令和六年七月十九日『金曜日ノ夜♯4』於・落語協会二階
何を勘違いしたのか、7/19開催と謳っておいて協会の二階を押さえていなかった。
「これは急いでお客さんに中止連絡だ!」
と焦ってドタバタ動いていたのだけれど、幸いこの日に他の落語会はなく、
圓十郎師匠が稽古で押さえているだけだったので、
すぐに圓十郎師匠に連絡をして場所を譲ってもらって事なきを得た。
もし誰かが落語会を開催していたらえらい事になっていた──が、会の直前にそんなことがあったので噺の方がえらい事になった。
◎粗忽の釘
ネタ下ろししたばかりなので忘れないうちにもう一回。
7/19時点では【粗忽の釘】は『お客さんの前では演ってもいいけど、上げの稽古はまだ』という状態だったので、これといった工夫はしていない。
しかし工夫をするとなったらどこを膨らませるか、なかなかセンスが問われる噺である。
粗忽を膨らませすぎて「ヤバいやつ」にはしたくない。
せっかく引越しの段から覚えたのでこの部分も何とかしたいが、
志ん朝師匠曰く「噺の面白くないところはやらなくていい」とのことなので、
面白いとこつまむでいいのかなーとも思う。
市馬師匠の粗忽の釘なので歌入り。
「そっちは面白い顔してるからこういう噺は合ってるよ」
と褒められた(?)ので、どんどん演っていきたいが一旦寝かせる。
◎野ざらし
好きな噺なのでどうにかしたい。
一人キチ◯イを二人キチ◯イにしてみたり色々イジっている。
しかし誰もやってないことをやる、人のいないところを行くというのは、程が過ぎると良くないなーというのも感じた。
もう一度正統派で真っ直ぐやってみようかな。
◎景清
定次郎が目を諦めてあんまになる一番の理由を、
『何をやってもダメだから』とか『日朝様の仏罰を被ったから』ではなく、
『自分が目を諦めないでいると周りに迷惑がかかる』『仲間に気を遣わせて申し訳ない』という風にしていますが、もう少し言葉がまとまったらと思う。
言葉を尽くすとくどくどしくて聴き手の頭に入らない気がする。
景清の念仏は、雲助師匠も、その元となる黒門町のものもだいぶ適当で、
私も何の疑問も持たずに適当にやっていたのだけれど、
「おそらく目が開かなくなったのも女遊びのせい。
日朝様の前で女に手を出そうとするし観音様には観コウ!と喧嘩を売るような奴。
こんな奴が信心のために念仏を覚えていくわけがない」
と、昔の名人は言っていたんだそう。
なるほど納得。
逆に【心眼】はキッチリ覚えなきいけないとのこと。
今回は三席全部歌入り。
さて、今回でこの『金曜日ノ夜』は一旦お休み。
仕事が少ない月に二ヶ月前くらいから会場を押さえて開催していたのだけれど、
いざ開催月になると、なんやかんやお仕事を頂戴して、そして独演会がやたら増えてきて手が回らなくなってきたというのが一番の理由。
まぁ、死ぬ気でやれば全部できないこともないのだけれども……。
とはいえ、どうしても稽古したい噺があれば今後は、
「急ですが来週開催します」
という風になるかもしれません。
その時はよろしくお願いいたします。
ぶつくさ。
また、こちらの会では売上の一部を石川県に寄付しておりまして、
4回の開催で19000円を寄付することができました。
ありがとうございました。
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