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【自分史:学生編🏫】自分を曝け出すことを知らず、努力を知らず、承認欲求に溺れた学生が、とあるキッカケから”頑張るっていいな”、”好きに素直になるっていいな”を知る話

おはようございます。こんにちは、こんばんは。

最近一人の時間が増えて、思考の整理の一貫で自己紹介のnoteを書いて見ました。

何かノウハウが書いてあるとかではなく、タメになるかでいうと多分そんなことではなく、一般男性の普通の自分史です。何かのキッカケで僕のことがどんな人なのか興味持っていただいた方はどうぞ🌸※7000字あるので結構長いです...!

自己紹介

泉水 太雅(せんずい たいが)と申します。箇条書きで情報を書くと下記のような感じ。

・1994年12月8日生まれ、26歳
・出身:練馬区生まれ練馬区育ち
・高校:日本大学第二高等学校
・大学:明治大学 経営学部 経営学科
・趣味:サウナ、お笑い、お酒、服

苗字が珍しいので「どこの地方出身なのですか?」とよく聞かれるのですが、バリバリ都内出身で両親も練馬区生まれ。理想は「地方出身で、地元には同じ苗字たくさんいるんですよ!」とかジモトークしたかったです。(まだセンズイという名前には実際会ったことないですが、千葉に生息しているらしい。)

”太雅”という名前の由来は、「明るく活発に壮大さも持ちつつ、優美さや煌びやかさも持ってほしい」という意味。なんだか太陽と月の両方を司っているみたいな感じがして、自分の名前は気に入っています。父が「雅洋(まさひろ)」という名前なので、そこから”雅”の漢字をもらっているのもあります。

苗字の”泉水”も、”泉”は「トレビの泉」があるように願いが叶うだったり、オアシス的なポジティブなニュアンスが含まれている気がするし、誰とも名前被りしないので初対面でも名前でインパクトを残して覚えてもらいやすかったりなど、総じて親に感謝しています。

利き手が少し特殊で、書く・食べるとかは左ですが、打つ・蹴る・投げるなどは右です。ラケット系(バトミントン・卓球・テニス)などは左。スノボーはレギュラー(右)だったり、無意識に使い分けてます。同じような人いたら教えてください。

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実家のプードル(4匹)

幼稚園〜小学生:スクールカーストのトップにいたい。承認欲求爆発(1997〜2006年)

幼稚園の頃からゲームが好きで、家がめちゃくちゃ大きい友達のゲームボーイを借りてポケモンの金・銀をやっていました。ただ、自分ではゲーム機を持っていなかったため、家が大きかったり、ゲームボーイや64を持ってる家庭・友達が羨ましく映ってました。

自身の家庭は決して貧しくはなく、ベンツで毎日幼稚園を送り迎えしてもらうようなむしろ満足した生活をさせてもらっていました。ですが、「なぜうちにはゲームボーイカラーとポケモンがないんだ。周りと同等か、もっと裕福な生活が出来たらいいのに。」と生意気ながら思っていました。小学1年生になって、ゲームボーイアドバンスとポケットモンスター「ルビー」「サファイア」の両ソフト買ってもらいました。今思うと全然贅沢です。

ただ、当時の自分は「周りが持っているなら自分も持っているのが当たり前。そこから加えて、周りが持ってないものを持つことがステータスになる」なんて思っていました。生意気ですね。

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1つ上に姉がいます


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金髪の幼稚園時代

小学校に入った後も、幼稚園の時同様、周りと比較する癖がありました。「学校の中ではどうしたらヒエラルキーの上層に居られるのか」というのをよく考えていました。陽キャとしていたいし、女の子からはモテたい。周りと比較して自分がどうかを考えていた結果、自分がAをしたら相手はどう感じるか?自分をポジティブに捉えてもらうために何をしたらいいか?ということが常に頭にありました。また、当時母親に「自分がされて嫌なことは人にしてはいけない」と口酸っぱく言われていたこともあり、この頃から感情察知の感性がかなり尖っていたと思います。

小学生と言えば、足が早ければモテる時代だと思いますが、特に足の速さが秀でてもない自分は、「他と差がつけられてスゴいと思われる分かりやすいものはなんだろう?」と考え、当時は勉強を頑張ることにしました。1つ上の姉もテストで高得点を取っていたのを勝手にライバル視していたのもあり、おかげでテストは基本80-90点前後だったかなと記憶してます。

実際に成果を出して親や友人から褒められるのも嬉しかったし、周りから勉強で頼られたりすることも、自分が必要とされている感じがあり、嬉しかったです。承認欲求とおもてなし精神が高い小学生だったかなと思います。

思い出すと恥ずかし面白話ですが、仲良くなった友人いつメン4人組みたいなのができた時には『F4』なんて呼ばれるくらいになりました。ただ、学校の先生には「お前らいつもくっついて動いて...金魚のフンか!」って呼ばれてました。その4人とは今でも仲が良いです。

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金魚のフン

中学生:体たらくな生活、卒業式で感じる大きな虚無感(2006〜2010年)

地元の公立中学に入学。中学校時代は総じて体たらくでした。部活に入るものの、ほぼ幽霊部員。友達と毎日公園やらゲームやらをして遊び、帰宅して平日18時からアニマックスにてドラゴンボールZをメインに色んなアニメを見て寝る生活。モンハンも1000時間以上やりました。そして反抗期も少しやってきて母と喧嘩する日々。足が早かった人がモテる時代は終わり、中学はちょっとやんちゃな人がモテる時代になったこともあり、表層的なオラオラぶりを発揮していた気がします。

中3になっても受験勉強という勉強もせず。内申(成績)がオール4くらいあったので、内申を使って高校入試は私立の専願推薦を選び、小論文600字と面接1回で終了。遊び呆けてました。

努力もせず、やんちゃしているのがカッコいいと思っていたし、実際それでカーストの上層っぽい扱われ方をするのに不満もなかった生活でした。

そしてあっという間に卒業式。卒業式では、野球部は野球部、サッカー部はサッカー部、バスケ部はバスケ部....各々の部活たちが集まって涙を流しながら卒業を惜しんでいました。

それを目の当たりにした時、自分がずっと遊び呆けていた中で、周りの子たちは何かに没頭していたことに気付き、「自分は3年間何をしてきたんだろう」と強い虚無感・劣等感に苛まれました。

自分も何かに取り組んでおけば良かったという後悔と同時に、「高校に入学したら絶対何か打ち込もう」と強く決心しました。

そして高校生活が始まります。

高校生:ダサくてもいい。努力によって「やれば出来る」の自信を持つ(2010〜2013年)

何かに打ち込みたいなと思っていた高校入学直前、ちょうどハモネプにハマっていて、不定期に開催される番組を見ていたら、京都大学『A-Z』というバンドの『うれしい!たのしい!大好き!』に衝撃を受けました。録画をDVDにダビングして何百回も見ました。今聞いても全く色褪せなくてめっちゃ好きです。

A-Z うれしい!たのしい!大好き!

カッコいいなと感動、けど自分は歌が得意じゃない。そんな中目についたのがプカツカ言ってる人、ボイスパーカッション。

「これだ!」と思い、毎日パソコンにかじりついて、YouTubeでヒューマンビートボクサーDaichiの動画や、HIKAKIN、海外のビートボクサーの動画ををひたすら見漁り、独学で練習しました。

Super Mario Beatbox  by HIKAKIN

部活動は、文化部ではなく運動部に入ってひたすらに打ち込もうと思い、未経験ながら水泳部に入部しました。①水泳に苦手意識はなく、むしろ好き②個人競技なので団体競技より未経験でも始めやすい(足を引っ張らない)、という理由が決め手でした。

高校は中高一貫校で、水泳部は中学生・高校生が一緒に練習する形式でした。自分は未経験な一方、小学校から水泳を習っている子も多く、中1の女の子よりも自分が遅いなどもザラでした。

また、水泳部は学校の中でもトップレベルに厳しいと言われている生活指導の先生が顧問だったのでめちゃくちゃに体育会系で、挨拶や礼儀など叩き込まれました。

自身の中学の時の後悔の念が呪いのように常に付き纏い、プライドなどは一切捨てて「ダサくても不恰好でも、とにかく経験者・周りに追いつけ追い越せ」とひたすらに努力しました。また、自分は水泳の速さやテクニックでは他のメンバーに劣るけれど、チームを鼓舞する存在として役目を果たそうと取り組みました。

これまではスクールカーストの上位にいることばかりを考え、自分がどうしたいかより、どうしたら評価されるかばかり考えていた自分でしたが、自分がやりたいと思ったことに没頭し、そして成果が上がること・自身がチームに貢献できることを見つけ、パフォームするの面白さを部活を通じて得られました。

中学時代の”呪い”によってモチベートされていたのもありましたが、部活で厳しい状況におかれる度に「どうしたら自分自身をモチベートさせられるか」や役目を果たすために「チームのメンバーの士気を上げるにはどうしたらいいか」などを考えることが増え、”心理を科学する”ことにも興味関心を持ち始めました。

結果として水泳部では自分的にはやり切ったと言えるくらいの成果を出して終えることが出来ました。(怖かった顧問の先生も最後の大会では泣いて喜んでくれました)

中学の時は側から見ていただけだったのが、あの時に見た光景の当事者に自分がなることができました。こうして「何もやらないままだと後悔という1つの選択肢しか残らない。チャレンジしてみたらもちろん失敗するすることもあるかもしれないけど、成功という選択を持てるのはチャレンジした人だけだ。」と思いました。

振られる可能性はもちろんあるけど、石原さとみと付き合える人は石原さとみに告白した人だけですよね。的な。

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部活が終わると控えるのは大学受験。日本大学付属の高校だったので、正直そのままエスカレートで上がることもできました。ただ、中学の時も推薦で特に努力することなく進学していたので、「努力しなかったら中学の時みたいに後悔する。勉強も努力してみよう、自分ならやればできる」と、一般受験を志すことを決意しました。

24時間ストップウォッチを起動し、食事・睡眠・移動など、全ての行動の時間をアプリで記録。とにかく時間の捻出に励み、月間400時間以上勉強していました。そのうち学校に通う時間・コンタクトをつける時間・髪を切る時間・おまけに友人と会話する時間など、勉強以外の時間全てがもったいないと感じるようになりました。

「数ヶ月怠けて今後永遠に後悔するよりも、数ヶ月自分に鞭打って、あの時やっておいて良かった!って思う方が良くない?笑」と、友達に話し一緒に登下校するのとかも全部断るようになったり、朝礼中に英単語帳を読んでいたら先生に怒られた時「先生が怒っているこの3分で10個は英単語覚えられるんですけど」と逆ギレしてました。なかなか気色悪い。(笑)

受験先は、水泳部の経験を通じて人の心理やモチベーションを科学するマネジメントに興味があったので、経営学部を受けていて、結果として明治大学の経営学部経営学科に合格しました。

部活や受験を通して、努力の大切さを強く学んだ高校生活でした。

大学生:有限なのはお金ではなく、時間。今しか出来ないことに取り組もう(2013〜2017年)

話は飛びますが、父は自営で建設業をやっていて、朝5時くらいに家を出て22時くらいに帰ってくる、そんな働いている背中を小学生の頃から見ていました。なので、大学生になった自分は「社会人になったら、働いてお金を稼ぐことはできても長期の余暇を作ることは難しく、時間の制約が大きい。大学生の今、時間がたくさんある中で好きなことをたくさんしよう!」というマインドでした。

実際に高校卒業後、大学へ進学せず就職していった友人も「お金はあるけど時間がない」と口を揃えて話していて、やはり時間ある今しか出来ないことをしようと考えました。

・課外活動
冒頭の自己紹介で出身の話をしたように、自分は東京生まれ東京育ちです。「東京という枠に閉じこもらずに、色々な環境に身をおいて刺激を受けたい」と考えてた自分は、ミーハーながら海外に興味を持ちます。金銭的に長期留学は難しかったですが、アメリカのオレゴン州ポートランドに1ヶ月留学、オーストラリアのシドニーに1ヶ月留学に行ったり、国内・海外旅行に複数出かけたりしました。(ヒッチハイクとかもしました)

・アルバイト
ファッションに興味があり「WEGO」というアパレル店で販売員のアルバイトを始めました。大学卒業のタイミングで辞めたので退職したのはもう4年以上前ですが、先日当時のメンバーたちとテレビ電話飲みをしたりと、今でも交流があるくらいアットホームで恵まれた環境で働くことができました。

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WEGO 吉祥寺PARCO店

・サークル
ハモネプが好きで高校の時からボイパをやっていたこともあり、アカペラサークルに入りました。ディズニーランドのステージで演奏することを目標に、慶應・上智・学習院の子らとインカレバンドを組んだり、東日本大地震の被災地気仙沼市・女川市にアカペラを通じたボランティア活動を行ったりしていました。ディズニーランドでの演奏は叶いませんでしたが、イクスピアリの大きなステージで歌わせてもらったり、高校当時画面越しに見ていたハモネプ出演バンドメンバーの方に会えたりで、とても刺激的でした。

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イクスピアリでの演奏

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アカペラサークル『Sound Arts』

グルメサークルにも所属していました。キッカケは、グルメに興味があったいうよりも、自分たちの代がまだ2期目なのにもかかわらず、ものすごい人気のあるサークルになっていて、1期目の代表のコミュニティや事業の立ち上げ力がすごいなっていう尊敬から入りました。

ここでは最高にバイブスの合うメンバーと出会えて、楽しかったです。

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グルメサークル『Emoh』

・ゼミ
「日中比較経営論」というテーマに掲げるゼミに入りました。(先述したように、海外に興味があったから)実はゼミ試が人生における一つ挫折で、努力が報われなかった出来事です。当時の選択肢は、①1次試験で無難なところを受けて合格するか、②1次試験時からトップを狙う。もし落ちたら1次で受けていたら入れたであろうゼミにも入れない。という2択。

大学受験でエスカレーターで大学に上がらずリスクテイクして結果良い景色を見られた経験があったので、自分が選んだ選択肢は後者。「グローバルマーケティング」をテーマに掲げる大石ゼミを受けました。

受験時代を彷彿とさせる猛勉強して筆記対策を行い、自身がゼミに貢献できる価値を面接で伝えました。しかし結果は不合格。

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某掲示板。当時は大石・歌代の二強と言われていました
(※ガチゼミ・人気ゼミは年度によって変動してると思います)

経営学部のゼミは、ゼミの1年間の研究成果を教授の前で発表し、どのゼミの研究結果が最も良かったを競うプレゼン大会があり、皆それに向かって追い込みます。第一志望のゼミに入れなかった自分は、このプレゼン大会で成果を出すことを目指し、結果一位を取ることが出来ました。嬉しかったのと、努力が報われたとの安心感で、結果を聞いた瞬間号泣してしまいました(笑)

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プレゼン大会終了後の写真

・就活
「これがやりたい!」というのが見定まってなかった自分は様々なクライアントに触れることができる人材や広告系の企業をよく見ていました。結果として、『株式会社ネオキャリア』という人材ベンチャーに入社することを決めました。入社理由などは、このnoteとは別で、自己紹介の社会人編とかでお話できればと思います。

大学は総じて、「有限なのはお金ではなく時間」をモットーに4年間を様々な時間に使って謳歌できました。

まとめ:学生の時の学び・自分の性格

これまでをまとめた自分の特徴や学びは

・小学校:周りからの評価を気にしがち。ただ期待や賞賛によって高い成果を出せることもある

・中学校〜高校:「何もしない」は自身の選択肢を殺している。リスクテイクは失敗という道もあるかもしれないけれど、挑戦した者にしか成功という選択肢は生まれないことを知る

・大学:限りある時間の中で、自分が何をしたいか?を突き詰め、体現することで幸福度が高まる。

という感じでした。

また、振りかえってみて自身の性格としては、

・チームで一つの成果に向かって努力することにやりがいを感じる。チーム内で求められる役割を判断し、時にはムードメーカー、時にはサポーターのようにカメレオンになり献身できる(ex:水泳、ゼミ)

・環境の変化に柔軟。挑戦していくこと・刺激を好む(ex:東京の枠を出て海外に行きたい)

・ポジティブ。「やればできる!」のマインドセット(※社会人になって少し変わります)

・合理性と調和の両方のバランスを大事にする(ex:おもいやり精神、心理学やマネジメントへの興味関心)

などがあげられると思います。16Personalities診断でぼくは「領事官」なのですが、この診断は特徴を捉えていると思います。

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番人:領事官 ESFJ-A / ESFJ-T

やったことない方は是非やってみてください。↑

では、学生編終了。社会人編に続きます🐯


あとここでは綴らなかった「おまけ」も書いたので良ければ▼


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