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「美とは?」と最近よく思う

一つのアニメ絵(2.5次元)からとあるコンセプトで大量に(色んな角度で)レンダリングして、1MBの画像が80分で2400枚。一枚2秒。ダウンロードのほうが時間かかるという・・(笑)

「本人とわかるもの」「本人とわからないもの」両方をテストしてる。前者は変わらずボランティア向け。プリントアウトして、本人たちに手渡したいので。

AI生成(誰がモチーフかは撮影者はわかるけれど、違う顔だと言ってもおかしくはない)
AI生成(誰がモチーフかは撮影者も本人もわからない)(しかし、特徴がとらえられてる子がいるな・・というのはわかる)(つまりは肖像権の存在しない別人)

特徴がありそうでない場合は、ブレが目立つ。 逆に、明らかに特徴のある子は「これらはすべて同じ」だとわかる。

特徴のある顔、って結構あったりするのよ。私も、写真を配ることをやってきてるから、「特徴のある子」「ない子」っていう区別はしてるんだけど。

「特徴のある子」って、平均値からはズレるんだけど、覚えやすい。覚えやすいので、写真を渡す時に困らない。

「安心する」と「覚えやすい」が、かなり異なる。 平均的な顔は「安心する」けれど、突出した顔は「覚えやすい」 赤ん坊が可愛らしく感じるのもそういうこと。成長というのは、シワが増えるということでもあるけれど「特徴を作っていく」過程。・・なので赤ん坊は特徴が少ない。よって「安心する」から可愛らしさを感じる。

(逆に言えば、安心が出来る顔だからこそ「愛らしいという感情が湧く」というように、プログラミングされているとも言えるのだろう)

この概念は、おそらく、AI/MLにおける「特徴数」というような表現(パラメータ)で理解されうるのだろうというようにも思う。

過去9年間で東南アジアで撮影した写真は30万枚以上で、うち人物写真が半分程度あるので、大体1000人程度の顔は少なくとも「記憶に残ってる」。うち、今いる場所に関連する(〜名前と顔が完全に一致している)のは250人以上いる。
(一日で撮影した枚数として、2000枚程度が過去最高。バッテリ3枚使い果たした(笑))


昔ながらの「いなか」ってこともあって、近隣での「交配」(近場で配偶者を見つけて子孫を残す)も多く、子どもたちの顔を見ていると結構数パターンに集約されると思うこともある。

クメール顔(顔の特徴というより、肌の色)、ベトナム顔、中国顔、タイ顔、・・・というような。まあそれに加えて、少数民族の顔が幾つか混じっているのだと感じる。

AI生成

一方で、特徴の有りすぎる顔の場合、なんらかの加工をした時、「崩壊する」事も多く、一方で、うまい加工をすると「表現が難しいくらい美形になる」事も多い。

良かれ悪しかれ、特徴が浮き彫りになる、というような表現が正しいのかしらん?

そして、「特徴」と「特徴」が、<喧嘩する>結果として、崩壊する。逆に、特徴が「長所として引き出されて」美形になるということも。日本語では、「顔が濃い」「顔が薄い」という表現を使うけれど。

AI生成(ひだり足の親指が・・・w)


AI生成

生成AIも、今は過渡期だから、既存の「権利」であるとかに敏感な人たちもまた色々と言いたいこともあるのだろうし、「美醜」についてもまた、いいたいことがあるひとも多いのだろうなあ、とは思ったりはしますが・・、

私は正直に言えば、生成AIを通じて、我々が持つ「美意識」を再構築出来るんじゃないのかな、と思ってはおります。

・・てか、人間に一番最後に残る「人間らしいこと」って、美意識かなとも思うわけだな。美意識というのは、画像だけに限らなくて。論理性の美意識などなど。


というわけで、

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