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【第6話】マーケティングとは、「新しい出会い・新しい市場を創ること」で、「効率化することではない」、という考え方。だから、ブランディングやPRが大切。

僕がなぜ、広告業界に戻ってきたのか?新卒で電通、2000年にサイバーエージェント、2003年にT&G、2009年にTabio、2013年にストライプインターナショナル、2015年にベクトル、、、そして、2017年にソウルドアウト。つまり、14年ぶり広告業界に戻ってきた。

忘れもしない、2016年12月28日。その知らせを知ったのは、その日の午後早い時間だった。渋谷警察の近くの歩道橋を渡っているときにスマホから知った。その瞬間、ゆっくりと涙が流れてきた。なぜだかわからない。寂しさと悔しさが込み上げた。涙が止まらなくなった。「電通の石井直社長が辞任」、、、そして、僕はしばらくの間、茫然とした。どこを歩いていたのかもわからず、気が付いたら東横線に乗っていた。その日19時から記者会見があった。動画で放送されることになっていた。でも、、、僕は見ることができなかった。そして、その日の夜から寒気がおさまらず、社会人になって初めてのインフルエンザにかかった。

社会人になって初めて仕事をした場所、電通。苦い思い出、嬉しい思い出、本当にいろいろとあった。濃い7年間だった。振り返ると、マーケティングやクリエイティブ、そして、ブランディングの素晴らしさ、楽しさ、そして、シビアさを1から学ばせてもらったのが、電通という環境だった。あの場所で、ブランディングという仕事に携わることへの圧倒的な責任感が生まれた。優秀な、というか、ほとんどクレイジーなぐらいに熱のあった、何人かの先輩たちが背中を見せてくれた。感謝しかない。

当時、ご一緒させていただいた佐々木さん。当位も今も、凄い人だ。「佐々木さんは、ほとんど寝てないですよね。いつどこで寝てるんですか?」と僕が聞くと、「俺は、愛と正義のために寝ないんだ。」と言っていたことを思い出す。そして、彼は、次々と世の中の生活習慣さえ変わってしまうような広告コミュニケーションをクライアント様と一緒に次々と創り出していっていた。今でもなお、創りつづけている。「富士山をほんの5センチでも動かせたら、良い未来になっていくだろ。」と、当時の僕にはわからないようなことを、さらっとした口調で言っていた。シビアな表情の中に時折みせてくれる少年のような微笑み印象的だった。そして、いつもいつも、「今まで」の延長線上にはない、新しい、夢のある、ワクワクさせられるアイディアを生み出していくのであった。彼はもう、「仕事する」と「生きる(ことを楽しむ)」が混ざっていたんだと、今、僕も気付く。ワークライフブレンドっていうやつなんだと思う。

僕は、誰に何と言われようと、やっぱり「電通鬼十側」を愛しているんだと思う。なぜか、、?背中を見せてくれた先輩もそうだったように、自然と僕自身の行動の中にもしみ込んでいるような気がする。いろいろどんなことがあっても「母親のことを嫌いになれない」のと同じような感覚だ。「努力は夢中に勝てない」というのがある。夢中になれば、この十側を陵駕した高みにいける、と今の僕は思っている。母や父を超えられるか?の挑戦にも似ている。そう、僕にとっては、今やこの十側は、もう鬼ではなく、僕を育ててくれた母のようなものだ。だから、大好きだ。過激な言葉が入っていたせいで、この「心意気」を電通自身は公式の場から降ろすことになってしまった。でも、一度心の奥底に入り込んでしまったら、ちょっとやそっとじゃぁ、死にはしない。自分の成長や時代の変化に合わせて変わりながらも、本質的なところでは、生き続けていると思う。「美濃部さんは、当時と比べると、ぜんぜん優しくなりましたよね。」と30代前半にサイバーエージェントで一緒に仕事をした戦友からは、よくそう言われる。いやいや、今だから言うと、、一番厳しかったのは、自分自身に対してだったと思う。たぶん、5倍ぐらい。

その母なる十側はこんな感じだ。(過激な言葉を1つだけ違う言葉にして記載)

1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、何があっても絶対に放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

やはり、、好きだなー。

これからの時代は、個性の時代だし人生100年時代。20代の人は、100歳まで個性で勝負していく時代になる。重要な局面で「あなただから」っていう声がかかる人になれば、一生幸せになれる、と僕は思う。そして、「あなたが好き」って言ってくれる人、言える人に囲まれていったら、幸せな最期を迎えられる。だから、若い人たちには、自分の人生は自分自身で創っていくものなんだということを伝えられるように、僕もがんばろう、と思う。

ちょうど、「ワークライフバランス」や「働き方改革」という言葉がはやり始めたのが2016年ごろ。そして、あの事件が起こり、2016年の年末を迎えた。

そう、僕が広告業界に戻ってきたのは、働き方改革やら、効率化至上主義や、顕在層の刈り取りやら、、、、マーケティングとかブランディングとかとは程遠いものたちの台頭によって、僕が信じて止まない「マーケティングやクリエイティブ、そして、ブランディングは、人の人生価値観にも影響する、誰かの人生にあかりを灯すことさえもできるものだ」ということが危険にさらされていると感じたからだった。デジタルマーケティングやネット広告を、さらに心ときめくで素晴らしいものにしていくことができるのに、、、人の喜怒哀楽を掻き立てたり、新しい発見や出会いを生み出すことができるのに、、、それが危険にさらされていく流れを感じたいたからだ。

実は、僕は「顕在層の刈り取り」をマーケティングの1丁目一番地だと思ったことがない。なぜかって?それは、セールスプロモーションというマーケティングのごく一部であって、「市場を創ること」になっているとは思えないなからだ。新しいニーズを作り出す、心のどこかで感じているけど顕在化されていないニーズを顕在化させること、新しい気づきや出会いを創ることがマーケティングだ。今、デジタルマーケティングを標榜する人たちが、「自分たちの業界で行われていることの多くが、セールスプロモーションとして高度なことができている、素晴らしい機能をしている、とても価値のあことだ。」という自己再定義をしていくことで、僕自身も含めてデジタルマーケティングに携わる人たちが、新しい市場を創る、新しい気づきや出会いをつくる、人の暮らしに喜怒哀楽がの感情が増えていくようなマーケティング活動を行うことを本流としていくことで、この先の明るい未来をつくっていけると信じて止まない。

そもそも人は、効率化をするために生まれてきたのだろうか?

この問いに自分自身に投げかけて、「はい」と言える人とは、僕はたぶん、一生かけても分かり合えることはないと思う。だから、お互い違う場所で生き、違う場所で仕事をするのがいい。「愛は見つめ合うことではなく、同じ方向を向いて歩いていくことだ。」とサン・テグジュペリが著書「夜間飛行」で言っている。同じ方向を向いて歩けない人同士はうまくいかない。見つめ合うことさえもできない、、。

僕は、人は効率化をするために生まれてきたなんて、1ミリも思わない。だってさ、、お母さんが子供を産む時って、効率的ですか?、、お母さんがおっぱいを上げる時って、効率的ですか?、、子供が2時間か3時間おきに泣いて起こされるのって、効率的ですか?、、子供をはじめてお風呂に入れるときって、効率的ですか?、、、、成人式に振袖を着た娘さんを車で送っていくのって、効率的ですか?、、誰かを好きになるって、効率的ですか?、、予期せぬ出会いがあるって、効率的ですか?、、、うれしくて泣けるって、効率的ですか?、、誰かのために必死になれるって、効率的ですか?、、愛は、効率的ですか?

僕は、効率的にすることは徹底的に効率的にやることにしている。一方で、効率的にやらないことも徹底的に効率的にはやらない。常識的の3倍の時間や手間暇をかける。人の心に訴えることに関しては、必ずそうする。なぜって?それは、効率的にやっていたら、新しいこと、新しい意味、新しい価値は、絶対に生まれないということを知っているから。そういう仕事をするときは、僕は徹して「非効率を愛せ」と自分自身に言うのだ。

それは、T&Gの時も、社長や社員の仲間たちが教えてくれた。お客様が教えてくれた。「いいウエディングには、小さな奇跡が溢れている。」、そこに行き着くまで、日本全国の会場に何回足を運んだことだろう?何人の涙を見たことだろう?何人のお客様のご自宅にお邪魔したことだろう?言ってみれば、非効率の産物だ。

Tabioで「空を飛ばせてくれたお父さんの足へ。靴下を贈ろう。」という父の日のキャンペーンで、靴下を「履くものから贈るものへ」翻訳しすることによって、新しい市場をつくった時も。5本指のマラソンソックスという市場を創った時も。108店舗に足を運んで接客を受けて買い物をした体験を通じてロジカルに考え抜いた結果の直感だ。これも非効率でしかない。

「誰かの声じゃなくって、自分の、地球の声を聞こう」KOEというアパレルブランドの商品とお店をつくるために、何か所のお店を参考にしただろう?何パターンの服を見たり触れたり買ったりしただろう?200坪以上あるお店の服のパターン数をすべてスマホにメモするのに、何時間お店にいただろう?

効率的に生まれた新しい意味や価値のあるものなんて、ひとつもない。効率化によって生まれるのは、良くてぜいぜい、改善・改良ぐらいだ。

でも、、、副産物がめちゃくちゃ大きい。それにこそ効率化の意味があると、僕は思う。それは、効率化によって生まれた時間を、新しいものを生み出すために非効率に使うことができるということ。作業の時間を限りなく減らし、新しい市場や、新しい価値を生み出すための活動に時間を使うことができる。

たとえば、僕自身、いつもいつも考えている。いつもいつも、情報の引き出しを増やすために、いろいろなものを見ている。見ては考え、見ては考え、見ては考えが、絶え間なく続いている感じだ。決して、机上の上(WEB上の情報など)で済むことがない。僕は、マーケティングやブランディングは、「あるものを世界でいちばん大切にしたい、たったひとり」に対して「伸びしろ」を見つけ、「いちばん映えるように翻訳」して、「新しい意味や価値を創る」ことだと考えている。だから、その際に、「いつか見た、あの時の、あのシーン」の引き出しがあればあるほど、お客様との運命の出会いをつくること、明るい未来を想像するこができる。それができれば、、、その「たったひとり」に刺さることができれば、一定の濃い新規顧客を生み出すことができる。

靴下屋の父の日のキャンペーンの時は、こう考えた。

世界でいちばん大切にしたい、たったひとりは、お父さんに世界一感謝しているひと。したがって、東京から遠く離れた地方の実家を離れて、東京で就職し、東京の人と結婚し、東京で暮らし、子供が二人いて、二人目が3歳の女の子。そんな35歳の女性。その人のお父さんが70歳で重い病になり危篤。お父さんに一目会いに病院に駆けつける。お父さんを見守るお母さん、お兄さん、そして、自分。家族4人の頭に走馬灯の一コマが流れ始める。その4人の走馬灯の共通の一コマでお父さんの靴下が映っているシーン。そんなスローモーションの記憶。そして、その記憶のワンシーンが、その女性以外の「お父さんにありがとうを言いたいひと」の思い出の中にもあったら、上手くいくはず。

考えること数日。僕がとった子供たちとの写真の何百枚も見返した。実家にも帰って、古いアルバムを引っ張り出してみた。そして、畳の部屋を見た瞬間に、ある記憶が読みあがえった。「ひこうき」、、、父が寝っ転がって姉や自分のことを足の裏に載せてくれた「ひこうき」。お腹がくすぐったかった「ひこうき」。そうして生まれたのが、「空を飛ばせてくれたお父さんの足へ。父の日に靴下を贈ろう。」だった。

これによって、父の日に何を贈ろうか迷っていた人だけでなく、父の日に何を贈ろうか、、、と考えているうちに、メールや電話で済ませていた人までもが、靴下を父の日に贈ってくれた。「履くもの」だけではなく、大切な記憶を蘇られせくれる「贈り物」の市場が生まれた。

マーケティングやブランディングの仕事は、本当にステキで素晴らしいと、僕は心から思う。だから、少しでも多くのマーケテイングに関係することをやっている人と一緒に、その醍醐味を感じられるようなことを生み出して、人の心がちょっとときめいたり、生活に少し嬉しいことや楽しみが増えていくようなことを創っていきたいと思う。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ラクスルの田部さんと一緒にやったセミナーの記事にも参考になることが書かれています。もしよかったら、読んでいただければ嬉しいです。


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