信と恐怖
スターウォーズに登場するフォースマスターであるヨーダは、
人がダークサイドに向かうきっかけとなる最大の想念について語る際、
貪欲・執着とは言わず、
怒りとも言わず、
嫉妬とも言わず、
慢心とも言わず、
怠惰とも言わなかった。
では何と言ったのか?
恐怖だ
と言ったのだ。
ヨーダは、
恐怖によって、
ありとあらゆる悪想念が生まれ、
人はダークサイドに落ちていくとしたのだ。
人は、恐怖もしくは不安にとわられると、
そこから、
無価値感、無力感、虚無感、猜疑心、被害感、不遇感、不平不満、怒り、安易に評価や承認を求める気持ち、人を支配し操作したいとの欲求、成功者を引きずり下ろして安心したいとの嫉妬心、貪り(むさぼり)や享楽への逃避、表面を取り繕う偽善、焦燥感、人や社会への助力や貢献をなさんとする余裕の喪失、感謝、喜び、希望といった明るい気持ちの欠如、惰弱…などのあらゆる暗い悪想念を抱きやすくなる。
恐怖のもとには、
自己や他者への不信があり、
この世界全体への不信があり、
そして、
すべてのよきものを創造する源泉たる宇宙に充満するフォースへの不信がある。
自己や他者は、その根本、本質においては、宇宙を統べるフォースにより創造されていることを信じ切り、
自他を含むこの世界全体は、また宇宙全体は、その根本、本質において、フォースにより創造され、永遠の時の流れのなかで、弁証法的に、絶対の光・善・愛・真・美に向かって運動し続けていることを信じ切り(※)、
※ 人が弁証法的に絶対の光・善・愛・真・美に向かっていくためには、今世の一度きりのいのちでは到底無理である。このことから、人間のいのちも、永遠の生命として、転生輪廻することが必要かつ要請される。
フォースそのものである大宇宙のいのちであるところの大神霊としての神仏を信じ切ることが重要となる。
特定の人、偉人、教祖、人間的な人格神については、その思想、教理、生き方において学ぶことがあれば学べばよい。いや、学ぶべきである
しかし、それらに心酔し、信奉、狂信してはならない。
それらもまた実に諸行無常なるものであるからだ。
冷静に、知的に、合理的に、その是非、可否、質の高低などを分析、判断しなければならない。
しかして、その一方で、
そうした特定の人、偉人、教祖、人間的な人格神も、
根本の本質はフォースにより創られしことを信じ切ることだ。
結論として、以下のように言えよう。
自分も他人も、特定の人、偉人、教祖、人間的な人格神も、この世界も、この大宇宙も、
そこに、
どれほどの罪汚れがあろうとも、不幸や悲惨があろうとも、また地獄絵図が展開しようとも、
その本質はダイヤモンドであり、
ダイヤモンドという本質には何ら影響がないのである。
それを信じ切ることだ。
自分の、他者の、世界の、宇宙の根源や本質はダイヤモンドであり、フォースであり、量子レベルで言えば光の波動エネルギーであることを信じ切ったときに、
ダイヤモンド、フォース、光の波動エネルギーは、顕現し、発動し、
この三次元世界に、現象世界、物質世界に、
その美しさ、ちから、光をほとばしらせる。
信じ切ることができるか?
我々は、これを日々、毎時間、一瞬一瞬、そして一生を通じて、
試されている。
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