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音楽家がストラヴィンスキーから学ぶ事5選
はじめに
音楽史というのは「史実を正確に学ぶ」ことが目的ではありません。史実とされていることを受けて自分の音楽人生にどのように反映させるかが大切です。私達東京藝術大学大学院出身者は複数の歴史書を暗記していますが、有名歴史書同士でそう反する内容もあるものです。ここを議論する人達は単なる歴史好きであり、音楽家でもなければ芸術家でもなく、私達音楽家が議論する相手ではありません。
音楽家の皆さん、歴史をご自身の音楽人生に取り入れてください。
以下は拙著からの抜粋です。この記事が気に入って頂けましたら是非本書を手に取ってお読み頂けますと嬉しいです。最下段にリンクをご用意します
ストラヴィンスキーから学ぶことの一つ目は「変動スタイル」です。
作曲家はそれぞれ独自のスタイルがあるものですが、ストラヴィンスキーは固定したスタイルを持たずに変動させ続けました。代表的なオペラ《火の鳥》《ペトルーシュカ》《春の祭典》が美術のフォービズムのような荒々しいスタイルだと思いきや、《プルチネッラ》は新古典主義音楽として古典派のように簡素な雰囲気だったり、《エボニー協奏曲》ではジャズの要素をふんだんに取り入れたりもしました。私達も一つのスタイルに固執することなく、多くの要素を取り入れるのもいいかもしれません。
ストラヴィンスキーから学ぶことの二つ目は「革新的」です。
人々はアーティストを一度好きになったら同じような作品を期待するものです。ストラヴィンスキーのように革新的なことをやると観客は期待と異なる音楽にがっかりします。《春の祭典》には実験的要素があり、原始的なリズム、不規則な拍子、唐突なアクセント、不協和音の連続があります。これらは現代音楽の傾向としてその後引き継がれます。「初演時は多くの野次が飛ばされた」というのが本当かどうかは確認できませんが、少なからず観客は失望感を持っていたことでしょう。しかし、ここで怯んでいては前に進めません。ストラヴィンスキーはその先もどんどん革新的な音楽に挑戦しました。私達も革新的な音楽に挑戦しましょう。
ストラヴィンスキーから学ぶことの三つ目は「グローバル体験」です。
ロシア人のストラヴィンスキーはフランスを転々とし市民権を得たと思ったら、何度も渡米して最後はアメリカに帰化しました。スタイルの変動や革新的な部分が生活の場所選びにも現れています。私達日本人音楽家も島国の日本だけに留まらずグローバル体験を積み重ねると世界感が変わるのではないでしょうか。
ストラヴィンスキーから学ぶことの四つ目は「人脈」です。
天才を見付ける天才であるディアギレフに気に入られたのはもちろんのこと、ココ・シャネルもパトロンになっています。一流だから一流の人脈があったのか、一流の人脈があったから一流になったのかはわかりませんが、音楽家の人脈の大切さを教えてくれます。
ストラヴィンスキーから学ぶことの五つ目は「審美眼」です。
ストラヴィンスキーは過去の音楽や他人の音楽の良いところを見付けました。ラヴェルを「スイスの時計職人」と絶賛したり、400年前のジェズアルドの音楽に新しさを見出したり、日本では酷評されていた武満徹を絶賛したり、当初は嫌いだったシェーンベルクの十二音技法も70歳近くで自分の音楽に取り入れたりしました。日本人の美意識や文化を書いた岡倉天心『茶の本』に書かれていることを実践しているように見えます。私達日本人は特に見習うべきではないでしょうか。
まとめ
この記事が皆さんの音楽人生を変えるきっかけになれば嬉しいです。
津本幸司
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