偉くなるほど謙虚になる
ぼくは偉いわけではない
ただ、ぼくの中で尊敬できる偉い人と、尊敬できない偉い人の定義はひとつだけある。
それは、偉くなるにつれて謙虚さが比例されているのかということである。
偉くなるとどうなるのか?よく「天狗になる」と言われる。組織の中でも急に役職があがると今まで一生懸命やってた仕事を部下に振り「手を汚す」ことが少なくなる。
偉くなれば役割も変わるし、仕事を振らないと本来自分が果たすべき役割を全うできないかもしれない。
けど、人の心、部下の心はそんなにシステマチックにできていない。仕組みや役割でホイホイ組織が動くわけない。
結局のところ、偉い人がどれだけ部下たちを見ているのか?寄り添っているのか?たまにいっしょに手を汚しているのか?が「あともう一歩」の人の心を動かす。
その差が会社の強み、組織の強みにつながる。
ただこれは、ぼくが尊敬できる偉いひと像だ。
アグレッシブに戦っていくためにはマキャベリズムのように君主論的スタイルも必要かもしれない。
ようするに、デフォルトのスタンスをどうとるのか?恐怖か?愛か?謙虚さ?傲慢さか?
ぼくは甘いと言われても謙虚さのスタンスをスタンダードにしたい。