お弁当箱の具材のようなもの
以前読んだもので、このような内容が書かれているものを読んだことがある。
今回記事を書くときに、載っていた本を探してみたけれど見つからなかった。
読んだ時に、心が軽くなった覚えがある。
人間の能力は、お弁当箱の中身のようなもの。 バランスよく、ご飯、主菜、副菜が入っている人もいる。かと思えば、おかずばっかり入っていて、結局野菜はほんの少ししか入らない。もしくは全く野菜は入るスペースない。そんなお弁当もある。
お弁当箱の大きさは、みんな同じ。
人それぞれ、入っているものや、占める割合が違う。それが、その人の能力だというのだ。
大まかな話はこのようなものだったと思う。
好きなこと、得意なことが極端に偏っていた我が子を育てていた時に読んだのだ。マイペースで集団生活では浮いてしまうことが多々あった。小学校時代の頃だ。
大きくなった今では、自分でバランスを考え、ほんの少しだったおかずを、少し足したりもできている。苦手なことは、今でも大豆一粒程度かもしれないが。
今、特別支援学級で働いていて、このお弁当箱の話を思い出す。
学校生活や学習生活で、どうしてもバランスを求められる。何か障害のある子ども達は、確かに偏ったお弁当の持ち主かもしれない。でもその子ども達には、すごく感心することや輝いて見える能力がある。すごいおかずが入ってたりする。
しかし四六時中、支援している先生は、どうしても言わなければならない事がたくさんある。育てている保護者も、同じだ。わかっていても褒めてばかりいられないことがある。保護者も自信がなくなってくる。
だから私は、その耀く能力を褒めて褒めて褒めまくっている。そのユニークなお弁当に自信を持ってほしいから。
私自身も、子育てで躓き、悩んだからこそわかること。バランスよいお弁当とくらべてしまうのだ。
また、すごいおかずについて書いてみたいと思う。
読んでいただきありがとうございました。