第四回 幾代餅
短いし、皆んなに知ってもらいたかったこともあったので今回は無料。
上級者向け。
なんか思い出したら随時更新。
二ツ目になって一年。
普段あまり落語を聴かない人の前で落語をする機会が増えたもんで、
覚えたい噺とか珍しい噺ばかりでなく、分かりやすい噺を覚えなくてはいけなくなった。
じゃあどんな噺が分かりやすいだろう? と思い、色々うかがってみたら、
「【井戸の茶碗】と【幾代餅】は持っていると便利」
とみんな言うので、【幾代餅】を覚えることに。
志ん生(?)→馬生→雲助→私
またしても雲助師匠に稽古をお願いした。
雲助師匠の稽古は、噺の音源を渡されて「これで覚えて」というもので、
覚えたら聴いてもらうというのが基本。
「国宝になって、後進の育成の為に国から年間200万円貰っているのに音源で覚えるの?」
とお思いの方もいらっしゃるかもしれないが、
雲助師匠の所には毎日のように「稽古お願いします」と他協会からも来るので、効率を考えたらこのやり方が1番なのだ。
まぁ……ただ稽古をつけるのが面倒臭いというのもあると思うが。
で、音源を貰ったが、データが壊れていたので、
動画サイトにあった雲助師匠の【幾代餅】を観て覚えることになった。(いいのか?)
【幾代餅】を高座にかける時は、『清蔵が幾代に想いを伝えるところ』を本気でやって純愛物にするのが、よく言えば伝わりやすい、悪く言えば騙しやすいだろうなぁと思っていたが、
雲助師匠に覚えたものを聴いてもらったら、
「おかみさんは搗米屋のしっかりしたおかみさんで、清蔵のことを本気で心配しているが、恋煩いと聞くと下町の女になる」
とか、
「親方は江戸っ子で威勢のいい話が好きだから、ここの『しょうがねぇなぁ』の言い方はこう」
とか、
「竹庵先生はみんなの知らない遊びを知っているから、ここは確かめるようにゆっくり」
とか、
そして何より、親方が清蔵に着物や長襦袢や帯を用意する場面では、
『清三の感情の流れはこうだから、それで清蔵は感極まって泣いてしまう』ということを分かりやすく教えていただき、
なんとなく笑いの為に清蔵が泣いてると思っていた私は私が恥ずかしくなった。
当たり前だけど単純な噺じゃないなぁ、と。
そして純愛物にするのは嫌だなぁ、と。
私の【幾代餅】の好きなセリフは、親方の、
「長襦袢を見てみろ
下が絞りになってんだ
コレは俺の親方が自慢に着てたんだ
それを俺がもらったんだ
あんまり袖通してねーや
着ていけ」
ってんで清蔵に長襦袢を貸すところ。
親方が、自分の親方の形見を貸してくれるのだ。
泣いちゃう。
こういうの弱い。
それで私がやる時は『親方と清蔵のやりとり』に大事にして『花魁に想いを伝えるところ』は少し抑えめにすることにした。
ちなみに稽古の後、
「高座でかけるから正面で見ていいよ」
と、浅草のトリで【幾代餅】をやっていただいた。
心なしかアドバイスをくれた点をより丁寧にやっていただいた気がする。
しかし、よくよく考えたら『国宝が自分の為にタダで、しかも寄席のトリで【幾代餅】やってくれている』という状況、とんでもなく贅沢ではなかろうか。
で、雲助師匠の上げの翌日にネタ下ろしをした。
ちょっとアドバイスが多過ぎだったので修正し切れず、
なんというか全体的に江戸前な【幾代餅】になった。
聴いた後に何も残さない様な、これはこれで良いような。(噛んだり言い淀んだりしなければなお良し)
というか、上げの稽古で何度も絶句したのにネタ下ろしして良かったのだろうか?
まぁ、いいか。
噺の終盤。
幾代餅が江戸中の評判になってからの江戸っ子同士の会話で、
「おう、食ったかい幾代餅よ」
「なんだい、幾代餅ってのは?」
「○ね! 江戸っ子のくせに幾代餅知らねーとは生かしときたくねぇ野郎」
というのがある。
これは雲助師匠曰く、
「『生かしときたくねぇ野郎』ってのは、ウチの師匠がよく言ってたんだ。
だからこれは一門の言葉だな」
とのこと。
馬生師匠が使っていた言葉を落語に入れて残しているのだ。
泣いちゃう。