

令和の日本型学校教育で書かれるように「子どもたちにこうなって欲しい」という状態を目標とすべきか、教育データ利活用ロードマップで掲げられているように「誰もが、いつでもどこからでも、誰とでも、自分らしく学べる社会」という環境づくりを目標とすべきでしょうか。

また、それらの目標は「どのように計測されるべき」でしょうか。
その願いは「教育DXに係るKPI」によって、十分に評価されているのでしょうか。

教育の目標に対して、自治体ではなく、国がどこまで定めるかという点が重要な視点となります。

具体的な中期目標

遠い未来に「どうありたいか」という論点も重要ですが、「いつまでに、具体的に何を目指すか」という中期目標の設定も同じくらい重要です。

今、まさに「教育データ利活用ロードマップ」の改定に向けた動きが進んでいます。次期学習指導要領の早期実施の2028年もしくは、全面実施の2030年までに「教育データによって、具体的に何をできるようにするのか」という、子どもたちや学校現場に対しての具体的な社会的価値を定め、そこに向けた残論点を整理し、期限を切って議論を進めるべきであると考えます。

教育データ流通システムのグランドデザイン

「教育データ利活用ロードマップ改定に向けて」では、「教育分野の全体アーキテクチャ検討の視点」と語られています。

教育データ利活用に関する有識者会議(第25回)」でも言及されていましたが、学習eポータルがどのような役割を担うのかも含めて、校務支援システム、ポータルサービス、MEXCBT、EduSurvey、PDSなど、どのツールが、日本の教育データを円滑に流通させるために、どのような役割を担うのかをちゃんと定義すべきだと考えます。

これから具体的なデータ流通の議論が進む中で、「誰から、誰に、何のデータを送るのか」という議論が確定しないと、技術仕様の確定が困難になります。

次の論点からは、様々な枝葉の議論の「前提」となる可能性の高い論点であり、各論っぽいのですが、優先して決めるべき論点です。

「学習eポータル」の目的と機能を一致させるための見直し

「学習eポータル不要論」もよく耳にしますが、教育データ流通システムのグランドデザインを考えると、学習eポータルのような「ポータルの機能」は日本社会にとって必要なものだと考えています。

しかし、私も学習eポータルに関する有識者委員をやっていましたが、学習eポータルの目的と機能が、ちょっとチグハグになっていると感じ、警鐘を鳴らし続けていました。

本来の目的である「ハブ」としての機能を改めて定義し、そこに合わせた機能が実現できるように学習eポータルの役割や機能を見直すべきと考えています。

生徒を同定するID体系

子どもたちに関する教育データを、引っ越したり進学をしても継承できるポータビリティを担保していくためには、「どのIDがどの生徒のことを指すか」ということを厳密に同定するルールを決めるべきと考えます。

これは「教育データ利活用ロードマップの改定に向けて」で「主体・データの真正性の確保の必要性」でも語られています。

具体的にどうすべきかを考える際には「誰がそのIDを発行すべきか(文科省?校務支援システム?)」や「どのような技術規格で発行するか(UUID ver4?マイナンバー?)」などを考える必要があります。

共有知化する教育データの項目と粒度

これが重要である一方で、なかなか議論が進んでいません。

「教育データをみんなで共有しよう!(=共有知化)」と言いますが、具体的にどのような項目のデータを、どのような粒度で共有していくかという議論が進んでいません。

この議論を進める際には、「粗いデータだけ共有されても意味ない?」「細かい粒度のデータを集めて活用できるの?」「開発コストやサーバコストなどは効果に見合うの?」といった観点が必要になります。

ただ、これが進まないと、「教育データがどのような社会的価値を生めるか」という結論は出ないはずです。そのため、この観点の優先順位を上げて、「どのデータ項目をどのような粒度で共有していくのか」という議論をしっかりと進めていくべきだと考えます。

データ・オーナーシップの丁寧な整理

「教育データは誰のものか?」という議論は、「データは有形物ではないので、民法上の所有権・占有権の対象にならない」という結論が出ています。

そこで議論が終わるべきではなく、では「誰が」「どのようなデータに対して」「どのような権利を持っているのか」という点について、丁寧に整理をして行くべきだと考えます。

「教育データ」といっても「日常的な学習行動」「定期テストの成績」「内申書のデータ」など様々なものがあります。また、「権利」といっても「アクセス権」や「削除を求める権利」など様々な権利があります。

「教育データは子どもたちのもの!」は耳触りは良いですが、実際にルール作りをしていく中では、さらに粒度の細かい丁寧な整理が必要になります。

ちょうど、NTTCOM&デジ庁の稲田さんが「学びのデータは誰のもの?」というブログを書いていたので、理論編はこっちを参考にしてもらえれば良いかなと。

おわりに

これからは、各論点について、ひとつづつ、現状とどうあるべきかという後藤の所感を書いていこうと思います。詳細に「興味あるな」と思ったら、ぜひいいねください。励みになります!

教育データは、全部を一気に議論しようとすると、あまりにも範囲が広く、話が発散しがちです。論点の解像度があがり、日本の目指すべきすがたについて、多くの方が考えられるきっかけとなるブログになれば幸いです。

また、「これは違うよ!」みたいなツッコミも大歓迎なので、ぜひ一緒に知を深めていけると嬉しいです。

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