火傷をしたら温める、を試してみた(自己実験)

どのくらい前だか忘れたけれど多分1年か2年前に、twitterで「火傷をしたら温めるという民間療法がある」というのを読んだ。一般的に火傷をしたら流水で冷やせ、というのが常識なので衝撃的だった。

「火傷をしたらアロエを貼る」という民間療法もあって、これは知っていた。というか実際子どもの頃に貼られた。が、これのそもそもの目的は、熱傷部位(火傷は医療用語では熱傷(ねっしょう)と呼ぶのでここではあえて)の冷却と湿潤なのではないかと思う。なので今現在行われている「火傷をしたら冷やして湿潤するという医療的判断」に比較的近いので、まあそんなもんだろうなと思っていた。

しかし、「温める」のである。真逆だ。しかもネットをウロウロしてみたところ「ヨーロッパの料理人はキッチンで火傷をすると鍋の湯気をあてる」というものが見つかって、これは日本の火傷にアロエ、くらいには一般的な民間療法なのだということも知った。

試してみよう、と思った。それから、毎日立つキッチンで、火傷をした、と思ったらいつも温めている。いや「試しに」いつも温めている。

猜疑心も好奇心も人一倍強い。実験も好きだ。


熱には物理療法として使用する際に大きくふたつの熱があって、ひとつは「乾性の熱(乾熱)」ひとつは「湿性の熱(湿熱)」と呼ばれている。ドライな熱と、ウェットな熱。読んで字の如く、なのだけれど、赤外線なんかで空気を介して温めるものは乾いた熱であり、ホットパック(治療で使うものはお湯から出して使う)なんかは湿った熱である。もっと身近なところで言うと、ドライサウナとミストサウナみたいな違いだろうか。要は蒸気を含めた水分を介する熱かどうかという違いだ。

火傷を温めてみようと思ったとき、最初にこのふたつの熱のどちらが適切なのかを考えた。火傷の治癒に効果があるというのだから、物理的な温度が身体の中の化学反応に作用して何らかの変化を起こさせるということで、まさに物理療法だと思ったからだ。ちょうど料理人が「湯気を使う」という情報にも行き当たったので、これは湿性の熱に効果があるのだろうと予測を立てた。

なのでその後、片手では足りず両手では余る程度の回数の火傷(全て、指や手のひらの一部などの小さなもの)に対して、必ず「湯気をあてる」ようにしてきた。この湯気は、沸騰した鍋の上の湯気である。つまり、煮立っているものの上に手をかざす。湯気なので即座に二次的な火傷を負うわけではないけれど、かなり熱いので、そこは距離をとったり外したりして調整した。時間はどのくらいだろう。軽い火傷の時は1分くらい、それを休憩挟みながら5回くらい。イメージとしては、火傷をした部位の周辺が湯気で熱くなるくらいで、何となく「周りの組織が最初の一部の熱刺激を忘れるくらい」を意識した。

この「意識」には理由がある。もし「温める」に効果があるのだとしたら(1)感覚受容器を騙す (2)身体の反応を騙す のどちらかだと踏んだのだ。

火傷に対する冷却に効果があるのは、火傷によって亢進する血管透過性や組織での発痛物質の急激な産生を強制的に緩めるからだ。その、そもそもの身体の反応のトリガーは熱という物理的な刺激に「侵害された」という『身体の判断』だ。そこは感覚受容器が担っていて、感覚受容器というのは変化依存的な傾向があるので、火傷をして「あつ!!」となったのを「ほかもあついよほら!」と騙したら(1)。または、最初の物理的刺激は誤魔化せないとしても、そのあとの毛細血管の透過性が高まる状態を、周り全体を温めることで「そこらへん全体の反応だから大丈夫!」と騙したら(2)。そんなところだ。

いや、そんな「騙し」が可能なのかどうかは知らないのだけど。火傷を温めるということに効果があるとしたらそのくらいしか思いつかなかったし、徐々に蓄積された実験の経験が結果的にそう思わせたところもある。


で、結果。

冷やすよりもずっと早くずっと効率よくずっと痛み少なく、火傷は治った。全てのケースにおいて、だ。一番ひどかった、オーブンの熱線を触った火傷のときには、これはすぐにパンパンの水ぶくれになるだろうという感覚があったしサイズも枝豆大だったので、流石に目の前の水道の誘惑に駆られたが、あえて小さな鍋に浅く水を張って沸騰させて実験に耐えた。そして水ぶくれは起きなかった。痛みも、湯気の温めを繰り返した20分後にはなくなった。衝撃だった。まじか。

いや一度、今朝、また、今度はもっと熱くなったオーブンの熱線を触れて、皮膚がいきなり焼けた時は流石に皮膚が破れて傷になったが(ただし米粒の半分程度)、また、温めて、数分で痛みだけは取れた。しかし痛みがないだけでも衝撃だ。まじか。


さて、これは「火傷をしたら温めればいい」という単純な「オススメ」ではない。なぜなら、実験を繰り返す中で様々なパターンに出会い、簡単な勧誘はできないと思う理由もいくつかできたからだ。

まず、これは、自分自身で与える熱量を管理する必要がある。沸騰したお湯の上に手をかざすのだから、二次的に火傷を負う可能性も多々ある。危ない。

次に、火傷の損傷具合によって、湯気にあてるべき時間にも差があるようだ。枝豆火傷の際には、もう大丈夫、痛くないかも、となるくらいまで根気よく湯気と付き合わなければならず、それに20分ほどかかった。途中5分くらいでいつも通りやめようとしたら、水ぶくれになりそうになって痛みが出てきたので、再度湯気の熱さに耐えなければならなかった。ちなみに火傷を湯気にあてると、あてている間、痛い。

そして、もしこれが私が経験した以上の重度の火傷だった場合や、火傷の面積が広かった場合、それから化学薬品による火傷や、化繊が焼けたことによる火傷だったとしたら、それは多分この方法の適用ではない。十分な時間流水で流し、乾燥しないように保存し、病院だ。(化学薬品によっては流水が間違いであることもあると思うが。)

つまり、この治療は標準化が難しい。ほぼ全てが本人の感覚頼りだ。感覚は人によって違う。外からはわからない。

民間療法の枠を出ないことに納得した。


世の中には、科学が医療に浸潤する前から人が身体と付き合うために実践してきた「知恵と技術」がある。そしてこの「知恵と技術」には二種類ある。

ひとつは、科学的検証と馴染みが良いもの。もうひとつは、科学的に検証することそのものが難しいもの、だ。火傷は、後者だと思う。火傷のように、損傷自体の重症度について素人判断が難しく、民間療法として伝わっているものの中でも今回の「温める」のように実践方法が経験に依存していたりすると余計に検証は難しい。条件も揃えられないし、介入も整えられない。

科学的検証を経て標準化された医療は、果てしない実験と検証とその中での経験の共有という歴史を経ている。それに対して民間療法は、今とは生活も文化も経済も衛生も違ったような昔から、伝承されている行為だ。この二つを理解して選べるようになると、世界はよりクリアに見えてくると思う。

今回の火傷に対する対処法を例にすれば、アロエの目的であった冷却と湿潤は(本当にそれが目的なのだとすれば)別ルートではあるが科学的検証がなされた。とりあえず、冷やして湿潤する、というのは、誰にでもできる判断の必要の少ない、標準としての役割を十分に果たす。ただし、もうアロエの出る幕はない。より衛生的で効果的な方法が確立されているからだ。あえてアロエを使う理由がないのだ。一方、「温め」に関しては、今後も民間療法の枠を出ることは難しそうだ。だから選ぶとしたら「自己責任」の枠を出ないだろう。標準と違うことをするときには自己責任、だ。


だからわたしは目の前で誰かが火傷をしたら、流水で冷やし湿潤する。夫でも子でも。

科学と非科学の間にあるリテラシーを、自分なりにそう捉える。