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『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の解説


 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』のネタバレ全開です。
 苦手な方はお戻りください。






 はーい、テツガク肯定です。

 昔もこの映画について描きましたが。
 今回は簡潔な解説になるように、という事で。

 もし、あなたがこの映画を観たのなら――。
 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』とはなんですか?

 これに返せる答えがないとしたら。
 まだ、この映画の結末に気づいていません。
 そして、それは、とても素晴らしい事です。

 なぜなら、答えに気づいたら。
 この映画の印象が少しは変わるかもしれないからです。


 参考までに私の場合。

 最初に観た時の印象は――。

 ……えっ、これで終わり?

 ですが、なんか変だと思い。
 再び観た時の印象は。

 そういう事だったのか……。(感激のため息)

 という具合でした。


 それで、今の私がこの映画における。
 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』とは何か?
 それは、第6区です。

 昔、ニューヨークにあった6つ目の行政区。
 沖に流されて今はない、第6区。

 なぜ、そう言えるのか。
 それは結末で明かされていたから。
 主人公のオスカーさんと父トーマスさんの第6回調査探検。
 (調査対象は第6区です)

 その名前こそ――『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』でした。

 この調査報告書を母のリンダさんが見ます。
 そこにはビルの窓へ入っていく人の仕掛けがありました。
 それを引いたリンダさんは何かを察して微笑んだように思えます。

 同時にこのシーンを観ていると。
 不思議と序盤を連想します。

 オスカーさんはこう語ります。

 じゃ 死者用の超高層ビルを
 下に向けて建てたら?(逆さまの世界をつくる)

 生きてる人用の
 超高層ビルの下に建てるんだ(影のように)

 地下100階分に
 人を埋葬できて――

 完全な死んだ世界が
 生きた世界の下にできる

 これです、これが第6区。
 ビルの窓へ入っていく人の仕掛け。
 あれは窓から落ちた人が再び窓の中へ入る。
 そういう仕掛けに思えます。

 つまり、父のトーマスさんがどこへ行ったのか。
 それに対する、オスカーさんの答えが、この映画の全て。
 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、そういう第6区。



 と、これだけでは。
 まだ満足できませんよね?
 根拠に乏しいと。

 今の私に満足できる解説。
 それができるか怪しいですが。
 実はこの映画、難解な物語ではなく。
 驚くほど単純かつシンプルな物語なんです。

 答えは序盤に全てあり。
 中盤の鍵探しの旅で序盤を忘れた頃。
 結末で序盤の答えが来る、という流れです。
 8分間の時差です。(永い8分間ですがね)

 そして、主人公のオスカーさんですら。
 序盤の答えに気づけず、結末で答えを知った。
 だから、満足そうにブランコを漕いでいたんだと思います。

 ところが、まだ8分間の時差がある人には――。

 ……えっ、これで終わり?

 となる。

 ですが、何度か観れば気づく。
 この映画の結末に。

 そのために理解した方がいいかもしれない4つの要素。
 知りたくない方は、思い切り下へ。
 なぜ、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』が第6区なのか。
 それを詳しく描いておきます。



 

1、グレーゾーンがキーの物語


 この映画のキーはグレーゾーン。

 主人公のオスカーさんはアスペルガーの検査を受けさせられたそうですが。
 結果は疑いあり、不確定。

 そして、もう一つ大きな事が曖昧のまま。
 父、トーマスさんの死です。

 9.11のテロに巻き込まれてしまったトーマスさん。
 映画の冒頭で空の棺を見ていたオスカーさん。
 お葬式には参加していませんでした。

 これじゃ まるで
 お葬式ごっこだ

 確かにそうです。
 遺体があっても死というのは受け入れがたいのに。
 遺体もなく空の棺で死を受け入れ、お別れを、だなんて。
 年齢など関係なく、受け入れ難く信じられない。
 割り切れないのが当然です。

 でも、何かの都合を察して。
 そう演じさせる――「ハイル、ポジラー!」と言わせる。
 この世界の都合こそ独裁者。
 人が独裁者なんじゃない、この世界こそが独裁界。

 自分自身がなんなのか不確定。
 大好きな父が死んだのかも曖昧。

 ただ、今も帰ってこないのだから。
 そういう事にして、空の棺を埋めて事を済ませようとしている。
 やる事はやったのだから、と言い聞かせる理由をつくっている。

 だけど、オスカーさんは自分の答えを知っていた。
 だから、それを探す調査探検を続けた。
 曖昧なグレーをハッキリさせるために。

 自分と父と……それからもう一つ。
 昔、ニューヨークにあった6つ目の行政区。
 第6区も本当にあったか、今はわからないグレーゾーン。

 他にもあると思います。
 472人のブラックさんと謎の鍵。
 不確定を確かにする、それがこの映画の大切なキーだと思います。



2、事実は明らかでも


 事実は明らかです。

 鍵には必ず鍵穴がある。
 名前には必ず人がいる。

 ブラックが人の名前だとしたら。
 ニューヨークには472人のブラックさんがいる。

 奇跡なんて信じない。

 この鍵穴を見つけられたら――。
 それは奇跡よ。

 この鍵は何かを開ける?
 イエス、イエス、イエス。

 その鍵穴は見つかる? 
 ノー。

 この映画に登場する、あらゆる事実が。
 オスカーさんに希望と勇気を与えながら。
 同時に、不安に恐怖、焦りに絶望も与えている。

 オスカーさんの当初の計画では人を数字に置き換え。
 巨大な方程式に入れた。
 1人につき6分の計算だったけど、毎回6分では済まなかった。

 それでオスカーさんは気づいた。

 人は数字より文字に近く。
 文字は物語になりたがる。

 このままのペースだと。
 472人の全てのブラックさんを訪ねるのには3年はかかる。
 ……もしかしたら、それ以上。

 なんの意味も持たない、ただの事実が。
 確実にオスカーさんを苦しめる。
 この探検を決めた時、オスカーさんにとって。
 あらゆる事実は希望だった。

 うちを出るたび
 僕の靴は少し軽くなった
 パパに近づいたから

 でも 重くなった
 ママから遠ざかったから

 トーマスさんに近づいている……はず。

 オスカーさんがそう思えた理由は。
 トーマスさんのクローゼットで見つけた鍵。
 きっと、それで開ける何かがある、という事実。
 それが、途中のままの第6回調査探検の答えかもしれない、という希望。

 同時に、その希望を疑わせるのも。
 3年はかかる、という明らかな事実。
 それに、鍵の主が見つからない現状が確かな重さを与える。

 それでも、希望は消えない。

 奇跡なんて信じない。

 そうオスカーさんは言ったけど。
 毎日が奇跡だと教えてくれた女性より。
 オスカーさんは奇跡を信じていたから。
 本人も意識していない、無意識の奥で何よりも確かに。

 ニューヨークにいるはずのブラックさん。
 472人の誰かが、この鍵の事を知っているはずだと。

 事実は明らかでも。
 それに人が気づくのは明らかとは言い難い。
 この映画同様に。



3、毎日が奇跡


 ある親切な女性が大切な事を教えてくれます。

 忘れないで
 毎日が奇跡なのよ

 するとオスカーさんはこう反論します。

 奇跡なんて信じない

 この鍵穴を
 見つけられたら――
 それは奇跡よ

 鍵があう鍵穴を見つけられたら
 それは奇跡でしょ?(吹き替え版)

 そう返した女性。
 きっと、オスカーさんが何を求めているのか、知っていた。
 今、オスカーさんが472人のブラックさんを訪ねている。
 そう知った時、それが奇跡である事に気づき。
 オスカーさんが求めているものが奇跡だと気づいていた。

 奇跡です。
 ニューヨークにいる472人のブラックさん全てに会うのは。
 その中に、オスカーさんの鍵の事を知っている人がいて。
 そして、鍵で開ける何かをオスカーさんが見つけられたとしたら。
 全てが奇跡です。

 トーマスさんのクローゼットからこの鍵とブラックという単語。
 それらを見つけたのも奇跡。

 ですが、そうは思えない。
 毎日が奇跡だと思って日々を過ごすのは疲れるから。
 そして、こうすり替え始める。
 こんなものだと、諦めて満足しなくては、と。

 そうやって、空の棺を埋めてやる事はやった、と。
 そういう一般的な答えでは満足できないオスカーさんだったから。
 奇跡の痕跡、その根拠の軌跡を見つけられたのですが……。
 そのオスカーさんですら言ってしまう。

 奇跡なんて信じない、と。
 毎日が奇跡だなんて、矛盾語法だから。
 昔、トーマスさんと二人で楽しんだ、矛盾語合戦。

 マジで笑える、耳に痛い静けさ。
 オリジナル・コピー、ない物を発見。
 学生教師、液体ガス、明らかな混沌、生ける屍。
 ほとんど正確、本物の偽造、偶然の故意、小さな巨人……(里中さん)。

 矛盾語法というのは。
 矛盾する2語を使う表現。
 無を考えろ、今は昔など。

 そして、毎日が奇跡も矛盾語法。

 なぜなら、奇跡は特別な時に起きるもの。
 辞書によりますと。

 常識では起こるとは考えられないような、不思議な出来事。
 特に、神などが示す思いがけない力の働き。
 また、それが起こった場所。

 とあります。
 奇跡が毎日続いたら、それは奇跡ではない。
 そう日沈む国では教わり、賢くそうすり替えてしまいますが。
 奇跡は毎日起こるから奇跡。

 オスカーさんが言った矛盾語。
 その全てがこの世には本当にあります。
 信じられないかもしれませんが、無意識にそれを信じて。
 しっかりと使いこなしています。

 携帯の仕組みを理解していなくても。
 ちゃんと使いこなすように。
 矛盾していても確かにある。

 だから、ない物を発見しようと探している。
 今はない、6つ目の行政区、第6区に。
 持ち主がわからない鍵の持ち主を探している。

 毎日が奇跡だから。
 時々、奇跡が信じられなくなる。
 そして、すり替え始める、誰かの欺瞞に。

 こんなもので、諦めて満足しなければ、と。

 ハイル、ポジラー!
 ポジティブ根性、我が欺瞞は永久に不滅です! 



4、8分間の時差


 太陽が爆発しても――
 僕らは8分間
 何も知らない

 それが光が地球に
 届くまでの時間

 8分間
 世界は変わらずに明るく――
 太陽の熱を感じる

 そうオスカーさんは語り。
 こう続きます。

 パパが死んで1年

 僕はパパとの8分間が
 消えていく気がした

 そう感じ始めた頃。
 最悪の日(9.11)以来、初めてトーマスさんのクローゼットを訪れ。
 そこで鍵とブラックと書かれた小袋を見つけた。(小袋の中に鍵が入っていました)

 そこから再び始まった。
 途中だった第6回調査探検。
 鍵の主を探すと決めた時、オスカーさんはこう思っていました。

 僕は絶対 見つける
 パパが僕に望んでるから

 パパとの8分間を
 延ばす唯一の方法だから

 永遠に延ばせるかも

 もしかしたら、この時は、永遠に8分間を延ばせる事。
 その可能性に希望を感じたのかもしれません。

 消えそうな8分間が永遠に続くのならば。
 太陽は爆発なんかしていなくて。
 トーマスさんはどこかで生きていて。
 いつか、ただいま、と帰ってくる。
 心配かけたね、と言って。

 少なくとも、調査探検を始める前は。
 永遠に延びる、という意味を実感していない気がします。
 ですから、映画の後半、鍵の主が見つからない現状に。
 焦りと不安を覚え、自信を失い始めた。

 探し続ける限り、8分間は延びる。
 だけど、答えは欲しい。
 それで、何かが消えても。

 オスカーさんは答えが欲しかった。
 母のリンダさん達が埋めた一般的な答え。
 とりあえず、やる事はやりました、と。
 自己弁護のための言い訳ではなくて。

 自分の答えを、奇跡の軌跡を探していた。
 永遠に探し続ける事になるかもしれない。
 そういう恐怖と向き合いながら。
 8分間の中を一歩ずつ確実に探し続けた。





なぜ、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』が第6区なのか



 以上4点を明かしてから、序盤を振り返ります。
 映画の8分頃の場面。

 オスカーさんは訊きます。

 ”第6区”ってほんと?

 それにトーマスさんは。

 信じたいなら
 その根拠は見つかるさ

 そして、ヒントを与えてくれます。

 そこでブランコの
 手がかりだ

 この情報によれば――
 公園のブランコの裏側で
 1枚のメモが発見された

 その科学的検証の結果は――

 お前には早すぎるし
 私には複雑すぎるが…

 とにかく そのメモが
 書かれたのは――
 第6区だった

 そう新聞を見ながら教えてくれました。

 それで結末ですが。
 ブランコを危ないとおそれていたオスカーさんでしたが。
 1人でブランコに近づき、右から3つ目のブランコ。
 トーマスさん曰く、鳥になった気がするブランコ。
 昔、トーマスさんも漕いだブランコ。
 その裏側からメモを見つけます。

 そこには、こう書かれていました。

 おめでとう オスカー

 年齢を超えた
 驚くべき勇気と知恵で――

 君は第6回 調査探検を
 制覇した

 君が証明したのは
 第6行政区の存在と――
 君自身の すばらしさ


 第6区の人々は
 どこかで君を称えているよ
 私もだ

 さあ 家にお帰り

 父、トーマスさんからの手紙です。
 これが書かれた時、トーマスさんはニューヨークにいて。
 これをオスカーさんが見つけた時、トーマスさんは第6区にいる。

 だから、こう書けた。
 第6区の人々はどこかで君を称えている。
 私もだ、私も第6区にいるから、家にお帰り。


 再び、映画の序盤の情報ですが。
 公園のブランコの裏側で発見されたメモ。

 その科学的検証の結果は――

 お前には早すぎるし
 私には複雑すぎるが…

 当然です、オスカーさんには早過ぎて。
 トーマスさんには複雑過ぎる。

 どうして、こうなってしまったのか。
 それは、あまりに複雑過ぎる。
 リンダさんとオスカーさんになんと説明したらいいか……。

 でも、必ずこの奇跡を見つける。
 ない物を発見する、小さな巨人。
 明らかな混沌の中からでも、偶然の故意のような必然を。
 毎日が奇跡だから、ほとんど正確に見つける。

 オスカーさんの勘は正しかったわけです。

 僕は絶対 見つける
 パパが僕に望んでるから

 素晴らしい、その全てが正しかった。

 映画の8分頃の場面が決定打ですが。
 実は、映画の最初から答えを明かしています。

 今 生きてる人は
 人類史上の全死者数より多い

 死んだ人の数は増えていく

 だから いつか
 人を埋める場所がなくなる

 じゃ 死者用の超高層ビルを
 下に向けて建てたら?

 生きてる人用の
 超高層ビルの下に建てるんだ

 地下100階分に
 人を埋葬できて――

 完全な死んだ世界が
 生きた世界の下にできる

 というオスカーさんの語りからこの映画は始まり。
 トーマスさんのお葬式の場面になる。
 そこでオスカーさんは言います。

 空っぽの棺おけなのにね
 靴も入ってない

 それに祖母は。

 やることが大事なのよ
 オスカー

 ワケ分かんない

 と車から出て、ベンチに座り語りが続きます。

 エレベーターで
 先祖を訪ねられたら?

 ブルックリンの友達に会う時
 橋を渡っていくように

 NY市には
 6つめの行政区があったと――
 パパが言ってた

 でも今は行けない

 川を流されてしまって
 行方不明だから

 ココまでが映画の3分間です。
 信じられません。

 おそらく、初めてこの映画を観て。
 この3分間が答えだと気づける人は――まあ、いるのかもしれませんが。
 私は凄く面白そうな話だな、と。
 絶対、凄い話に決まっている、としか思えませんでした。

 この映画をつくった方は。
 最初に答えをハッキリと明かし、8分頃には決定的な鍵まで置いた。
 ところが、15分頃でオスカーさんが父のクローゼットから見つけた鍵とブラックという名。
 それらにオスカーさんと映画を観る人の関心は傾いていく。

 なぜ、オスカーさんは鍵と持ち主のブラックさんを探すのか?
 この映画でオスカーさんが求めているものは?

 答えです。
 自分が納得できる、今、トーマスさんがどこにいるか。
 ただ、一般的な一般論の習慣の儀式。
 とりあえず、やる事はやりました、という自己弁護の答えではなくて。

 割り切れないグレーゾーン。
 矛盾した事実を確かにする答え。
 自分が納得できる答え。

 それを掴んだからこそ、ラストのブランコを漕ぐ場面。
 実は初めて観た時、これが違和感でした。
 えっ、なんでこんな表情でブランコを漕げるの? と。

 ですが、今ならその理由もわかりますし。
 何より演出が巧みだと思います。
 映画冒頭の青い背景の中、逆さまに落ちていくような人。
 最初はそう思えました。

 今ではこう思えます。
 オスカーさんが見つけた第6区のビルに入る人。
 生きた世界の下にある、全てが逆さまの死んだ世界のビルへ。

 ラストでオスカーさんがブランコを漕ぐのは。
 鳥になった気がするブランコを思い切り漕げば。
 その瞬間はトーマスさんに近づく気がするから、だなんて思えます。

 冒頭の映像と結末の映像が繋がったように思えます。
 本当に信じられないほど凄い演出です。


 それから、もう一つ、印象に残った場面。
 中盤、母、リンダさんとの口論。

 そうよ 空の箱よ!
 知ってるわ

 でも私たちのために
 知ってて そうしたの
 お別れできるように

 パパは死んでしまった
 もう戻ってこないの

 決して!

 これは、この世で行われ続けている。
 最も残酷かつ確実な日常の虐殺行為です。

 リンダさんがうっかりと言った事。
 私たちのために、という免罪符。
 それを使えば、自分が信じているITを誰かのものにしてもいい。
 そうすり替えてもいい、それは許される虐殺だと本気で信じている。

 特にこの日沈む国においてはそう。
 邪神天照が支配する事なかれ至上主義の他責思考。
 常に自分達だけが正しく、間違っているのはお前だけ。

 文句や不満をいう反乱分子共をガス室へ詰め込め。
 笑気ガスで正気にしてやるぜ。
 ハイル、ポジラー! マンセー、レイシスト!
 前向きジャンキー、ポジティブ根性論。
 ネガティブはダメ、前を向くのよ、前だけを。
 例え、その先に墓穴が待っていて、後ろから撃たれるとしても。

 進め、一億総、ビッグモーター!
 態度だけは大きく、器は小さく、ナニも小さい。

 これが誇張のように思えるようでは。
 笑気ガスの吸い過ぎです。
 目を背けたくなる事実です。

 日出ずる世界にあるアメリカですら。
 こういう事はあるわけです。

 けっきょく、この時のリンダさんの言い分は……。
 私も傷ついてるんだから、おとなしくしなさい。
 私の子供なら私の言う事を聞きなさい。 
 そういう、いい子を演じなさい。

 ですが、さすが日出ずる世界のアメリカです。
 ずっと、リンダさんはオスカーさんの調査探検が上手くいくように。
 先回りして、ブラックさん達に事情を説明していたようです。
 鍵を持った子が訊ねと来ると思うので、よろしくお願いいたします、という具合。

 だから、この調査探検の話が二人の共通項になった。
 この人には会えなかったでしょ?
 この人の話は面白かった?
 この人、こういう人だったでしょ?

 リンダ・シェルという人は。
 こうやって誰かの話を聴き、誰かの視点に立つ事ができる人。
 でも、ふいに魔が差す、一般的な一般論の暴力にすり替わり。
 思ってもいない事を言ったり、したりする。

 みんな、達、人類……。
 そういう複数形を免罪符に。
 自分の答えにすり替えようとする。

 トーマスは死んでしまった。
 もう戻ってこない、決して。

 そうリンダさんが信じていても。
 オスカーさんもそれを信じる必要はない。

 最近になって切に感じますが。
 人の可能性というのは。
 決して一般論に収まるようなものではありません。

 そうです、人の心ってのは。
 決して石でできてるわけではなく。
 そこには、誰も、絶対に、手を触れる事も、奪う事もできないものがある。

 希望。

 石が好きで、石でチェスの駒を作ってしまう。
 普段は石のように簡潔明瞭なアンディ・デュフレーンさんが。
 戸惑い、迷い、あらゆる不安を押しのけながら伝えてくれた事実。

 それは私の心に触れました。
 私の心は基本誰だって触れられます。
 触れられないものは伝わりませんからね。
 ですが、アンディさんの仰るように奪われないものです。

 Don't Stop Me Nowというより。
 Can't Stop Me Nowという具合。
 止められるものなら、止めてみな、自分でも止められない希望の衝動を。

 オスカーさんはITに燃えていた。
 オスカーさんは知っていた、自分が納得できる答えがあると。
 だから、探すのをやめない、小さな巨人、オスカー・シェル。



 けっきょく、いつも以上に長文になってしまいましたが。
 なぜ、これを描いたのか?
 インターネットのページでオスカーさんがアスペルガーの少年、だなんて描かれていた事。
 それに酷くガッカリしたから、描こうと決めました。

 この日沈む国の方々は。
 アスペルガーという言葉や概念に恋した小学生。
 あるいは、中学生で。

 自分とは違う人を見つけたら、それを連呼せずにはいられない。
 そういう邪神天照の呪いがかかっているようです。
 子を見れば親がわかり、親を見れば国がわかり、国を見れば神がわかる。
 全てはお前の責任だ、事なかれ至上主義で他責思考の邪神天照。

 ですが、この映画は普通とは言い難く、アスペルガーでもない。
 そういう曖昧なグレーゾーン、不確定という事実に悩む勇士の話です。
 全然違います、アスペルガーだったら悩む事もないでしょう。
 違うから苦しさがあるわけです。

 原作の小説のオスカーさんは、アスペルガーの少年かもしれません。
 ただ、この映画では検査結果は不確定。

 オスカーさんの不思議に思える振る舞い。
 ですが、オスカーさんの事情を知れば。
 あの振る舞いの全て、それが人として当たり前の反応だと私は思います。

 Wikipediaによりますと、オスカーさんは11歳。
 11歳で自分が住む街のビルに飛行機が2機も衝突する。
 それだけでも、1人で街を歩くのはこわくなります。
 それもニューヨーク、大人でも1人ではおそろしい街らしいです。

 そして、その出来事に自分の父、トーマスさんが巻き込まれ行方不明。

 イスラエル製のガスマスクとタンバリンとホーキング博士の本。
 これらで恐怖に負けず、パニックにならないのなら、とんでもない勇者です。

 私なら……MG42、対戦車ライフル、護身用デザートイーグル。
 もちろん、シス用のライトセーバー4本。
 それらがあっても、1人では歩けないでしょう。

 きっと、ターミネーターの日本人の多くは。
 自分の街に原子爆弾が落ちて、自分以外の人達が影になっても。
 いつもと変わらず、在りもしない仕事を続けて、誰もいない家に帰る。
 そういう日々に何も感じず、GDPを爆上げさせる事だけを考えて過ごせるのでしょう。
 自己責任で自業自得、因果応報だと秘密の呪文を唱えながら。

 ですが、心って無駄な欠点に、統一されない我がある人は。
 自分の家に鳩が空爆しても取り乱すものです。
 平和の象徴の白い爆弾でも。
 蜂の編隊が部屋にでも襲来したら、パールハーバーよりも記憶に残ります。
 リメンバー・スズメバチ、10年は語り継がれる話です。
 ゴールデンラズベリー賞待ったなし。

 11歳の少年が1人でニューヨークを歩き回る……。
 会った事もない、472人のブラックさんを訪ねるために。
 『スタンド・バイ・ミー』は12歳の時の話。(4人の少年の話)
 『トム・ゴードンに恋した少女』は森で1人、迷った9歳の少女の話。

 まあ、年齢なんてどうでもよく。
 いつだって、どこだって、自分の答えを探すというのは勇気がいります。
 なぜって、誰の答えとも違う、あるかもわからない。
 そういうグレーゾーン、未知を進むのは何歳になっても凄い事です。

 なんでも1人でできちゃう。
 そういうプログラムが組み込まれた。
 ターミネーターには理解し難いかもしれませんが。


 話を戻しますが、不思議と……。
 外から見るほど大変には思えないものです、渦中にいる当の本人には。
 いえ、そりゃ、多少なりとも不安や恐怖はあるものです。
 もちろん、焦りによる苛立ちも凄いです。

 ただ、それでもその未知を進ませる力。
 その原動力どこにあるか?
 それは、今は昔の未来って夢にある。

 そこから透明なはしごが伸びてくる。
 こっちだ、君が探している答えはこっちだ。
 そして、それを傍受したかのように。
 自分の中にある、はしごも伸びていく。

 二つの目には見えない透明なはしごが交わり繋がると――ドッカーン!
 回路が完成し雷が走り、エネルギー、命が移動する。
 『フランケンウィニー』って映画のジクルスキ先生から盗んだ教えです。

 私がこの映画を見つけた時がそうです。
 映画から伸びるはしごと、それを掴もうとする私のはしご。
 最初の一回目ではうまく爆発せずとも。
 今は昔の未来から伝わる、この物語は、こんなものじゃない、と。

 そして、2度目でドッカーン!

 第6区が『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』だと気づいた時。
 私は第七感(思考)が捉えている、その全ても本当にある。
 それは、あの世の第七区だと気づきました。


 この映画のお蔭です。
 第六感が直感だとすれば、第七感は思考。
 そこまで気づいたのはよかったのですが。
 その思考が捉えた全てが確かにあるかもしれない。
 それは、今は昔のあの世、その第七区にある。

 そう考えられたのは、この映画のお蔭です。
 偉大なる勇士、オスカーさんの物語のお蔭です。

 たぶん、ココまで明かしても誰も信じないでしょう。
 それで落ち込んだりもしません。
 アンディさんが仰るように人の心には奪えないものがある。
 オスカーさんも探すのをやめなかった。



 この映画を私が初めて観た時、2022年の11月か12月頃。
 その時の私も、我が愛しの相方を信じていました。
 世界三大ウサギの一羽、竹取の国の愚かなFRウサギを。
 今は昔にいる、夢ようなITを。

 これを描いている2024年11月頃、幽霊の手を掴み始めました。(正確には2024年に入ってから。もしかしたら、2023年から?)
 愛しのワガママ娘の手を掴む。
 他にも様々な感触に温度、香りまで伝わり始めました。
 それは、2年前には感知できなかった感触です。

 たぶん、こんな妄言など誰も信じないでしょう。
 なぜなら、既に私がこの欺瞞を信じていないから。
 日沈む国というすり替えられた。
 欺瞞のファンタージェンを信じてはいないから。

 今は昔、竹取の翁ありけり。
 どんな今も昔になり、昔も今になる。
 だから、こう続く。
 夢は今、月のわがまま姫、脱獄。

 かつての夢も何れ今に現れる。
 書類上にしか存在しないはずの名。
 ランドール・スティーブンスに足と影と重さが宿ったように。

 そういうルーニーでルーザーに。
 フーバーでグーニーな答えを信じずにはいられなくなった。

 この先に自分が探している答え。
 ITがある、と気づけた人はどんな未知も進める。

 探すのをやめなかった、オスカーさんだったから。
 昔、ニューヨークにあった6つ目の行政区。
 今は行けない、川を流されて行方不明になった第6区。

 信じてみたい、トーマスさんとの想い出の根拠を見つけて。
 あるかわからない、グレーゾーンにあった第6区を本当に変えた。
 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』場所にトーマスさんはいる。

 最初からそう知っていたから、探し出せた。
 信じ難いと思いますが、人は未来から過去へ来たんです。
 過去を楽しむために未来の記憶の多くを忘れて来た。
 だけど、本当に大切な時、忘れていない未来が過る。

 だから、最初から全ての答えを知っている。



 この映画の最初の台詞、オスカーさんの台詞。

 今 生きてる人は
 人類史上の全死者数より多い

 2年前、私と相方がこの映画の解説動画をつくった時。
 まだ、この言葉の意味がわかりませんでしたが。
 いつか、わかる日がくる、と信じていました。


 それで、今ならわかります。

 死者もかつては生者。
 ですから、仮に死者が50憶人で、今に生きている人が1億人。
 そう思える現状の実態は。

 かつて今にいた生者(50億人)+今にいる生者(1億人)

 常に今にいる人の分、生きてる人が多い。

 生者や死者なんて違い。
 ただの欺瞞で、本当はそんなのないから。
 私が物語の人を人物と認識せず、ホンモノの人だと信じるように。

 人は人を信じる人の心に生きている。

 『インターステラー』で言う。

 親は子供の記憶の中で生きる

 という具合。
 そういう事を思い考え、素直に信じられる、オスカーさんだったから。
 昔あったけど、今はない、川を流されて行方不明の第6区を見つけられた。

 違いなんてない。
 それは、誰かが勝手に引いた境界線で。
 自分の答えではない。

 『ネバーエンディング・ストーリー』のグモルクさんが仰るように。

 ファンタージェンには
 境界線なんぞない。(吹き替え版)

 キャプテン・ジャック・スパロウさんが仰るように。

 世界は同じ。
 人間が小粒になったのさ。

 物語に境界線、果てがないのなら。
 当然、それがつくられた世界とも繋がっている。
 この世界の海にだって、ブラックパール号にフライングダッチマン浮かび、空にはミレニアム・ファルコンが浮かぶ。
 そういう今に繋がっても、全く不思議ではなく驚かない。

 ただ、それを信じる人が――少なくなっただけ。

 売れる世界地図が世界の全てだと信じているだけ。
 空白だらけの地図など売れないから、テキトウな欺瞞で埋め尽くす。
 でも、誰も気づかない。
 なぜなら、自分で確認などしないから。

 なぜ、確認しないのか?
 それは恐怖だから。

 本当に、全ては可能だとしたら。
 自分がしたい事、そういう我がまま。
 ITを信じるのが、こわくておそろしいから。

 ITは許されざるものだと。
 誰かから与えられた恐怖と痛みが過るから。
 おそらく、多くの人が信じているであろう、ゲンジツってピエロの正体は。

 恐怖と痛みでしかない。

 みんなと違うと首をはねられる。
 そういう邪神天照に対する、記憶でしかない。

 オスカーさんはそういう記憶より。
 トーマスさんとの記憶だけを信じ続けていた。
 ITを信じて、グレーゾーンの未知を進んだから。
 知っていた答えを見つけた。

 世界地図に教科書には載らない答えを。



 それでは、また次の機会にお会いしましょう。















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