お金への執着は、母に認められたい!が原因だった
あなたは、どんな人に嫉妬を感じますか?
私は、成功者と言われる人たちをみると、どうしても嫉妬と自己嫌悪を感じてしまいます。その嫉妬は何かというと、お金やステータスに対する嫉妬でした。
その原因を探ったときに、母に認められたいから…母を見返したいから… そんな健気な切望感が、お金への執着へとなっていたことに気づいたのです。
母に認められたくて、頑張りつづける健気な長女
幼少期から母は褒めない人でした。三人兄弟の長女だった私は、昔から母を助ける役割。弟や妹を面倒を見るのは当たり前だったし、母の教育はド昭和気質で、苦労があってこその成功、我慢・自己犠牲は当然の義務、そんな価値観のもとに育ちました。
そんな母を持つ私は、良い成績のために努力をして、習い事でも成果を出して、いつもいつも母の機嫌を伺う日々。でもどれだけ頑張っても、それでも欠陥ばかりを突いてくる母が怖くて、成績も悪い成績表は見せないようになり、学校での出来事も話さなくなっていきました。
母を見返したい、超えたいと思う反抗期
高校生になると反抗期を迎えました。いつまで経っても分かってくれない母に対して孤独感を感じ、専業主婦だった母を見返して超えるには、キャリアウーマンになってお金を稼ぐしなかない!と決心した高3の日を覚えています。
当時はそんな反骨精神にも気づいていませんでしたが、いま振り返ると、これまでの人生すべて「母に認められたい」が原因で、頑張りつづけてきたように思います。
完璧であることが、お金への執着に
私はずっとこれまで「完璧」であることを自分に期待して求めてきたように思います。その「完璧」とは、母にとっての「完璧」でした。
完璧であるためには、ちゃんとした仕事でお金を稼いで、自立して、結婚して、成功してなければならない。その過程においても苦労して頑張って、自分を犠牲にしたとしても周りに思いやりを持って、社会のために尽くさないといけない…
でもどれだけ頑張って母が描いている「完璧」を求めたとしても、母はいつまで経っても認めてくれようとしないし、自分がやつれて疲れていくばかり。「完璧」になりさえすれば幸せが手に入る、母にも周りにも認めてもらえて自己価値感という幸福を得られるはずだったのに…
この母の愛に対する切望感のような重たい感情が、お金への執着となり、お金のために生きるような人生をつくりだしていたのです。
お金を得るためには、完璧じゃなくていい
お金を得るためには「完璧」でなければならないのでしょうか?むしろ、完璧になろうとしていることが、お金が入ってくる妨げになっている可能性があります。
完璧になって→認められて→お金が入り → 幸せになるはずだ
こんな方程式が出来上がってきます。だから、いつも完璧であることが大前提で、そのためには周りから認められなければならないといった承認欲求につねに支配されます。
本音は「ただ幸せになりたい」という思っているはずのに、その幸せを得るには苦労をして頑張って、自分を犠牲にしながら階段を上り詰めないといけないと考えるようになってしまいます。すると苦しみが前提となります。
このように親に認められたい!からはじまった承認欲求というエゴが邪魔をして、本当に叶えたい未来を掴みいく妨げとなっていくのです。
お金と新たな関係性を結ぶ
お金をスムーズに入ってくるようにするためには、このようなお金に対しての「重苦しい」感情を手放していく必要があります。お金はツールです。入ってきて出ていくだけで、自分を豊かに幸せにしてくれるツールです。
そんなお金を崇拝して、お金さえ得られれば自分を犠牲にしてもいいというのは本末転倒ではないでしょうか。なぜなら本来の目的は、幸せで豊かになることなのに。
苦労して、我慢して、自分を犠牲にしてお金とステータスを得ると幸せがつかめる、という考えかたは母の価値観でした。でも、自分は母とは違うお金の関係性を結んでいけばいいと気づいたのです。
完璧にならなくても、自分を輝かせながら好きなことで稼ぐ
大好きな顧客に囲まれて、楽しくワクワクしながら稼ぐ
やりたいビジネスアイディアを実現しながら稼ぐ
お金とは、執着して崇めて苦労して得られるものではなくて、バディのような、チームのような、自分の人生を豊かにしてくれる親友のような存在。完璧にならなくても、等身大の自分を分かち合い、相手に喜びや感動をもたらすことで得られる感謝料のような存在。
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