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同じ病でも

この一週間は、若干のショックを伴いつつ、自分の病を意識させられる出来事に遭遇しました。

今年の3月に出会ったセラピストの知人に余命数週間の宣告が下ったと、彼女の息子さんから連絡がありました。会いに行きたいと返信しましたが、すぐには返事がきませんでした。
アニータ・ムアジャーニの『もしここが天国だったら』をちょうど読んだばかりだったので、連絡が来るまでの間、アニータさんのように奇跡を起こして戻ってきて!と祈りました。
二日後に彼女が亡くなったとの連絡が来ました。

出会ったときの彼女は元気そのもので、明るい性格、落ち着いた声、華奢な体から紫に黄色のフリージアのような花を思わせる笑顔が印象的でした。がんと向き合う私を励ましてくださり、勇気づけられたのがつい先日のことのようです。
5月、彼女は急に意識を失って倒れ、肺がん(原発)と転移の脳腫瘍と判明し、6月に会った際にはセカンドオピニオンを受けつつ治療を開始すると話していました。私の代替治療に賛同してくれていましたが、彼女の場合は脳ということもあり、ご家族と話し合い、悩みつつも抗がん剤、放射線治療にかけてみようと思うと言っていました。不安と迷いを抱えているのが分かりましたし、まさか自身ががんであると想像もしていなかった故のショックが大きいことも見て取れました。でも、そのときは、以前ほどの元気はないにせよ、まだまだ大丈夫なように私には見えました。まだ、考える時間がありそうだ、と。

お互いに落ち着いたら会いましょうと言ってから、まだ3か月しか経っていません。私の方が励まされる側だったのに、こんなに早く、どうして、と衝撃と悲しみに苛まれました。
今週末、彼女に直接感謝の気持ちとお別れを言いに行ってきます。


昨日はプラズマ治療の日でした。
施術士さんから、「以前ここでプラズマを受けに来ていた男の子の絵本が出版されて届いたから見ていって」と言われました。
『ぜんぶわたし。』という、“ワンネス”そのものを感じ取れるタイトルの本で、彼(けん君)の名前とともにお姉さんとお母さんが著者となっていました。

悪性リンパ腫と診断されてから1年も経たないうちに大きな病院から手の施しようがないとホスピス的なクリニックに転院し、本人の意思でプラズマサロンにやってきた11歳の少年の生きた証と彼の家族へのメッセージがお姉さんとお母さんの言葉で綴られています。

知人のことがあったばかりだったのと、けん君も病気が判明してから逝くまでの期間が短いということもあり、本を開いて涙を誘われはしましたが、魂としての計画をきちんと遂行したと理解できる内容に救われました。

知人も霊的な学びを進めていた人でしたので、やり尽くしての昇天なのだろうと思いました。私自身も明日にも肉体を去るかもしれませんし、それはその瞬間まで分かりませんし、アニータさんのようなことも稀だとしてもあり得ますし、何とも言えませんが、すべては愛であり、出来事も繋がりもタイミングもすべてが必然なのだと改めて思うとともに、日々の小さな出来事を大切にしながら、“今”を感じながら暮らしていこうと思いました。

今回はここまで。
本日もありがとうございます☆


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