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ドーナツの穴を売るアイドル

#永遠なるものたち読書感想文

たまちゃんのことが好きだから、せっかくの機会に感想文を書きたいと久しぶりにnoteの更新に至りました。
年明けに届いたサイン入りの本を何度も読み返して、たまちゃんと2人で話しているみたいな気持ちになって、とても楽しかった。

先日の絵恋ちゃんとたまちゃんのツーマンで、たまちゃんのおたくは長文が得意というお話をしていたけれど
長文は時間も空間も年齢も超えて2人で話しているみたいになれるから好き。

本の中には私が思うよりずっといろいろなところでいろいろなことをしているたまちゃんがいて、
ほとんどが知らないたまちゃんなのに、彼女の声で再生される読書は地下アイドルとして私たちの前に立っているたまちゃんと同じリズムでとてもすんなり読むことができた。
(「骨折」だけ、たまちゃんが骨折している写真を見たことがあったのでなんだか馴染みのある感じが不思議でおかしかった。)

無いの輪郭

「永遠なるものたち」は、「股下三角」と「ドーナツの穴」の例えから始まる。
どちらも空白の隣には存在があり、当たり前だが穴以外の部分があるからそこには穴がある。無いの隣には在るがある。
ないものへの憧憬は、ないものとあるものの境界線をなぞるようなことかもしれないと思う。
たまちゃんの言葉でそれぞれの穴の輪郭がくっきりと描写されていくごとに、その隣にある失われた自分自身にも愛着が湧いてくるような気持ちになった。

30点

私がたまちゃんを初めて知ったのは2014年ごろのTwitterのTLで、そのころのたまちゃんプロフィール欄には「モデル、DJ、司会などを30点くらいでこなします」と書かれていてなんだか変な文だから印象に残っていた。
その年の暮れに別のアイドルのライブを観に行ったらちょうどたまちゃんが司会をしていて、初めて彼女のライブを観て、私は一発で彼女を好きになった。
「ねえ王子」が本当に素晴らしかったから。
その曲にはお客さんと一緒に踊る振り付けがあり、それは子供の頃に遊んだ手遊び「アルプス一万尺」になっている。
たまちゃんの真似をして子供みたいに手を動かせば、ステージのたまちゃんと客席の私たちがイメージの中でそれぞれに手を合わせることができる。
それから彼女のライブに行くようになって何度もその曲を聴いたけれど、振り付けと曲とたまちゃんのアイドル性が奇跡的なほどにマッチしていて、本当に幸せな気持ちになって大好き。

違和感のあったプロフィール欄も、なんだかスッと腑に落ちた。
たまちゃんは満点だけど、その一文は自虐や謙遜じゃなくゆるい雰囲気にちょうど良くて。

優しい余白

ある日のライブで、歌声があまりにやさしくて1曲目から泣いてしまったことがあった。
「やさしさ」にもいろいろあると思うけれど、彼女のやさしさは、自分自身を客席にあっさりと放り投げてくるようなやさしさで、そんな彼女の余白に私はすっかり安心して泣いてしまった。
彼女が歌っている間はいつも好きなことを考えることができる。
そういう余白も、きっと彼女が自分自身よりも失われたものたちを見つめているからなのかもしれないと思った。

たまちゃんか作る空間が大好き。歌声の答え合わせのような文章も好きです。
いつまでも元気でいてください。

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