野良猫とこども達と私⑤
2017年12月8日
ちょっと話の本筋からそれるのですが、
ぼく、中学生くらいの時、猫を拾った事がありました。
自分たちでは飼えないし、飼い主探ししても飼ってくれる家は見つからなかったから、ずーっとお世話になっている公文の先生の所にいきなり訪問して頼みこみました。
その公文の先生のお家、猫を10匹20匹保護をするようなお家でした。
公文の先生に「あのー飼ってくれませんか」と言った時に
「そんなに勝手に連れてこられては困るんだよ」と言いながらも、引き取ってくれました。
その時のことを、猫に触れる機会にいつも思い出します。
その時、先生には感謝したのけれども、「困るんだよ」の意味はわかりませんでした。
今回、こどもが野良猫を連れてきた時に、
あっ、これは自分がやったことが返ってきたなと思いました。
そして、こども達とどうしようかと考えていく中で、感じることがあって。
あの時の公文の先生の「困るんだよ」と言ったこととか、
それでも引き取ってくれたこととか、
何というか、優しさというか受け入れてくれた感じが、
やっと腑に落ちてきた感じがありました。
25年近くたって、やっと。
*****
亡くなったニャンコを引き取ってもらうことになり、こども達とかおるこが一緒に入れる花を近くで摘んできました。思いがいっぱいのように見えて、とても豪華でした。
もしかしたら、今回のことを、こども達もずっと先で思い出すこともあるのでしょうか。そんなことを思いました。
猫のことで、たくさんたくさん考えました。
猫のこと考えながら、別のこともたくさん浮かんできました。
今自分はどうしていけばいいのかなあと。
猫の命に触れながら、生きるって何だろうなと考えました。
命を全うすること、自分がどう生きるのかとか、たくさんの事がめぐりました。
答えが見つからないこと、そういったことが今回の猫のこと以外でもいっぱいあるなあと思いました。きれいに収まらないことがあったり、生きるってそういうことかなと思いました。
まとまりませんが、まとまらないままで、テーブルに置こうと思いました。
そんな感じでひと月経って書きたくなり書きました。
読んでくれてありがとうございました。
==========
やっぱり今でも思い出します。
ニャンコの勇気くんが時を超えて
自分の命に触ってくる。
大事に生きなきゃってハッとなる。
けんちき