万華鏡⇄世の中
万華鏡を覗くと、不思議な世界が広がる。
万華鏡を回すと、色々な変化が楽しめる。
万華鏡を離すと、日常の風景に戻る。
コドモの頃は万華鏡を覗くのが好きだった。
刻々と模様が変わっていく様子はずっと見ていても飽きなかった。
鏡の世界。色の世界。夢の世界。
それは、無数に咲き誇る花のようだ。
それは、夜空に打ち上がる花火のようだ。
それは、満点に光り輝く星空のようだ。
なんて、こんなポエトリーな比喩が出るわけもない。あの筒の中身を見てどのように表現するかは十人十色だ。きっと、言葉にすると拙く抽象的な形容詞でおさまってしまうだろう。
「うわー、きれい」とか、「すごい」とか、「やばい」とか。美しい日本語を使いこなせず、その世界を言い表すのは難しい。
万華鏡は人によって見え方が違うのが特徴の1つでもある。回し方次第で世界が変わって、どう見えるかも変わってくる。
ふと目を離すと現実に戻るが、案外この世の中もそんなに変わらない気がする。
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」とチャップリンが残したように、視点を変えることでモノの見方も180度変わる。
人によって価値観が違えば、捉え方も、伝え方も違う。この世界が他の人にどう見えているかなんてわかりやしない。
晴れが憂鬱だと思えば、夜が始まりだと思う人もいる。
労働が清々しいと思えば、自由が苦しいと思う人もいる。
明日が待ち遠しいと思えば、明日を止めたいと思う人もいる。
物理的なものも、概念的なものも、対象に全く同じ感想を持つことはない。
そんな世の中に、
僕たちは翻弄されているのではないか。
マスメディアは世界を捻じ曲げている。
ネットは誤った情報の波で溢れ返っている。
SNSは誹謗中傷の嵐が吹き荒れている。
見るもの聞くもの全てをどのように捉えていいかわからない。それが美しいのか、醜いかの判断さえまともではない。
真実か嘘か、必要か不要か、好きか嫌いか。
結局は「すごい」「やばい」とかいった、聞くに堪えないコメントに終始する。
僕たちはいろんな情報を万華鏡というフィルターを通して見ている。
この世の中をそっと覗いてみよう。
その筒の中身はぐにゃぐにゃと揺れ動いて、戸惑う。
視界はめまぐるしく変化して、彷徨う。
透き通った宝石は輝きを失って、無色になる。
キラキラと眩い光は暗くなって、絶望する。
でも、もう一回転すると、
万華鏡の世界も一瞬で移り変わる。
それは人の心を映しているのかもしれない。
美しい景色を映しているのかもしれない。
予想できない未来を、移りゆく時代を、すばらしき人生を。
もう一度覗いてみたら、きっと世の中も変わっているはずだ。
万華鏡のようなこの世界を、ずっと覗いていたいと思えるように。
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