#81 ブランドが『染み出す方向』
2024年11月某日
陶磁器に造詣が深い人と話す機会があった。地域の「土」を原料とし、山あいに構えた窯で、ろくろで仕上げた器を焼成しているのだとか。完成した器を拝見したところ、堅苦しさがなく、遊び心に満ちていた。すばらしい。そのあたりの文化に疎い筆者としても、素直に手にとってみたいと思ったが、我が家の食洗機では洗えないらしい。もう少し、我慢することにした。
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さて、全国各地にはさまざまな「窯元」が存在していて、各々のスタイルで陶磁器を生産している。陶磁器の面白いところは、原料である「土」とか、ろくろを回す時の「水」とか、焼き上げるときの「木材」とか、基本的に自然由来の素材で生産されていることだと思う。さらに、これらの素材は、それぞれの地域・地元で普通に調達できるものが多いだろう。とすると、地元の素材に手が加わることで、「ブランド価値」が染み込んだ陶磁器ができあがる。製造プロセスをストーリー化するといった、地域ブランドのお手本みたいな話である。
ここですこし考えてみたいのは、「ブランド価値」の「染み出す方向」である。具体的には、土から器がつくられるとして、その際、ブランド価値は「土のブランドが器にもたらしているのか」あるいは、「器のブランドが土にもたらしているのか」という興味である。言い換えてみると、「器のブランドのおかげで、土の価値が高まる」あるいは「土のブランドのおかげて、器の価値が高まる」、いずれなのかということである。ようするに、「ブランド価値」の恩恵を受けているのは、「土」側か「器」側かという話である。
筆者の仮説では、これはおそらく、地域や陶磁器ブランドによって「バランス」が異なるのだと思っている。そして、陶磁器ブランドによって、「土の魅力が濃い陶磁器」と「器の魅力が濃い陶磁器」いずれも存在していると思う。ひとつ言えることは、「陶磁器」というプロダクトが「束ねる価値」として、原料、製造工程で使用される部材、器というインターフェースなど様々あるけど、それぞれのファンが評価しているポイントもまた様々である(かもしれない)ということである。
伊万里焼と九谷焼と有田焼は、同じカテゴリではあるが、同じ価値で戦っているとは言いきれないのである。知らんけど。
ほなら。
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