東京のデルタを回る③
デルタ、三角州のことです。多くの人が社会の地理や理科の地学で「川が土砂を堆積して作った土地」と学んだのでしょう。
しかし、私たちの首都こと東京が、このデルタによって形成されたことはあまり知られてない!?
東京は川の町ですね。多くの川があるだけでなく、川とともに発展してきた町である歴史的背景を東京都民は知らなければなりません。そうでないと、選択を誤り、気づけば変な東京都議会議員や都知事や条例が成立し、私たちの生活が脅かされるかもしれません。
そんな筆者は東京都民ではなく、東京の植民地である埼玉県民であるが。
川の町。はじめて東京こと江戸を開発した徳川家康がまず重視したのは川。
かつて江戸湾(東京湾)に流れていた利根川を銚子に移した利根川東遷事業、伊奈忠次ら伊奈家に家康は治水としての河川改修を行わせた。
だけでなく、飲み水としての上水の整備も家康は大久保藤五郎に神田上水の開発を命じた。
何より、船による物資運搬に注目した。それが江戸湾東部(今の千葉)の行徳塩田から生活に必要な塩を運ぶためにつくられた小名木川。
今の江東区は深川あたりに、小名木川を中心に多くの物資輸送用の水路がつくられ、これはやがて江戸に全国の荷物を集散させる要となっていく。
地形的にも、東京は川が作った形となっている。
東京の西の果て、八王子と甲府を分ける関東山地。そして、土砂が積もって伸びている武蔵野台地が、皇居(江戸城)まで伸びている。今の山手線が武蔵野台地の東端だ。
そこから東は、荒川から分離した隅田川を境に江東デルタに入る。
埼玉西北端から東京を潤してきた荒川が江東デルタの東端。ここまでが、いわゆる「下町」といわれている地域で、北は墨田区と南は江東区。荒川を越えると下総こと千葉に近い江戸川区。
かつて江戸は日本橋と北にある浅草が、関東大震災で壊滅の危機となるまで人口密集地帯であり下町はそういう商人や庶民が密集している地域であった。
現在の江東デルタは「東京の東端」というイメージだろう。
北はスカイツリーがそびえたち、両国国技館や亀戸天神などの名所があれば、深川の門前仲町に砂町を経て、さらに南は市場のある豊洲、国際展示場やビッグサイトのある有明、夢の島に新木場などの湾岸うめたて地帯が広がり、開発が進んでいる。これまでの「江東デルタ」の記事にて、隅田川を北上し、荒川を南下しながらその歴史を記述している。
今回の「江東デルタ」をめぐる旅、いよいよこれら新規開発が進んでいる湾岸うめたて地帯を描写して「東京のデルタを回る」記事の締めくくりにしていきたい。無い知性でもふりしぼって描けば、良識ある人々が何か東京の問題点を感じてくれるのではないか(自分の能力のなさによる責任放棄と他力本願!)。
では、みなさんご唱和ください!
「東京△(とうきょうさんかっけぇ)! ヤバイこのΔ(デルタ)!!」
埋め立て地帯に入ります!
銀座のある中央区、築地市場の跡地から埋め立て地に入ろうとします。
いや、ここも元は埋め立て地なんですけどね。家康入府より前は江戸城や日比谷まで海だったので。
家康は神田山(秋葉原あたり)の山を崩して江戸城まわりの海を埋め立てました。これが東京の土地開発の初めでしょうか。埋め立て地第一号です!
で、江戸時代は大まかにどこまで海だったかと言うと、今から築地より入る勝鬨橋より北の石川島と佃島が島で。
石川島は寛政年間に松平定信の政権下、「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵によりつくられた人足寄場というホームレスや前科者の更正労働施設があり、社会の歪みに歪まれた人々を救済し一般人となるよう訓練する場所となった。のちに石川島監獄もつくられる。
さらに水戸藩が造船所もでき、のち「石川島播磨重工」(今のIHI)のもととなる。今でも企業と工場が並ぶ地域といえよう。
佃島は大阪方面の佃の漁師が入植した島で佃煮が有名。やがて旗本の石川重次が拝領することで石川島となり連結されるが。明治時代に築地に連なる「築島」から「月島」となったようで、今や「もんじゃ焼き」で有名になった場所ですね。
まとめると江戸時代までの江東区の海岸線は、東西線の門前仲町(富岡八幡宮)や木場(荒川で運ばれた木材を貯めた場所)あたりだったよう。
やがて、関東大震災の瓦礫を用い、豊洲や有明、東雲などの埋め立て地ができはじめます。
さあ、まず江東区ではありませんが、かつて魚市場で栄えた築地に行ってみましょう。豊洲市場に移転したあと、現在はどうなっているのでしょうか。
ご覧あれ!
豊洲に着くのは15時~16時ぐらいで時間が早い市場である豊洲のお店もほぼ閉店でしょうから、築地でお腹を満たしたのはよかったです。
これから勝鬨橋を通って、月島と勝どきのある埋め立て地の島を通過し、晴海大橋を渡って豊洲を目指します(以下にパネルの地図あり)。
さあ、問題です。「勝鬨」ってどう読むのでしょうか?
豊洲市場はどんなところ?
過去に東京に来たことある方々は、やはり東京の市場というと築地のブランドがまだ根強いと思います。
築地から牛丼チェーンの老舗「吉野家」がはじまり、築地から「すしざんまい」を千葉の関宿(チーバ君の鼻先)から生まれた鈴木貫太郎にならぶ有名人「木村清」がはじめ。まあ、東京の台所と言われ、おいしい海鮮が手に入る場所は築地というイメージ。
しかし建物の老朽化や設備の不十分さ、狭さなどから豊洲に移る計画が進んでいった。なんと、築地は吹きっさらしの屋根だけついて壁が無い建物で、イメージとしては路地に出店が並んでいる程度。冷暖房もなく風雨が中に入るほか建物もアスベスト建材がほとんどで、狭い中に店が密集しているため、1999年から4期の長期政権を築いた都知事・石原慎太郎のころから移転計画が進められていた。
しかし、2016年に移転が決定したときに小池百合子東京都知事により当然に延期が決定。専門家会議を結成し、土壌や水質の汚染問題を研究するも、結局は法的・化学的にも安全なことが証明された。
しかし、小池都知事はこの問題を自身のパフォーマンスに利用。「安全ではあるが安心ではない」などと迷走する言葉を掲げ、もはや豊洲には施設をつくっているのに棚ざらし状態。豊洲市場の施設維持管理費は1日数百万、年間100億近くの税金がドブに捨てられた状態だ。
当初より遅れ、やっと豊洲に移転され、冷暖房完備でアジア最大規模の最新設備を整えた。あの土地汚染などの問題は何だったのかというくらいに平常運転である。
小池百合子都知事はテレビに多く出演したことにより知名度があがり選挙も再選。東京は良くも悪くも風を吹かせた人が人気を取りやすい。残念ながら東京にとって有益か不利益かでなく知名度で当選しやすいかもしれない。
あとはテレビがそれを扇動することもある。豊洲市場反対派は、豊洲ヘアピンカーブ地帯(ターレットと言う小型荷物輸送車が走っているときにカーブし損ない事故が多くなると言われた、豊洲移転反対派の議論)も大きな話題としてテレビで主張された。しかし実際は難なく無事かつ普通にカーブされていて。まったく事実に基づかない妄想が主張されているテレビの実態が浮き彫りになった。
これら乱痴気騒ぎに、2021年東京オリンピック選手村のある晴海ら臨海部と虎ノ門など都心部を結ぶ環状二号線というショートカット道路という重大インフラの整備も遅れる(築地跡を通るため築地移転延期により工事が遅れる)。
にも関わらず、やっと2022年に全面開通するときに平気な顔してテープカットで笑顔を見せつけた小池都知事。都民の一部は静かに怒りを心に燃え滾らせてることでしょうが(ただ、都知事選には碌な人が立候補しない…)、そんな思いで豊洲のこれからの発展ぶりを見届けてくれればと思います。
市場はマグロの競りの場所に、その周りにいろんな解説のパネルのエリアを見学できます。(競りは早朝のためこの時間帯にはやってません)
さて、外に出ると場外のお店も見られます。まあ、何度も言うようにたいがい早じまいですが。来年の2月あたりにオープンされる「千客万来施設」。本来豊洲市場開場に合わせるつもりでしたが、これも小池都知事のせいで遅れているようで。(二転三転する小池都政の方針に万葉倶楽部側が激怒したとか)
来年は千客万来がオープンし、東京の一大スポットとして発展するでしょう豊洲。まだまだその可能性を秘めているようにも思えます。
みんながたくさん来て、お魚と市場について勉強して、たくさん買い物をして経済を回せばいいよ!
ゆりかもめに乗り、お台場に向かいましょう。
お台場の今、ダイバーシティって何?
筆者は実は歯医者を予約していたため、この日は帰宅し、別日に再びお台場に訪れました。今度は築地(中央区)の南、新橋と浜松町の南、芝浦からレインボーブリッジでお台場入りします。
お台場と言うと、フジテレビの独特な建物をイメージしそうだが、もとは1853年にペリー来航後、外国船の接近から江戸を守るためにつくられた砲台の設置場。江川太郎左衛門英龍により品川から深川洲崎にかけて数基つくる予定だったが6基完成された。
ってか、外国人がとても多い。っていうか、外国人だらけ。
以前逮捕された外国人YouTuberジョニーソマリ、そして先ほど日本の新幹線とホテルで無賃乗車と無銭飲食のオススメのやり方を紹介・実行していて多くの日本人の不快感を買っているフィディアスを知って。
さらに、以前から川口のクルド人問題や中国の日本の島(山口県の笠佐島)の買収や、中国人などの北海道の各地の水源林や東京の土地買収問題、イスラム教徒などの日本の神社の破壊問題、日本人の常識やモラルが通じないのに、まったくそれに対するシステムを作ろうともしない政府に脅威を感じている僕としては、外国人のこういう静かな侵略(サイレントインベーション)をずっと発信し続けていたい。歴史を知り各地の郷土と民俗を愛していきたいので、多くの人に知ってほしい重大な問題だと思う。
(川口市からは多くの日本人が転居し人口流出が進んでいるとも聞く)
(フィディアスは何度か駅員に拘束されるも病人のふりをして逃亡し、バスの無賃乗車の分は警察に支払わせていた。なぜか外国人は逮捕されるも検挙できずに無罪放免が多いのも変な法体系だ)
日本政府は、ただただ「外国人差別をやめ寛容な日本人になろう!」「外国人を受け入れる多民族国家を目指そう!」「少子高齢化に対して安い労働力として外国人を受け入れよう!」と無造作に受け入れ、何の対策もしていないのが問題なのだ。
このお台場で、日本を守ってくれるように神に祈るしかないのだが…
セントラル広場に向かう途中。商業施設のダイバーシティ東京を目指す。
ダイバーシティは、最近のカタカナ用語に弱い僕は、ダイビングする人用の町づくりという観光業の一環だと勘違いしてました。「東京湾でダイビング? 浅くね??」って思ってましたが、あとで調べたら「ダイバーシティ=多様性」のことらしい。
たしかに多様性に寛容であるべきだと思うし、衆道文化があり(僧は寺に、武士は戦場で「男子しかいない」ため。江戸時代まで結婚は親が決めることが多かったため、恋愛と言えば一時の逢瀬、それは男女または男と男というのが一般的でした。)、かつ外国に対しても寛容(織田信長は黒人奴隷に弥助と名をつけ士分に取り立てている、または多くのキリシタン大名が貿易の利益とはいえ外国文化に興味関心が高かった)な日本の歴史であった。
けど、今の自民党政府の野放図なLGBT理解推進法。むしろ同性愛やトランスジェンダーの方々からも批判が出ているほどの無茶苦茶な設定。
祖国や国益、郷土と家族を大事にしたい、つまり「変えるところは変えるべきだがまずは慎重にあるべき」という保守的な僕は、今の極端にハンドルを切って事故がおきかねない極端な多様性に大きな疑問を持つ。
て、ダイバーシティ東京に入るも、普通の商業施設のようで、また機会あれば勉強するとして、今は「今からもっと臨海部うめたて地帯を散策するため何時間歩くんだろう」と思っている僕としては、はなまるうどんで食事をする程度。天ぷらうまぁい。
エコに対するアピールがところどころ見られるのと、半分外国人ぐらいがニコニコと東京を楽しんでいる平和な様子を眺めていた。みんなが日本を好きに楽しんで、日本を尊重し、大事にしてくれれば良いのだが。
目当ては、ただこれ。ガンダムです!
最後に、新木場を目指す。
ゆりかもめ「お台場」駅から「東京ビッグサイト」駅に降りる。
先日豊洲市場にてゆりかもめから新橋に去って行った、横断の続きを歩こうとする。
ただ、豊洲市場駅からちょっとワープしているところは許してください!
東雲~新木場を経て、若洲に至るとだいたい埋め立て地帯を回ったことになるかな。若洲の先にある海の森公園と令和島には、東京ゲートブリッジを渡らないといけないけど、レインボーブリッジすら高所恐怖症で渡れなかった僕です。あと時間的にも5時は超えて真っ暗になりそう。
またも、難読地名です。「東雲」ってどう読むでしょうか。
答えは、「しののめ」です。明け方とかそういう意味らしい。新しい埋め立て地という意味でもあるのでしょうか。東=日が昇る方=春という意味もあるし。
新木場駅に着きました。ふだんは、浦安などの千葉方面と、京葉線の東京駅と乗り継ぎをするため乗り降りするだけ、なかなか駅の外(以前第五福竜丸事件の博物館を見に行ったぐらい)に出ないところですが。
木の町といっても、もとはもっと北の深川方面にある東西線木場駅が本来の木場(荒川から運ばれた木材を貯める場所)で、新木場は新興の埋め立て地ですが、近くに(まだ訪問してませんが)「木材・合板博物館」があり、木の町を全面的に推し進めています。
まあ、後述しますが、新木場一帯に広がる「夢の島」は「東京ゴミ戦争」に発展した「ゴミの島」となったわけですが…
実は、若洲を1時間もかけて何キロも歩くのが億劫でしたが、行き方をグーグルマップで検索すると、「新木場からバスが出ている」のが分かり。
「渡りに船」ならぬバスで、若洲は工場しかない閑散地域のため帰りのバスが不安ですが、とても有難い展開でした。ラッキー!
ちなみに、若洲に行く理由は、もちろんこの若洲の東が「葛西臨海公園」であり、江東デルタの東端の荒川の河口で、デルタを回る旅の最後にふさわしいのはあります。
しかしながら、もう1つ見ていきたいのが、あの平成はじめに日本を震撼させた事件。「女子高生コンクリート詰め事件」の女子高生がコンクリで詰められたドラム缶が発見された場所でもあります。
胸糞悪い話なので、どうぞ飛ばしてください。
しかし「語り継ごう」という勇気ある方はお読みください。
場所は埼玉県の三郷市。加害者は足立区綾瀬の高校中退で不良行為を続けていた4人。目的は性欲を満たすため。
八潮南高校3年生の少女を見つけ、拉致を行う。そして、顔の形が変わるほどの暴行、火傷、慮辱、それら理不尽な行いを憂さ晴らしの度に何度も行う。想像も絶する慮辱、監禁、一例をあえて言うなら、失禁した少女に激高し顔が腫れるまで殴る。「でけえ顔になった!」と喜ぶ不良少年たち、さらにライターと揮発油で引火して楽しむ。その後精神の限界を超えたのか、少女はわざとステレオにぶつかり痙攣をはじめる。
不良少年たちは何日も繰り返し、朦朧とする少女の「もう殺してください」の哀願を茶化し、殴る蹴る、鉄球をたたきつける、引火するなどを夜8時から10時まで繰り返した結果、10時ごろに少女は息を引き取る。
少女の異変に気付いた男どもは、翌日にドラム缶を用意し、コンクリートで敷き詰め黒いゴミ袋に入れガムテープでしばり、当時埋め立て地で有刺鉄線に囲まれた荒れ地で家電製品などの不法投棄も多かった若洲に遺棄した。
不法投棄のゴミの中、発見は遅れ、3か月後の3月末に、工事現場でドラム缶は発見される。
さあ、いよいよゲートブリッジと渡るつもりがない「海の森公園・令和島」です。
東京湾の西を眺めるということで、良い夕闇の空を見れるかと思ってましたが。何という絶景でしょうか。歩いた疲れが吹き飛ぶ思いです。
新木場駅からちょっと散歩。ゴミの島だった夢の島です。
そういえば、こないだ杉並区の高井戸にあるゴミ戦争の博物館に行ったので、シンパシーを感じます。
おまけ。新木場から越中島へ、佃島と石川島辺りの江東デルタに戻る。
都内の駅にしては、閑散としている駅として有名な越中島に行ってきました。
あと、ここも江東区。北は深川、南は月島で、旅の締めくくりに良いと思いました。
海の森公園と令和島、あと有明の倉庫群とフェリー乗り場のある埋め立て地(ビッグサイトの向こう側)は行けなかったのですが、たぶんゲートブリッジを横断するには、一度生まれ変わらないといけないと思うのでご容赦ください。