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くるくる、くるり。千葉の鉄道

最近、YouTubeでユーカリが丘線の動画をいくつか見たせいか、開発業者の不動産会社「山万」の広告動画が頻繁に流れるようになりました。

こんにちわ! 今回は寄生虫ではない僕です。
前回は僕は虫となり、チーバ君の体内を巡るイメージで房総半島を1日で1周してきました。しかし館山ぐらいしか観光してない僕は旅が終わった後、何となく物足りなさから旅の余韻を求めてユーカリが丘線に向かってしまいました。目的は、ユーカリが丘を1周していくこと。
鉄道を丸々1周、しかしたった10分の旅
房総半島を内房線と外房線を1周する壮大な旅、はもういいから、フルコース後のデザート感覚でも求めていたのでしょうか。千葉駅から総武線津田沼駅から京成本線の新津田沼駅に乗り換えて行く頃にはすでに17時をまわっていました。

ところで、東京は世帯当たりの自動車の保有台数が0.422台で日本最小。つまり、だいたいは鉄道でどこでも行けます。関東圏はいろんな鉄道路線が入り組んでおり、いろんな鉄道の旅を楽しむことができますが、今回は千葉の「珍鉄道」を2つご紹介します。

くるくるまわる!ユーカリが丘線

千葉県佐倉市ユーカリが丘ニュータウン。株式会社山万が開発している町であり、YouTubeの動画ではいかにも意識高い系な人々の声や開発の意気込みが聞こえてきそうです。
その山万が1983年にユーカリが丘ニュータウンに開通(全通)させたのがユーカリが丘線。

そのまま京成佐倉駅に向かい、本佐倉城や武家屋敷に国立歴史民俗博物館に向かったり。
京成成田駅に向かい成田山新勝寺に向かうのが王道の観光スポットでしょうが、ちょい津田沼からすぐ、ちょい京成佐倉の手前。10分ちょっとだけグルっと回ってみるのはどうでしょうか。
ユーカリの葉のごとき?  テニスのラケットのごとき?
ハエたたきや布団たたきのごとき?  チーバ君の脳に寄生する何かの虫のごとき?
1周10分、遊園地のアトラクション並みかそれより安い200円で、何なら永久にクルクルと回ることができるユーカリが丘線です。

なぜユーカリなのか、山万はユーカリの樹の「殺菌作用と浄化作用が自然環境と調和」というニュータウンのイメージと重ねようとしていますが、年代的にコアラブームがあったからなのか。殺菌作用だけなら、他にもたとえば、「アルコール線」とか、当時はないでしょうが「ファ○ブリーズ線」(僕の勝手な殺菌イメージ)とかでもいいわけだし。
ただコアラブームは1980年代のオーストラリアの法改正により1984~85年に鹿児島の平川動物園と名古屋の東山動物園、東京日野の玉動物園に輸出されて以降なので、コアラブームとしては先見の明があったよう。

ユーカリが丘南公園。コアラはいません。
ユーカリの樹は日本で栽培できるでしょうが、コアラは飼育できないのでしょうか。

駅前や公園などに約20本のユーカリの木が植えられているようです。
「自然と都市機能の調和」「少子高齢化」「文化の発信」「高度情報通信化」などをコンセプトに未来の街を目指しているようです。
ニュータウンと言えば多摩ニュータウンなど、バブルで乱開発したが今は高齢化が進み寂れたオワコンというイメージがありますが、ユーカリが丘はどうでしょうか。
僕にとり、これまで名も知らず、「こんなちっちゃい路線がある」と噂を聞きたどり着いた程度ですが、駅周辺はウィストンホテルや、シネマサンシャインに100均や本屋かなんかが入っているビルがあり、そこそこは栄えている感じがありましたが、パッと見ただけで住み心地はわかりません。
上の公園と下の画像が、僕が見た印象です。

こんな感じ。

京成本線ユーカリが丘駅の駅ビル内で、ユーカリが丘線のユーカリが丘駅を出発します。

ラッシュ時には10分に1本ずつ、それ以外の閑散時は20分に1本ずつのようです。

…ついに出会えました。ユーカリが丘線の車両、こあら号です。
山万がユーカリが丘ニュータウンの発展のため、地域住民の足のため、そして新しく未来の鉄道の形として採用した、この鉄道の形式は「VONA」と呼ばれるものらしいです。
鉄道採用以前は、かつての千葉の谷津遊園のアトラクションで採用されており、ユーカリが丘線以外は、2006年に廃止された愛知県小牧市の桃花台線の2つだけです。

つまり、遊園地のアトラクションを、いちニュータウンの住民の移動のために再利用した、という、それだけではないでしょう。未来を目指す山万とユーカリが丘です。

決して観光やビジネス・レジャーではなく、地域住民の足。
最近よく聞かれる「コンパクトシティ」のように、地域の住民が他の地域から独立し独自に縮こまりながら、いやあくまで「住民がその町に快適に住み続けるために」開発された鉄道(AGT)なのでしょう。
そのため、駅名は地元住民の利便性のために特化した、いたってシンプルな駅名です!

まるで地域内のバス停のような駅名。
たとえば、筑波大学内の路線バス「キャンパス交通システム」のバス停名の、「合宿所」「大学公園」「大学中央」「大学植物見本園」「虹の広場」「第一エリア前」のよう。いや、それよりもシンプルな駅名です。

ユーカリが丘駅、以外の駅名は「地区センター」「公園」「中学校」「女子大」で、なぜか普通の駅名ぽくて余計に謎に思う「井野」。
ちなみに、「女子大」の近くに女子大はありません。女子大を建設する予定で名前をつけたようですが、結局オシャカになり。名称変更も考えたようですが、地域住民の反対にあい、名前をそのまま残したようです。ただ、女子大のセミナーハウスはあるようです。

地元のイラストレータの井上さんのキャラがお迎えしています。

どうでしょうか。1周たった14分。
あるツイッターのユーザーの方は2020年9月に、山万の町づくりとユーカリが丘線へのリスペクトと普及のため、午前4時から丸一日、ひたすらグルグルと乗っていく「山万20時間耐久」を実践し、1周しない間に飽きたりラッシュ時にトイレを数時間耐えたり迷惑行為かと葛藤しながら午前0時の終電まで60周し、冷房がない車両に脱水症にならないよう山万の副社長から飲み物をもらったり、最後に感謝状をもらうという大挙を成しとげました。

こんな修羅な道を押し付けはしませんが、ちょっとぶらりと1周し山万と地域住民の町づくりを見てみるのはどうでしょう。

くるくる回らず、ドンづまる久留里線

久留里線。名前とは裏腹に、他の鉄道とつながりグルグルまわることができず、終点の上総亀山駅で行き止まっては、折り返して帰るしかない、いわゆる「盲腸線」です。

久留里という名は、伝統があります。房総半島の中心部、山の上にそびえたつ「久留里城」。
室町時代に上総武田氏の「武田信長」が築城し、のち子孫の真里谷(まりやつ)氏の居城となりますが、やがて南総の支配者・里見氏にうばわれ、新久留里城が作られます。江戸時代は久留里藩の藩庁となり明治維新の廃城令まで残ります。
(個人的に、武田信長という武将を知らないため、「織田信長に滅ぼされた武田氏が合体…!? とか思い脳が一瞬バグりました。
また、真里谷氏が読めず「マリヤ氏?」となりキリシタンのような感じになりバグりました。)

今日は僕の休日である月曜日。
もちろん、月曜日はほとんどの博物館や資料館が閉まっているため、久留里城も近隣の資料館も中は見学できません。なのでwikiの写真だけ載せておきます。
これは、木更津駅のみどりの窓口にある久留里線の展示を撮影。

久留里藩の特産物はきれいな水とお酒だと思ってましたが、武士の内職で「つまようじ」の生産がさかんだったようです。「武士は食わねど高楊枝」て言葉がありますが、「武士の内職・つまようじ」だったみたい。

さて、房総半島1周の旅から2週間後の今日。あのとき久留里線を断念し、木更津駅をスルーしたリベンジ戦です。
今日は東京駅から京葉線で蘇我駅まで来て、内房線を経て木更津駅へ。
ここから久留里駅を中継し、最終終点の上総亀山駅を結ぶ久留里線。

久留里駅までは1時間に1本、上総亀山駅は3時間に1本ぐらいでしょうか。
超絶な赤字線らしく、君津市は「正直ほとんど誰も乗っていない」と廃線も検討しているようですが、地元住民の反対署名も集まっていると、1週間ぐらい前のニュースで聞きました。

なんだか駅舎が役所っぽいのは、国鉄の名残でしょうか。
西口と東口を結ぶ駅内です。

廃線か否かの議論は、市の住民が喧々諤々とやっていただきたく、外部の僕は「奥房総の秘境」とうたっている響きに憧れて。
「秘境駅に向かう鉄道」ってロマンが、にわか鉄道旅行ファンとしては経験の義務がありそうで。

タヌキを推すのは、木更津に証城寺があるからです。
「しょ♪ しょ♪ 証城寺、証城寺の庭は
つ♪つ♪月夜だ みんな出て、来いこい♪
おいらの友達ャぽんぽこぽんの、ぽん!」
野口雨情て人の童謡は、日本一知られているタヌキソングですね。

さて、僕の旅記事にはくどいほどのトイレ事情。いわずもがなですが、僕は便意があまりなくてもトイレが近くにないと軽くパニックになることがある腸過敏症候群です。今日はお腹の調子もよく、トイレは万全に済ませていますが、、、

見ての通り、2両編成。トイレのスペース確保に絶望感を感じ、内部を見ると、やはりNOトイレ
千葉の内房線と外房線はトイレ完備なのですが、久留里線にはトイレがありません。

ふつうこのような写真は、「見よ、これが久留里線の車両と車内だ!」とアピールしたいのですが、僕にとっては「トイレ、無いよぅ!!」の写真になりがちです。

「正直誰も乗っていない」とネットニュースで見聞きしましたが、わりと人が乗ってました。
ん?10人いたっけ? 2両編成ですから体感「わりと乗っていた気がする」でしょうか。
けど、1両丸々1人しかいなかったので、迷惑にならないよう撮影しました。

久留里駅まで約1時間(45~50分くらい)。短いのですが、トイレにこだわる僕は、ドアが閉まれば閉所が怖いような感覚も持ちます。
もう、なんで鉄道旅が好きなんだオマエって感じですね。

まあ、1駅区間はだいたい10分くらい。いざとなれば駅のトイレを利用し、1時間で1本と長く待つのですがそれも覚悟の上。
電車はやがて、住宅地と長閑な田園地帯や荒れ地などの景色を繰り返します。

しかし、僕の懸念は、こういうローカルで人里離れた駅となると、トイレ自体あるのかどうか。

ううう。トイレの存在感がない駅ばかりなのが、僕の心をざわつかせます。
(便意はないが、突然やってくるもの)

駅舎も小屋、まわりに何もない駅が増えてきました。

さて、僕の便意の話とかでみなさんは読んでいて不愉快になったと思います。
ここで、木更津駅みどりの窓口にあった、きれいな久留里線の風景を外から撮影した写真をお見せしましょう。

はいどーん。現実に戻ります。そうそう、先日の房総半島の旅と同じく、雨天で傘をさす旅です。僕は、雨城である久留里城の呪いと思っています。

もはや山に囲まれ、住宅もたまに見えるように思えたとき。もう久留里駅に近づいたことをグーグルマップで確認し、「ただ電車に乗り散歩するだけ」の旅も、とりあえず「無事に何事もなく着いた」ことに達成感を覚えます。

「生きることは、何かを成すためだ! 好きなことをたくさんせよ! まわりの人のためになれ! 人生は勉強だ! 学んだことを周りに知らせよ! コスパ優先! 自分ならではのOnlyOne! 刺激的な経験をせよ!」など、しゃらくせえ意識高い系の声がネット界隈で聞こえてきてます。けど、最近なんだか生きているだけで、そしてそこに行くだけで幸せと思わんとな。漏らすなど粗相をせずに。僕も人間として劣ったのでしょうか。
ああ、まあとりあえず着いたなぁ…

言い忘れたが、スイカなどICカードは使用不可です。
僕もうっかり舐め切って、木更津駅をスイカで通ろうとしましたが、思いとどまりちゃんと切符(420円)を買って正解で、スムーズに駅を通過できます。ICカードだと決済できず、現金払いされて、木更津駅で入場取り消すとか、面倒なことになりそうだなあ。

地元のお酒がお出迎え。

さて、久留里についても行く当てはありません。何度も言うが今日は月曜日です。お城も閉まってますので行くつもりもありません。
駅まわりを歩くのもいいですが、そのまま踵を返して木更津に戻るのもアリです。
しかし、せっかく来たことだし1時間ぐらいブラブラするのも良いでしょう。15時木更津発に乗り、ただいま15時50分ぐらい。って気づけばすでに上り電車は出発していました。

しかし、僕が乗ってきた電車が、もう出発のスタンバイしています。
時刻表によると、次の出発は1時間後の16時45分ごろのはず。
え? 早くないか? ひょっとして、すぐ出発するの?
乗客も、地元の学生さんやビジネスマンっぽい人などが乗り始めており、軽く焦ります。旅はいろんな想定外に気持ち裏切られるもの。
どう見ても「あと数分で出発するよ!」ってオーラを感じます。

延々と僕は千葉の山奥を秘境秘境と言ってますが、けっして悪口でなく、地元の人がそう宣伝しているのです。

とりあえず、1時間くらい散歩しようと、駅前の水に触ってみます。
久留里にはいたるところに、地元の人も汲みに来る水場の井戸がありますが、雨降っているのに飲んでいいものか。虫とかカビとか浮かんでないのかな。お腹に気を遣うので、口をゆすぐだけにします。

駅目の前の酒ミュージアム。僕の中での最大のスポットでしたが、やはり月曜が休みでした。案の定、行きたいところが完全に潰(つい)えました。

酒ミュージアムを横から。観光交流センターはただの地元の役所みたいな場所のよう。

せめて、久留里城の外だけでも撮影しに行くか。
けど、ネットで調べたところ、急坂を30分近く登るようです。ネット情報「歩くの辛い」という声が僕に恐怖感を与えます。
僕は、いざとなれば何時間も歩くことができますが、歳をとりトイレがないのに怖くなり、しかも妥協と諦めという冷静な判断もつくようになり。
「城内部も資料館もまた来ればいいかぁ」と、せめて城の遠景だけでも小っちゃくても望める場所がないかウロウロしはじめます。

テレビで有名な駅前の中華屋ですが、14時までの営業で閉まってました。
ことごとくスカのハズレくじのようですが、まあ来るだけでも財産です。

水が良いとお酒もうまい。そして水がきれいなところは和紙の生産もさかんです。っていう和紙作りなど久留里の町の歴史を探りたいのですが、資料館が見れないので…
この紙屋さんも、紙だけじゃ利益にならないようで、内部を見るといろいろ売っている商店のようでした。

昔は久留里藩御用達の紙業者だったのでしょうが、末永く繁盛してほしいものです…
各所にある水汲み場。せっかくなんで顔を洗います。

グーグルマップで調べると、旧久留里城跡があって徒歩10分、急坂も登らないみたいなのでそこを目指すとします。
旧久留里城跡はただの公園みたいなのだが、そこから新久留里城の面影だけでも見えるかもしれない。

せめて、久留里城の何かのあと、ちょっとした成分でも見れたらと思い、山門あとを目指し、お寺のほうに向かいますが。現地に着いてもお寺の山門だけで、久留里城の山門のかけらも残ってません。

そして、ついにグーグルマップの「旧久留里城跡」の入り口に着きました!
入り口から徒歩3分、そこに登ればひょっとして新久留里城の城の面影が見え、

ファッ!?????

いやいやいや。どこから登るの?
グーグルマップのいう、旧久留里城跡の入り口がこちらでした。
どうやら、コンクリートの崖を直角90度を数十m登って、崖の樹木をなぎ倒して行かないといけません。ああ、しょせんはGPS。人工衛星が検索したものだから、「こっから空飛んでいきゃぁいいだろ、飛べよ!短距離だぜ!」ってことでしょうか。

う~ん、たまにこういう現象がおきるな。
前も、鎌倉に行ったとき、佐助稲荷神社を探し閑静な住宅地を抜ける予定が、グーグルマップのナビのせいで軽く登山を強制され、あげく「この崖から飛び降りると佐助稲荷神社だよ(命なんて知らねえし)」と示されたこともありました。

けど、なんとか突破口がないものかと、念のため入り口のような場所を見ようとします。すると、それっぽいところを数十m先に見つけました。

コンクリート壁が、ちょっと山側にへこんだところ。裏道でもあるかな?

入り口は封鎖され、「久留里城址公園」を示す石碑がなぎ倒されていました。ちょっとした狂気を感じます。
案内板を読むと、道路拡張整備の工事のために、なぎ倒し封鎖したとか。

もはや是非もなし。トボトボと久留里駅に向かい帰ることにします。
唯一の心の支えは、駅前の町並みから昔の城下町の雰囲気をちょっとでも感じたことでしょうか。
そして、名物のお酒を、酒蔵のあるお店で買うこともできました。

17度と高い度数ながらも、すっきりし、感じる酒の強い甘味と旨味。酒は好きだが味を語れるスキルは無いため、「おいしい(ワンカップ大○や、〇殺しのような安酒とは段違いレベル!)」と雑なことを言っておきます。
無濾過、しぼりたて純米吟醸です!!プレミアム!!
お茶屋。
駅前のコンビニ的商店。

駅に着きました。なんと、僕が15時45分ごろに到着した電車が、即座に上り電車としてスタンバイをし、1時間かけて利用者がたくさん乗り込み、万全の準備をして出発時刻まで待っていたようです。
16時45分ごろ、出発します。
ちょうど向かい側に、終点の「上総亀山」方面の3時間に1本ぐらいのレア電車もスタンバイしていました。
上総亀山駅方面は、奥房総の秘境中の秘境駅が待ち、たった3駅ぐらいで手軽に行けそうで、僕も当初はここか久留里が目的地で迷っていた。
けど、上総亀山駅は調べたところ、駅前は何もなく、近くに亀山ダム遠くに温泉があるくらい。
レアだし行きたくもあるが、3時間に1本ということは、帰りが大変になりそう。深夜の秘境駅とか怖いし…
僕は落ち着き、時刻表を検索してみた。どうやらあの上総亀山方面の電車も、出発は1時間後ぐらいのようです。17時50分発、18時に秘境駅に着き、散策し、上総亀山駅を出るのが20時代とかだと恐怖しかないな。

とりあえずさよなら、久留里線。
これが、いすみ鉄道と小港鉄道のように、他の路線とドッキングでき、名前のようにクルクルとつながるようになれば利便性も高まり、赤字も免れそうなのですが、上総亀山でドン詰まり。なので、地元住民と僕みたいなアホな鉄道マニアぐらいしか利用しない、ユーカリが丘線のようなローカル鉄道になってしまいました。
上り電車は、実はラッシュ時で混雑し、僕は座ることができませんでしたが、乗客のほとんどは近くの農林高校の生徒たち。
マナーはそこまで悪くないのですが、学生さんたちに占有されているため、大声で友達と語り合ったり、絶叫しながら車両間を走ったり、つり革で懸垂しはじめたり。

久留里線の別名は「パー線」といいます。これも僕や鉄オタの悪口ではなく、地元の人の親しみの声。
けっしてクルクル1周しないどん詰まり線の久留里線は「クルクルパー」からつけられたとか。汽笛の音が「パーん」だからとか。
けっして学生さんたちのマナーが悪く彼ら彼女らを「クルクルパー」と呼んでいたという説は採りたくないものです。

いつも最初に緊張するためかトイレがない恐怖症に苦しみますが、帰路は落ち着いてきます。ぼんやり窓の外を眺めているうちに、木更津駅に着きました。

港町、木更津。海の町でもあり、今は東京湾を横断するアクアラインで神奈川県川崎を結ぶ交通の要所です。

タヌキの町といえば、群馬県の舘林市にある分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)のタヌキですが、新しく「証城寺の木更津」も僕のメモリーに追加されました。ぶんちゃ♪ぶんちゃ♪しょしょShoJoJi♪

駅前のショッピングビルも、バブルの時は木更津の住民が集まり賑わっていた聖地だったのでしょうが、今は閑散としています。中も広いホールは暗い廃墟のようで暇をもてあました住民が何人かその辺の椅子でホームレスのごとくコンビニで買ったものを飲食していました。
まるで、僕の故郷の長崎の浜の町アーケードという長崎市最大のスポットが、長崎港の再開発で客が奪われシャッター街になったような衰えぶりを感じます。

お土産。お店も近くに特にないし、デイリーヤマザキに売っている地元野菜も、千葉県産は普通にスーパーに売っているもの。
はまぐりラーメンを買いました。

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