おつまみ噂話
「◯◯が◯◯らしくって」
「◯◯は最近◯◯だってね」
「◯◯と◯◯って◯◯◯らしいね」
自分の話をせぇよ!!笑
とエモーショナルな出だしですいません。
そう。皆 噂話と他人の話が大好きだ。
居酒屋で働いてると呆れる程 確信のない話が溢れてる。
この小さな店、小さなコミュニティからも感じ取れる事は、「世の中の人たちの自分発信の下手さ」である。
下手というよりは、「無い」と言う方が適切かもしれない。
0→1(ゼロイチ)が出来ない。
やり方が分からない様にも見える。
10代後半で「詩を書いて生きていきたい」などと厨二病をこじらせていた僕からすると、「生きる事は表現する事だ」なんて事は当たり前だった訳だが、
どうやら世の中は表現便秘に陥ってる様だ。
(お食事中の皆様すいません。)
思い返せば10年前どこぞのパーティー?に呼ばれたら際に
「僕は頭の中に歌詞はあるんだが、いつか曲を描いてくれないか?」
と言う愚痴だか依頼だから分からない要求を初老の男性からされた事がある。
その時に「あぁ、やりたくてもやらないで人生を生きてる人もいるんだなぁ」とカルチャーショックだった。
「自己表現」なんてものは難しい事じゃない。
それを収入に繋げようとすると、何かしらの頑張りと寄り添う事になりそうだが、自分の内なる想いを外に出すと言う行為は、特別な事ではないのだ。
皆、何かしらの こうなりたいあぁしたいはあるし、その想いの先にある改善点を模索して探求していけばいいのだ。
だのに、
それなのに、
居酒屋の酒の肴は「他人の話」のご馳走で溢れている。
これって一体なんじゃらほい。
結局は無責任でいたいのかなと。
(勿論、居酒屋なんて場所は皆さんの仕事終わりや休日のOFFの場所でもあって、そんな熱い思いを持ち寄りたい人ばかりが居る空間ではないと言う事は考慮しなくてはならないが)
自分はこう思う!こうしたい!みたいな発言は、自分へのプレッシャーにも成りかねないものだし、先日も書いた様に、そういう事を話さない話せないコミュニティに属していると、疎ましがられたり、もう発信しない事が癖になっていく。
もう貝になっていく人生である。
僕は信じられる仲間とは
「次は何したい?」
と聞く様にしているし、それを答えられる様な奴らとしかプライベートで関わらない様にしている。
その答えが「旅行だなぁ」でも「FXやってみたいな」でも「今は子供の成長の側にいたいなぁ」でも良いのだが、それさえ言えない人との時間は僕には無駄である。
だって、つまらないんですもの。
僕にとっても、相手にとってもストレスだし、発展系がないし。笑
頑張る事じゃなくて、ただ単に口に出す。外に出す。叶わなくても良い。
それをやるだけで世界は変わると思うのです。
(あれ?何の話だっけ?笑
皆さんは「次は何したい」ですか?
それでは、皆さま明日も快適なお通じを。笑
#表現便秘
#次は何したい
#酒の肴
#他人の話
#自分の話