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こどもてつがく 対話 小学1年〜3年生

2021年07月04日 丸亀市飯山総合学習センターにて

小学校の1年生から3年生を対象にした哲学対話を行いました。
参加者は、6名でした。

せっかくなので、学校の垣根を超えて、仲良くお話しして欲しいと思いました。

私が小さかった頃、知らない子と仲良くなるときにどうしてたっけ?

「ねぇねぇ、なまえ何って言うの?」とお互いに名前を聞いていた気がする!

そこで、今回は、総合学習センターの所長さんが作ってくれた、謎の形をした紙を名札として使うことにしました!

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「形が色々あって面白いでしょ!!」と所長。

ファシリテーターを務める自分の名前を書いてみました。

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【謎の視線外し写真】

会場は畳のお部屋だったので、畳に上がってもらう前に、みんなに、好きな色のマジックで名札に名前を書いてもらいました。

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【畳の部屋がシブい!】

今回は、こどもてつがく用の哲学絵カードを使いました。

カードを目にした瞬間、みんな前のめりに!

カラフルな絵も、ワクワクさせてくれるようです。

さて、この日の哲学対話のテーマですが、事前にいくつか用意していたカードのなかから、子どもたちに選んでもらいました。

選ばれたカードに書かれていたのは【何でも学習すればできるようになる?】というもの。


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※プライバシー保護の観点から、猫ちゃんのイラストでお顔を隠しています。


【何でも学習すればできるようになる?】

参加した子どもたちと、いくつかのカードを手掛かりにして、テーマについて対話をしました。

魔法を使うことは、学習すればできるようになる?

ステッキを持った魔法を使う女の子のカードを元に考えてみました。

「努力すればできるようになるかも!」と話す子もいれば、「普通の人間なら無理!」と言う子もいました。

努力すれば魔法を使うことができるようになるのだとしても、今日のテーマは「学習」についてです。そこで、改めて質問してみます。

「学習すること」と「努力すること」は同じかな?

「学習することは、勉強とか頭を使うこと。努力は、運動とか身体を使うこと。」と言う返事をもらいました。

魔法に関していえば、「学習」ではなく、むしろ「練習」なのだとか。

それはどうしてなのだろう?

「何かあった時のために学習は必要!」と話す子もいます。

魔法を使うことがそもそも人間には無理なことなのかどうかも気になるところです。

「魔法なんて人間には無理だって言う意見もあったけど、他のみんなはどう?」とたずねてみました。

「できるようになりたい!と思わなければ、そもそもできるようにならない」と答える子もいました。

なるほど、最初からできないと思っていたら、学習しようとさえしないかもしれません。これについては「信じること」という表現に置き換えてみます。

「学習すれば魔法を使えるようになるのか」のテーマから、3つのキーワードが出てきたように思います。それは、「努力すること」「練習すること」「信じること」です。

これらは、そもそも一体どういうもので、お互いに、どう関係しているのだろう?


空を飛ぶことは、学習すればできるようになる?

次は、羽の生えた空飛ぶキリンが描かれたカードを元に考えてみます。

空を飛ぶことは、どうだろう?学習すればできるようになるかな?

「人間だけでは、飛べないけれど、人間が作ったものがあれば飛べる!」と勢いよく返事をくれた子がいました。

例えば、飛行機だとかそういうものだそうです。

ここで、イラストをじっとみていた女の子からこんな指摘がありました。

「キリンにも『羽』が生えてる。魔法使いの子も『ステッキ』を持ってる。それがないとできない。」

発言してくれた女の子は、「学習」に関係なく、キリンも魔法使いも、「羽」や「ステッキ」といったチートアイテム(?)を使っているじゃないか(ちょっとずるい)とでも言いたげな様子です。

なるほど!!それには思いも及びませんでした!!

確かに「魔法を使うこと」も「空を飛ぶこと」も「魔法のステッキ」「羽」と小道具を使っているようにもみえます。

自分が「学習すること」だけでは、実現できないことがあって、何か他の道具の力を借りる必要があるのかな?

その道具を持ていたら、誰でもできるようになるのかな?

それとも、ただその道具を持っているだけでは、できるようにならないのかな?

人間の作ったもの(飛行機など)についても、話してくれる子がいましたが、「学習すること」と「道具(アイテム)」との関係についても、気になってきました。


泣くことは、学習すればできるようになる?

だんだん終了時刻が迫ってきていますが、最後にもう一枚のカードを使ってみました。

わんわん泣いている子のイラストが書かれたカードです。

「泣くことは学習すればできるようになる?」との質問に、参加者の子どもたちは口々に話します。

「赤ちゃんは泣いてばかりいる。でも大きくなったら違う。」

「赤ちゃんは、泣くのが勉強!」

「大きくなったら、どんな感情で泣いてるのか分かるようになる。」

このカードによって、「赤ちゃんの時」と「大きくなった時」という時間の経過が関連する発言がいくつかあったように思います。

「学習すること」と「成長すること」には、何か関係があるのかな?

この質問に対して次のようなお返事をもらいました。

「どんな感情で泣いているのかを理解しようとするのは学習。」

学習が、どんな感情で泣いているのかを理解することだとすると、学習していなければ、どういう感情で泣いているのか理解できないということになりそうです。

泣くこと自体は、学習しなくてもできるようになるのでしょうか。

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再来週へ

問いかけたい事を沢山残したまま、残り時間は少なくなり、そろそろ終わりにしなければならない事を伝えると「ええ〜」とブーイングが起こりました。

「じゃあ、続きはここからね!誰か付箋貼ったらいいじゃん!」と一人の子が言うと、近くに座っていた子が、瞬く間に付箋を取り出し、私に手渡してくれました。

「続き、やりたい?」と聞いてみると、「やりたい!」と元気な声が響き渡ります。

そこで、続きは、再来週にすることに決まりました。

子どもたちの行動は、とても素早いです。

気がつけば、鬼ごっこは始まっていて、じっとしていると、すぐに鬼にされてしまいます。



小学校低学年の哲学対話を振り返って

子どもたちは、一斉に喋ります。もう少し成長してくると、自分の言葉が相手に聞こえるように配慮して話すようになります。話すタイミングや声のヴォリュームも相手に伝わるように話すようになります。けれども、小学校の低学年の子たちは、話していることが独り言なのか、それとも、みんなに対して言っているのかの区別がつきません。とても小さく聞き取れないような小声で話す子が何人もいます。小さな声を聞き取ることができないので、ファシリテーターがなんとか聞き取ろうとする間にも、他の子どもたちの集中力が途切れることもあります。

小さな呟きが同時にいくつも発せられることもあり、結果的に、なんだか賑やかだけれど、誰が何を言っているのか、分からない瞬間もあります。

「一人ずつ、手をあげてね」と繰り返し、伝える必要があります。

手をあげてもらっても、やっぱり、声が小さくて、みんなに聞こえないので、その間にも、みんなの集中力は、途切れがちになります。

耳を近づけて、声を聞き取ると、聞こえた内容をそっくりそのまま他の子にも聞こえるように大きな声で代弁します。

「今、〇〇ちゃんが言ったこと、みんな聞いてくれたかな?」と繰り返し確認して、粘り強く聴くことの練習をします。

話すこと、聴くことの練習をしながら、少しでも一緒に考える時間を増やせるように工夫したいと思います。

とはいえ、まずは、「楽しかったから、またやりたい」と言ってもらえるのが一番です。


続く・・・。

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