『デスペラード』が描く、無常の世界との戦い
僕は人生で二度留学したことがある。一度目は高校時代にアメリカへ、2度目は大学時代にロシアへそれぞれ1年ずつ留学してた。どちらの国も多民族国家であるのだが、その中には国籍より自分の民族やルーツの方に強い帰属意識を持っている人もいた。島国の日本ではなかなか想像できない心境だが、彼らと触れ合う機会の多かった学生時代は「なぜ僕は日本人なんだろう」などと自分のアイデンティティーに疑問を持っていたものだ。よくよく考えれば外国人も日本国籍を取れる中で「純粋な日本人」とは何なのか区別することは難しい。日本民族なる概念も存在してないのだから。
しかし社会人になるとそんなことを考える暇はなくなり、降りかかる困難をいなすことで精一杯になっていた。そんな時に出会ったのがロバート・ロドリゲス監督の『デスペラード』だ。
『デスペラード』は痛快ガンアクション映画だ。恋人と左手を撃たれた元マリアッチ(ギタリスト)の主人公、アントニオ・バンデラスが復讐のためにギャングたちと日々戦いに明け暮れるという作品である。若き頃のバンデラスはセクシーで、銃撃戦のシーンは今も色あせない迫力に満ちている。そして最終決戦に駆け付けてくれる親友たちとの短いながら熱い友情に釘付けになった。そう、このなんの変哲もない映画が僕の魂を救ったのである。
本作の監督であるロバート・ロドリゲスはメキシコ系アメリカ人、いわばヒスパニックだ。作中で描かれるメキシコは一見コテコテのステレオタイプに描かれているが、その中に彼のルーツに対する憧憬や郷愁の念が垣間見える。だがそれ以上に、『デスペラード』には諸行無常の儚さが漂っているのだ。弱肉強食の社会で必死に生きる人々、メインキャラにも雑魚敵にもあっけなく訪れる死、そしてそれら全てを焦がすほどに乾いた大地と太陽。これが「国境なき地球」の本質なのだと言わんばかりの強烈なメッセージが僕の心に焼き付いた。
一見すると荒唐無稽でおバカな痛快アクション映画だが、この映画で描かれる世界こそ、アメリカとメキシコの間で揺れるアイデンティティーの中でロドリゲスが見出した「悟り」なのであろう。
そんな過酷なメキシコで、バンデラスは降りかかる火の粉を振り払うように銃弾をまき散らし、一面を血の海に変えてゆく。嘆いてばかりでは自分が殺される。この不条理なメキシコ生き残るには「力」が必要なのだ。
そんな殺戮と破滅に満ちた日々を送っていたバンデラスはある日ふとギター弾きの少年と出会う。弦を引く指が覚束ない少年にバンデラスはレクチャーを始める。碌に動かぬその左手を酷使してまで!そして最後にバンデラスは少年に一言残す。「今教えたことを毎日練習するんだ」と。
「諦めなければ夢は叶う」と甘言を弄せず、「諦めて大人しく現実を見ろ」と突き放したりせず、ただ静かに「毎日練習しろ」と語ったバンデラス。この世界を生き抜くには信念を貫き通せ、そして日々の鍛錬を怠るな――やがていつしかギターは世界を撃ち抜く魂の銃に変貌する。そう言わんばかりのバンデラスの眼に僕の背筋が震えたものだ。
この映画を見終わった後、僕は自分の足元を見た。足裏からみなぎる活力。胸がはち切れんばかりの生気。僕は今、地球という荒野の大地に二の足で立っているのだ!久しく忘れていたこの感触にしばらく堪えられなかった。
この世界に国境はない。一見綺麗そうな一言だが、それはとても残酷な現実である。なぜなら80億人もの「地球人」を相手にするという意味なのだから。こうしている間にも一つになりつつある世界の中で、いつまでも自分の国籍だのアイデンティティーだので頭を抱えている場合ではない。そして挫けそうな時、あのシーンを見直して自分を奮い立たせる。そして弾丸をありったけ魂に詰め込み、再び地球という戦場に舞い戻るのだ。