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【夫婦道 散歩道 〇西”町”歩き】


那覇市歴史博物館 所蔵




地名としては那覇市 西なんですが
西町という言い方や
アパート名や店名などにも
”町”がついている方が
ポピュラーな気がしています。
お隣の地区は東町なんですけど
どうして地名が”西”のみになったのか
不思議に思っています。
ネットでぱっと見た感じでは
理由は出てきませんでした。

戦前は那覇港があったこの地域が
那覇一番の繁華街であり
役所などもあった中心地でした。
さらにさかのぼると琉球王国時代は
東村、西村という地名でした。

現在の那覇市 西は区分としては広く
埋め立てで三重城や
現在のうみそら公園方面に
明治~大正期に土地が広がったようです。
元々の街区(現 西一丁目)が西本町
埋め立て地を西新町(西 二丁目)と
行政区分で呼称されました。

1960年には西本町、西新町に
東町と通堂町(現 那覇ふ頭あたり)を
統合して元町という地名になりましたが
大不評だったようで翌年には
現在の西、東町、通堂町になりました。
この時、西”町”ではなくなっています。
どうしてだろう?

そんなことを考えながら夫婦散歩。
故太田昌秀元県知事の
沖縄国際平和研究所跡には
たくさんの観光客が行き来する
ホテルが建っています。

立ち止まって見てみると
アパート・マンションの
居抜きのようなホテルが
しょっちゅう名前(所有会社)が
変わっていたり
ずいぶん前からあった漫画喫茶が
きれいさっぱり更地になっていたり。

歴史の上書きを
目の当たりにしている感じでした。

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