令和六年七月廿八日『第六回 黒酒ひとり』於・なかの芸能小劇場
今回のテーマが『長講やりたい』。
「本当に長講がやりたかったのか」と聞かれると「そうでもない」。
ただ毎月のテーマに困っていたし、勉強熱心でありたかっただけ。
という事で【子別れ通し】に挑戦。
70分くらいか。
得るもの多かったー。
◎初天神
【子別れ】と、もう一席何やろうか。
何やっても蛇足な気はする。
何より子別れの稽古しながらもう一席稽古するのもしんどい。
というわけで稽古しなくてもできる【初天神】の金坊を亀坊に変えて、
先日の大阪に帰った時の天神祭のことを交えつつ子別れのエピソードゼロとしてやってみた。
子別れにも出てくる饅頭屋をチラっと出したり……。
まあ小癪。
しかしグッとまとまった感じはする。
◎子別れ・上
正直なところ面白い噺ではない。
遊び慣れた噺家が、常連のお客様に「こんなのもありますよ」程度にやってご機嫌をうかがうような噺。
楽しくやりすぎると後半と別人のようになりかねないので、あまりふざけることもできない。
ここをそのままやって面白可笑しく喋れたら、もう十分かもしれない。
言葉の端々に「これ伝わるのか?」が多過ぎるので少し直したい。
◎子別れ・中下
雲助師匠に上げの稽古で聴いていただいて、まず最初に言われたのが。
「ガラだな」
という。
思わず「はい?」と言っちゃったんだけど、
まぁ早い話が【子別れ】はガラに合ってるからどんどんやっていけとのこと。
嬉し。
それから人情噺は泣かせる噺じゃなくて、お客が聴いて同情して泣く噺。
「泣かせようとするのは悪い奴」だそう。
へー。
よく子別れの話で「熊五郎と復縁できるか?」みたいなのがある。
いくら真面目になったとはいえ熊五郎のしてきたことは許せないんじゃないか?
現代だったら絶対無理──みたいな。
なので私も『時代背景だったり子供の事もあるし、酒を飲まなきゃ良い人だと知ってはいるから、全部を水に流すことはできないが復縁する』みたいな解釈でやろうと思っていた。
私の死んだ親父も手が震えるくらいには酒好きで、よく母に怒鳴り散らかしていた。
母の泣きそうな顔もよく覚えている。
なので母も父のそういう面は嫌いで我慢しているものと思っていたが、
実家に帰った時にその時のことを聞いてみたら、まーーー父を庇う。
「会社で嫌なことがあったんやろ」とか「楽しみのお酒くらい飲ませてやってもいい」とか。
まぁそういうことを母から聞いたんで、
許すとか許さないとか、真面目になったんなら復縁するとか、
そういうことじゃないんだな、ということで、
マクラでちょっと両親のこと喋ってから【子別れ】やってみた。
もう同じ事はできないかな。
終演後、願わくばもっとたくさんの人に聞いてもらいたかったと思う。
もっと自信を持って「是非」と言えれば良かったけれども、
いかんせん自分でも自分の高座は当たり外れ激しいのがわかっているので(原因は主に不摂生)、なかなかどうして。
諸々ちゃんとしないと。
ぶつくさ。
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