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音楽家が現状を「しかり」と受け止める必要性

しかり

個人的に「しかり」という日本語は良く分かりませんでした。「その通りである」と言った方が分かりやすいと思います。

二十一世紀

四半世紀が経った二十一世紀ですが、125年前、1900年に没したニーチェが今を未来予想しているように、いや見抜いていたように思います。

私達音楽家も音楽人生に何の意味もなく、何の価値もなく、何の未来もない・・・そしてそれが永久に繰り返されるように感じます。確かにその通りでしょう。

しかり

しかし、どれだけ苦悩に満ちている音楽人生であっても「しかり(その通りである)」と頷く必要があるのです。
これが「強い肯定」として力を持つのです。

つまり、全面的に肯定することで、今を乗り越える「超人」になれるのです。

私は私の上に、私自身があるよりももっと高い、もっと人間的なものを見る。それに到達するようにみんな私を助けてくれ。私も同じものを認識し、同じものに悩むあらゆる人を助けてあげたい

ニーチェ『ツァラストラはかく語りき』

19歳、大学時代に上記を読んだ時、胸が燃えるような気力が湧いてきました。「これだ!」と思ったのです。「自分もやろう!」と思いました。(ご存知の方はお察しの通りこれが過去30年の音楽家コーチング活動の理由です)

本人は

上記の言葉が説得力あるのは、ニーチェ自身、生前は誰にも評価されず、本も全く売れず、気が狂って死んでいったのです。向こう125年以上数千億人を救う言葉を残して、自分は狂気のうちに逝く・・・この生き方、どう思いますか?

永劫回帰の中でどう生きるか

「永劫回帰」は少し難しい考え方なのですが、簡単にいうと輪廻転生の繰り返しバージョンと思ってください。輪廻転生だと次は馬かもしれない、ミミズかもしれないのですが、「永劫回帰」は死んだらもう一度今の自分と全く同じ人生を繰り返すというニーチェの考え方です。

だから、今変わらないと100年生きるとしたら、100年後ももう一度今と同じ無意味、無価値、無目的の音楽人生を送ることになるんです。今40歳だとしたら今変われば、100歳で死んで、40歳になる100年後にはまた変わることができます。混乱したらすみません。

とにかく、高見を目指すべきなのです。そして、「今、高い場所に到達するように助けてくれ!」と大声で言ってください。

恥ずかしくないです。私も今でもコーチに毎年電話をしてそのようにお願いしています。

そして上記ニーチェの言葉通り、同じものに悩むあらゆる音楽家を助けるのが本分だと考えています。

このままだと?

このまま現状を否定していると、逆に永久に無意味、無価値、無目的の音楽人生から抜け出すことはできません。

少しでもこの記事が音楽家のやる気に繋がれば嬉しいです。

よろしければ書籍もご利用ください。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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津本幸司

(伝授します)

10年ぶりの開催ですが「音楽哲学セミナー」企画中です。高見を目指す方への助けになれば嬉しいです。
気になる方はスタッフにメールください(「9月先行情報ニーチェ係 氏名」とasiansoundinternational(アットマーク)gmail.com)


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津本幸司
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