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【8日目】雁風呂
今はほとんどやられない噺で【雁風呂】というのがある。
何故やられないのか? 極端な言い方をすると面白くないから、だと思う。
味わいはあるんだけど……うーん……味わいしかない。
我々の方ではこういう噺を『儲からない噺』という。
でもあくまで『ほとんどやられない』だけでたまにやる人がいる。
大師匠雲助も稀にやる。
雁風呂をやる人は【雁風呂】なんて噺を何故覚えようと思ったんだろうね──なんて、前座同士で喋ってた時の話。
初天神の団子の蜜
雲助師匠の【初天神】では団子の蜜が垂れない。
だいたい蜜が落ちないように手で受けたり、団子からクシへクシから手へと伝ってくる蜜を舐めたりするもんだけど、雲助師匠はそうしない。
団子屋を睨みつけながらただただ舐めている。
蜜がねっとりしているから垂れないのかな? なんてお客さんは思うだろう。
ただ、これを私が雲助師匠に教わった通りに蜜を舐めると、
「なんで蜜が垂れないんだ!垂れないんだったら舐める必要ないだろう! 表現力不足!」と言われる。
説得力の差。
この差は何か? と考えたときに──芸の未熟さ、年齢とか階級も勿論あると思うけど──もしかしたら【雁風呂】のような噺に取り組むような姿勢、積み重ねてきたものに依るんじゃないだろうか。
雲助師匠が怠け者で噺を十席くらいしか持ってなかったら「なんで蜜が垂れないんだ!」と言う人が現れていたかもしれない。
【初天神】で喜んでもらうためには【初天神】だけ稽古していればいいというもんじゃないのでは?
雁風呂を覚える理由
「珍品というところでお客さんに喜んでもらうため」
「誰もやらずになくなるのが惜しいから」
「他に覚える噺が無くなってきたから」
色々あると思うけど一番の理由は『芸のためになるから』なんじゃない?
楽しい噺ばかりやっていると、
「アイツはウケりゃいいと思ってる」
と言われかねない。
──というようなことを後輩前座の菊一に話したら、
「前座がうるせえ」
と言われた。たしかに。
とりあえず雲助師匠に雁風呂教わりました。
いつかどこかで。
8/40 鈴本演芸場 八日目
【子ほめ】
疲れが取れず、稽古が全くできなかったので稽古しなくてもできる【子ほめ】を。
ちなみにどれぐらい疲れていたかというとこれぐらい↓
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相当疲れていることがわかると思う。