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ペットって何? 野良とペット何が違う? (こどもてつがく 高学年)



高学年はいつものようにアイスブレイクとして、コミュニティボールをなるべく早くまわす遊びと、質問ゲームをしました。

質問ゲームは「嘘発見バージョン」

自己紹介を3つの内容で話し、そのうちの1つに嘘を紛れ込ませるというもの。他の参加者は、嘘を見抜けるような質問をすることがゲームの肝です。

「本当は1つ上のお姉ちゃんがいる」のに
「2つ上のお姉ちゃんがいる」という嘘を紛れ込ませた子も。嘘は事実の中に隠すという高度なテクニックをもう使いこなしている……恐ろしい子!!

問いが哲学的なものであるか吟味する!!


本題は前回の続き。前回みんなに出してもらった問いが哲学的な問いとして適切かどうか、その特徴を改めて考えてみます。

ひとつは
●「概念に関わっている」ということ。
たとえば「服をどうして着ないといけないのか?」という問は「服とは何か?」を考える上でも有効な問いになりそうです。

次に
●「議論の余地がある」ということ。
意見が分かれるけれども、どちらも説得力があるものになりうる問い。

例として挙げられたのが「どうして学校は毎週行かないと行けないのか?」という問い。参考例でしたが、こども達はすぐに、リモートでもいい、画面オフにしたらどうするんだ、学校は勉強だけするところじゃない、と喧々諤々な議論をスタートし。つまり、この例は充分に適切な問いだったようです。

さらに
●「一般的である」ということ。
日常でも考えているような、馴染があるもの。

●「関連性」
日々の私たちの生活や、勉強していることに関わるもの

●「中心的」
自分や周りの世界を理解するために中心となるような問題

●「考える価値」
時間をかける価値のある、興味深い問題。

などなどが挙げられました。
これらを踏まえた上で、前回みんなに出してもらった問いが適切かどうか考えた上で、今日話したいテーマに投票します。


問を吟味するこども達

前回出してもらったテーマは、
・なぜ猫はかわいい?
・なぜ服を着ないといけないのか?
・なんで遊ぶことは楽しいのか?
・ペットって何? ペットと野良は何が違うのか?
・1+1はなぜ2なのか?
・なんのために、きゅうけいがあるのか?
・なぜアニメがあるのか?
・学校でなんで勉強するのか、なんで学ぶの?
・本をなぜ作るのか?
・なぜ大谷はあんなにホームランを打つのか?
というもの。


1度目の投票で、
「学校でなんで勉強するのか、なんで学ぶの?」と
「ペットって何? ペットと野良は何が違うのか」が共に7票を獲得。決戦投票で、今回のテーマはペットに決まりました。

確かに、ペットはみんなが大好きなもの。日々の生活で大きく関わり、ひょっとしたら、人間を理解するのにも役立つのかもしれません。面白そうな問いです。

今回も、こどもたちのうち1人にサブファシリを担当してもらいました。

ファシリを担当してくれましたが、やはり自分の意見が言えないもどかしさがあるようです

いきなりGoogle先生の登場か!?


対話がスタートすると
「ペットと野良の違いは、Google先生に聞いてみよう!」とひとりの子どもが熱心に言い出します。対話の後で、聞いてみるのも面白いかもね、ということに。

抜群の疑問たち


まずはじめに、第一印象で浮かんだ疑問を発表してもらいます。

「ペットは人間が守っていて、所有しているもの。野良は、誰にも所有されていないもの」という意見。

「所有」というキーワードが出てきました。

「捨て猫、捨て犬は捨てられた瞬間に野良になって、保護された瞬間ペットになるのか?」

境界を突いた、とっても面白い疑問です。ペットと野良の条件を揺さぶれそうな問いですね。

「ペットショップや保護施設で、餌を自動的に機械で与えられているだけで、かわいがられずにいてもそれはペットなのか?」という疑問も。

かわいがられていない、愛情がなくても、ペットではありうるのか? というこれもとっても良い問いです。

この問いに関して「野良がペットと違うところは、自分で何もかもいちからやること。かわいがられてなくても部屋があったら、野良とは違うと思う」という意見がありました。

すでに
・所有しているか
・部屋があるか
・かわいがられているか、愛情を受けているかどうか
・えさをあげられているかどうか

などがテーマとして出てきていて、たくさんの条件が考えられそうですね。

「かわいがられていないけれど、えさだけ与えられているのは、ペットと野良の間かな。愛情も与えられていないから、友情もないし」

香川県の佐柳島は猫がたくさん住んでいます。地元の人や観光客からえさも与えられているけれど、特定の家もなく、誰の所有でもなさそうにのんびりと生きています。この猫たちを例に出してくれた子もいました。

ペットと怒る権利について

「そういう猫たちは勝手にかわいがっているだけで、誰かが取っていっても怒る権利はない」

みんなでかわいがっているものを、誰かが取っていったときに怒っていいものかどうか? 

奪われたら怒ることができることと、ペットであることは関係している」とファシリが問いかけます。

「決意があるからペットにできると思う。その準備ができていない人がそれを言っても意味はない」
「ペットを買った時に、怒る権利もついてくる」
「所有物を取られたら、怒る権利はある」
「ペットはお金を出して買うものだから、お金を奪われたみたいな感じがする」

お金を出して買わないペットもたくさんいると思いますが、
やはり所有とペットは何か関係があるのでしょうか?

一方でこんな意見も。

ペットと野良はほぼ同じ?


「ペットと野良は、ほぼ同じ。捨てちゃえば野良になるし、誰かがそれを拾ったらペットになるから」

確かに人間の愛情次第で、同じ個体が、ペットにも野良にもなりえます。

誰かがこんな疑問を口にしました
「愛情をかけたら、植物もペットになる?」

ペットになるのは犬や猫といったいわゆる「かわいい」動物だけではないですね。他にもぬいぐるみやロボットなど、いろいろペットの可能性は考えられそうです。

動物はなぜペットになりうるのか?

他にも
「なんで動物って、野良とかペットって言われるのかな? って」

人間が人間をペットのように扱うことはあるのでしょうか?そしてそれは正しいこと?

まだまだ疑問や問いが山のようにこども達から出てきそうですが、今回はここで時間切れ。ちょっと対話の時間が短かったかな。

最後に約束通り、ファシリのスマホでペットと野良の違いをGoogle先生に聞いてみました。

高速フリック入力

……しかし、みんなが考えたことほど深くは答えてくれませんでした。

こどもたちが真剣に対話をしたら、Google先生の、検索の向こう側に、もうたどり着けてしまうようですね。


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