【2024/5/5】大阪府大東市【野崎詣り】
大阪府大東市というのは私の生まれ育った町。
5/4が名古屋で仕事だったので、東京へ戻らずそのまま帰省した。
昨年心臓の手術をしてから母は元気がないので、県外で仕事があればなるべく実家に寄るようにしている。
家に帰ると母とセンサーミュージックバードが出迎えてくれた。
センサーミュージックバードとは、前を通るとセンサーが反応してピヨピヨ歌ってくれる鳥のおもちゃだ。
話し相手になるし可愛いからと購入したらしい。
「認知症予防にもなるしペットでも飼ったらどうか」と私がすすめると「私が先いなくなったらかわいそう」と母。
おもちゃの鳥が最善なのだろうか。
大阪府大東市では毎年五月一日から八日まで『のざきまいり』という行事がある。
無縁経のご開帳に本尊十一面観音立像にお参りをするという元禄時分からの行事で、
当時は屋形船やなんかで気軽にお参りをできるところから人気を博した。
上方落語【野崎詣り】の舞台でもある。(地元の噺なのでいつか絶対やりたい)
「出身地どこ?」
「大阪府大東市で、上方落語の野崎詣りの舞台になっているところです。住道の近くですね」
伝わったことない。
古典芸能で言えば『曽根崎心中』や『女殺し油地獄』にも のざきまいり は登場するよ。
野崎駅から野崎観音(慈眼寺)までズラーっと出店が並んでいて、私が小学生くらいまでは毎年遊びに行っていた のざきまいり。
せっかく開催時期に大阪に帰ってきたので、約25年ぶりにお参りに行くことにした。
母が「ええなぁ」と言うので、「行く?」と聞くと「行く」。
実家の最寄駅、住道から野崎駅へ。
電車で一駅。
2分で着く。
子供の頃は自転車で行った。
今なら余裕で歩けるが、足の悪い母と一緒なので電車。
落語の世界では寝屋川を船で遡りお参りしたと言うが、
まぁ綺麗な川ではない。
この濁って何も見えない川を征くのは今は無理だろう──と思ったら、
現在でも野崎詣りクルージングがあるらしい。
臭いとか平気なのかしらん。
野崎駅から慈眼寺へ向かう。
まぁ人、人、人。
とてもじゃないが母を連れては歩けない。
比較的人の少ない出店の裏側を歩く。
しかし25年ぶりともなるとずいぶん出店の様子も変わった。
食べ物の種類が増えて、値段が上がって、店の人がやさぐれているしとっぽい感じがする。
まぁ美化した昔と比べているだけかもしれないが。
とりあえず食べたいものがある。
唐揚げだ。
今は唐揚げ一つとってもいろんな専門店が店を出しているが、
なんといってもこのオレンジと白のカップの唐揚げ。
このカップずっと変わってない。
で、こういう場で食うこの唐揚げがまぁ美味い。
「全然生じゃねーか」「衣がベトベトじゃねーか」とは思ったけど(店選び失敗したかもしれん)それでも美味い。
缶のみかんのシロップ漬けを凍らせてかき氷にした(?)やつ。
母が食べたいというので買ってみた。
私の頃にはなかった食べ物。
儲かりそうだなーと思った。
母は「酸っぱい」と言っていた。
串といったら以前は焼き鳥くらいしかなかった気がするが、今は牛タン串を初め、ありとあらゆるものが串にブッ刺さっている。
『200円』と書かれていたので「安すぎる!」と買ってみたら800円。
よーく見ると『200円』のわきに小さく『引き』と書かれていた。
やられた。
こういう店多いぞ気をつけよう。
そういや、私が小学生の頃は遊戯王のカードゲームが大流行していたので、
くじ引きの景品がレアカードだった。
『死のデッキ破壊ウイルス』が当たった! と思って喜んだがちゃんと偽物。
そんなこと思い出した。
大玉たこ焼き。
たこ焼きはハズレなしだった。
母も喜んでいた。
一通り堪能して慈眼寺を目指す。
飯盛山の麓にあるので石段を150段、76になる母を休ませ休ませ登る。
出る時に水分持ってきてよかった。
しかしいくら母が「行きたい」と言ったとはいえ、こんなに疲れさせると罪悪感のようなものも湧いてくる。
無事に登り切った。
「よー頑張った、偉いなぁ」
と言ったのは私の方。
いつの間にか逆転するものなのだと思う。
母を日陰で休ませている間、私は目当ての一つである御朱印をいただく。
私は落語の聖地になっている場所の御朱印を集めているのだ。
んー、殿の字が下手かもしれない。
休んだ母と慈眼寺本堂へ。
私はしっかり座って手を合わせてお願い事をした。
母は立ったまま賽銭箱の真横からノールックでお賽銭を放り投げ、手も合わさず願い事もせずで、なんだか「めちゃくちゃ昔の人だなぁ」と思った。
一生懸命登ってきたのに。
当日は境内の建物(名前忘れた)で上方落語が無料で聴けたが、母は落語に興味がないので、お参りをした後は休憩所で少し止んで石段を降りた。
降りるのは比較的楽だったようだ。
駅へと戻る道すがら「ベビーカステラを食べたい」と言う母。
こういうところで食べるベビーカステラは大して美味くないのを知っているが、
「美味しくないよ」と言って買わないのと、美味しくないと知ってても「食べたい」というなら買ってあげるのとではどっちが親孝行なのだろうか。
美味しいことに賭けて買った。
食べながら、
「良い思い出になったわ」
と、やはり硬くてパサパサで美味くないベビーカステラを食べながら母は言った。
「良い思い出になった」って、
何かしてやるたびに言うけど、
どことなく、別れの挨拶にも聞こえるんで、
やめてほしかったりする。
こどもの日。
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