ワークショップを出発点にして。
ワークショップと
ファシリテーションについて
さまざまな角度から探求している大好きな本
『 かかわり方のまなび方 』(西村佳哲・ちくま文庫)
を久しぶり読み返しているのですが
ある一文をきっかけに絶賛脳内トリップ中でして。
自分の中が整理されて
何かに繋がっていきそうな予感があるものの
これがなかなか見えてこない…
でもその予感は結構信じられているので
ひとまずその一文を備忘録として
このnoteに綴っておこうと思います。
「ワークショップとは何か?」という章で
著者の西村さんが考察している
ファクトリーとワークショップの違いについて。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ファクトリー(工場)の特性は
「何をつくるか?」が
あらかじめ決まっている点にある。
そしてそれを効率よく、高精度に、間違いなく
生産するためのラインが設計され稼働する。
一方ワークショップ(工房)では
「何をつくるか?」はあらかじめ決まっていない。
少なくとも設計図のたぐいはない。
そこには素材があり、道具があり
「少しでもいいものをつくりたい」意欲を持つ
職工が集って、互いに影響を与えながら働く。
そしてつくり出すべき「なにか」が
その場で模索されてゆく。
ファクトリーは量産するが
ワークショップは量産のための空間ではない。
また前者において
失敗はあってはならないもので決して望まれないが
後者(ワークショップ)では
失敗はむしろ重要な手がかりで
いい失敗を積極的に得るべく試作が重ねられる。
ファクトリー(工場)は
システムを所有し管理する側が
大きな影響力と権限を持つ社会を象徴している。
その発展は、素人より専門家が
生活者より消費材を供給する側が
よりパワフルな社会の深化でもあった。
一方ワークショップ(工房)では
一人ひとりの個人が中心で、権限も分散している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自分が無意識レベルで求めていること
そして、避けたいと思っていること。
このワークショップ的な捉え方が
自分が好きなことは間違いないのですが
これが、何と、どう繋がっていくのか。
またゆっくり脳内トリップしてみることとします。
詩が生まれてからさらに
ワークショップ的な場所や人などへの関心が
強まったことは間違いないなぁ。