金魚鉢方式!! 「学校はなぜ行くのか?」&「本をなぜ作るのか?」(こどもてつがく 高学年)
新たな哲学対話に挑戦!!
今年のこども哲学もいよいよ折り返しに差し掛かりました。
ということで高学年の部は新しい手法にチャレンジ。
通称「金魚鉢」。
まず対話をするグループと、対話の内容を分析するグループに別れます。
対話をするグループは観察対象となることから「金魚鉢」と呼ばれているんですね。
分析というのは対話を客観視することであり、一段上のレベル。ファシリは「彼らならできるはず!」と絶対の信頼をおいている様子。
分析する上でのポイントは下記の通り。
・聞くこと
・言葉や話し方
・考えること
・助け合い
・全体の流れとその変化
・議論の中身
・全体の流れ
各ポイントごとに担当を決めて、その視点から議論を追いかけます。
Aチームは「学校になぜ行くのか?」
Bチームは「本をなぜつくるのか?」
について対話をすることに。
学校になぜ行くのか?
まずはAチームが「学校になぜ行くのか?」について話し合います。Bチームは分析に徹します。
早速対話のスタート。
「家でも勉強できるので、必ず行かなければいけないわけではないと思う」
「パソコンやリモートでできるから、勉強は家でもできる。でも学校にいくことによって、勉強ではない友達のこととか、家ではあまりできない植物の観察もある。学校に行くのは勉強のためだけではないのかなと思います」
「ぼくも学校は勉強のことだけではないと思います。昼休みとかに、友達とかとドッジボールしたりする。家には家族しかいない。学校に行かないと、友達ということを知らないと思う」
確かに、わざわざ学校に通うからこそできる体験もいろいろとありそうです。やっぱり学校には行かなきゃだめ? しかし、議論に熟練してきている子どもたち。それだけでは終わりません。
「友達も習い事でもできたり、公園で一緒に遊んで友達になることもある。友達も学校じゃないとできないわけじゃない」
集団生活する意味とは?
「学校は時間割が決まっているけれど、家だとひとりしかいないから、自由にできる」
「全然勉強せずに、1年間いることもできる」
「学校がなかったら、毎日ダラダラして生活習慣が身につかない」
「学校だったら、授業は何時からとか、給食は何時から食べるとかあるけど、家だと食べる時間がガタガタになる」
給食がなかったらどうなるかな?
「夜ご飯の残り物を食べる」
想像力が豊かやな……。
学校と同じようなことは家でもできるけれど、集団生活を送る学校の、良い意味での拘束力が役に立つこともありそうです。
学校ならではのものを求めて
「学校でしかできないこともある。理科のビーカーとか、水溶液とかも買わなきゃいけない、ちゃんとしたチョークも買わなきゃいけない」
「音楽室とか美術室とかもあるし」
大金持ちなら、学校の設備をまるごとお家に作ることもできるかもしれません。でも確かにいろんなものを共有した方が経済的ですね。
ちょっと短いけれど、議論はここでストップ。
分析チームに発表をしてもらいます。
分析チームによる発表
まずは、
「全体の流れとその変化」について。
「学校に行かなくてもいい人と、行ったほうがいい人の二大勢力があるなと思いました。そもそもなぜ行かないといけないのか、という議論があればもっと面白くなったと思うので、もう少し掘り下げてほしかった」
「発表していない人がいないのが良かった。最後のほうが、発表している人が多くなって、最初より話し合いが楽しそうだった」
議論の大枠や、発言者の偏りがないか、きちんとチェックできました。
続いて
「議論の中身」
「最初はあまり考えが思いついていなったし、同じ人が多くしゃべっていた。勉強や、友達が学校以外でもできると思っていることがわかりました」
「よく話していたのは、理科で使うビーカーとか、音楽室の楽器とか、学校の物を家でも揃えようとしたら、お金がかかるという話でした」
テーマのどんなところを主に掘り下げていったのかに注目できました。
そして
「考えること」
「お金とかのこと考えると、学校でしかできないこともあるというところで、話が深まったと思う」
「『行ったほうがいい、行かなくてもいい』それぞれの意見を色分けしてメモしてみました。積極的に意見が出たのは、行ったほうがいい派。家だとお金がかかるという意見が出てからは、行かなくてもいいという意見が減った」
議論において「お金」という視点が重要なポイントになったことを見逃しませんでしたね。
次に「言葉や話し方」
「わかりやすい言葉で発表していたのが、すごかったと思います」
「助け合い」についてはどうでしょう?
「みんなに伝わるようにわかりやすく回答していた。みんなが意見を言いやすいように、その場の雰囲気を和ましていたり、別の視点から見ることで、新しい考え方もできていた、いい議論になっていて良かった」
続いて
「聞くこと」
「『それと同じで』という言葉を使っている人がいて、前の発言者と自分の意見をつなげているところが良かったと思いました。あまり発表していない人もいたけれど、いろんな人の意見を聞いて、よく考えているんだと思いました」
細かい表現をきちんと捉え、きちんと聞けているか分析できました。
他にもこんな意見も。
「意見を言いたいけど言えないから、いますぐ金魚鉢に入って話したかった」
「加わりたいぐらいの議論ができていたっていうことかな」とファシリ。
本をなぜ作るのか?
続いてBチームの議論に。
テーマは「本をなぜ作るのか?」。
先ほど対話をしていたAチームが分析に回ります。
「これは電子書籍も入ってる?」
「電子書籍があるのに、なぜ紙の本を作るのか?っていう問い?」
問いについて、しっかり事前に確認することは大切です。そうでなければ議論が拡散しすぎてしいまうことがありますからね。
今回はどうやら「紙の本をなぜ作るのか?」をメインに絞っていくようです。
作家の仕事になっているから説
「勉強する以外にもいろんな本の種類がある。絵本も、図鑑も、小説も漫画もある。それが仕事になってるからだと思う」
「本の種類によって、みんなに伝えたいこと、学ぶべきことを教えてあげたいとか、いろんな作者の目的がある。でも全部あてはまるのが、お金を稼ぐってことは、すべての作家にとって10分の1ぐらいは本を作る理由としてあると思う」
「お金を稼ぎたいから本を作る、伝えたいことがあるから作る、面白いと思ったから作る、いろいろタイプがあると思った」
本じゃないとできないことを求めて
ここでファシリが問いかけます。
「それって本じゃなきゃダメなのかな? お笑い芸人が面白いと思うことを言って笑わせたり、教えたいって思って先生になる人もいるし」
「向き不向きもある。お笑い芸人になるには話術が足りないとか、楽器が弾けない人も、文章が書くのが好きなら作家になれるから」
「影響を受けたのが本だったんじゃないかな」
人は職業を選ぶ時に、向き不向きも考えるし、自分が大きく影響を受けた道を選ぶことも確かにありますね。
「書く側の立場から離れて、本じゃないと困るってことはある?」とファシリ。
「本は比喩表現とかいろいろ想像力を働かせてくれる。『空がりんごあめみたいに染まって』と書かれていたら、すごく赤いんだなと想像できる」
「小説だったら、心理描写もある」
「でも、本の需要がなくなってきてる」
「読むのが好きだから、なくなったら寂しい」
「今日みんなに渡しているプリントがなくて、口頭で説明していたら?」とファシリ。
「わかりにくいし、覚えられない」
本ということを離れて、文字そのものがなぜ必要かという話に迫っているかもしれません。
デジタルのデメリットとは?
プリントを配る話から、タブレットなどデジタル機器の話にもなりました。
「私は紙だとすぐなくしちゃうから、電子の方がありがたい……」
「タブレットより紙のほうが安かったり、簡単に作れるのはあるかも」
「デジタルは目が悪くなるとか」
「でも漢字を読むのが苦手な人は、読み上げ機能がある」
「全部デジタルだと読む気がなくなる」という意見には、多くの子どもたちが「あぁ~」とうなずきます。どうやら紙の方が頭に入る様子。
「本を1冊読み終わったときの達成感がデジタルよりある。こんな小説を読んだんだって」
これにも共感者が多数。紙の本よ永遠なれ、と思っている筆者はほくそ笑みます……。
議論はここで終了。
Aチームによる分析が始まります。
議論の分析
まずは、
「全体の流れとその変化」
「本がどこまでを含むのかから、始まっていいスタートだと思いました。質問と発言の間が小さく議論がよく進んでいました。発言に対して、すぐ発言していたから議論が途切れなかった」
「本を作ることは仕事だからという話から、デジタルは目が悪くなるという話まで、全然話が違うなと思いました」
確かに、短い時間で、テーマも多岐に渡りながら非常に活発な議論が行われましたね。
「議論の中身」についてはどうでしょう。
「本を書く人が、どうして書くかがテーマになっていて、本が好きな人が作家になるという意見があった。本じゃなくてデジタルでいいんじゃないという話もあったが、デジタルだったら読む気がなくなるという意見があった」
議論の重要なポイントを見逃しませんでした。
続いて
「考えること」
「想像できたりして、本は本のよさがある。デジタルで読む本についても、紙の本と比べていました」
「比べること」は対話の重要なポイント、自然に着目できました。
「言葉や話し方」についてはどうでしょう?
「難しい言葉も使っていた。話が最初から最後まで続いていて途切れなかった」
本当に大人顔負けの議論が途切れずに続いていて。もう、どこに出しても恥ずかしくないんよ……。
続いて「聞くこと」について。
「最初は、話していなかったひとも、だんだん馴染めていった。あまり意見をいっていない人もいて話して欲しいと思ったけど、他のひとの意見をよく考えているようで、良かった」
哲学対話の禁断症状とは?
最後は「助け合い」について。
「相槌を打ったり、カバーしていたので助け合えていた。会話の中心にいる人が、まわりをカバーしていた。会話にすごく入りたくて、禁断症状が出た(笑)」
どうやら対話を活発にする子ほど「議論に入りたい!」と思った様子。大人がファシリをしていても「意見を言いたい!」と思うこともあるので、よくわかります。
歳の近いこども達が議論している様子を、視点をしっかり決めて分析。難しい挑戦かと思いましたが、みんなファシリの期待を上回るしっかりしたコメントを残してくれました。未来しか感じません。
紙の本も、こんな子どもたちがいるなら大丈夫だって思えたんよ……。
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