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コブラツイストくらったみたいに

オレも桑田佳祐もアントニオ猪木を信奉している。猪木の往年の必殺技コブラツイストのフレーズが巧みに入ったUNIQLOジーンズ地下鉄編CMは繰り返し何度見ても飽きない。桑田に“あの人歌上手いね歌手になればいいのに“ の少女のオチとずっこける桑田は最高!その歌詞の最後にくる”コブラツイストをくらったみたいに“のサビは西洋ポップミュージックを一気に飲み込んだ桑田の日本語万能ワールドの真骨頂である。
そして何度も口ずさむうちに気付く、コブラツイストは確かに”くらう”のである。リングのマットにボディースラムで叩きつけられてまずは1回目の2カウントで飛び起きてフラフラと立ち上がった相手は突然片脚を絡まれて後ろに回り込まれ反対側の脇から後頭部に手を廻され首と膝ををきめられ脇腹をギシギシを締め上げられ“くらう”のである。あるいはロープに遠心力で飛ばされ跳ね返ってきた勢いそのままに片脚を絡まれながらクルリと廻り込まれこれまたコブラツイストを”くらう“である。

天下の宝刀空手チョップで悪役をマットに沈め一世を風靡した力道山が逝き、”オッポォ”と苦しい声をあげるジャイアント馬場のスローテンポに昭和の少年達は飽きていた。そこに日本プロレスに一度は破門されながら帰ってきたヒーロー猪木。猪木寛治は横浜鶴見市生麦町で生まれ5歳で父を亡くし母の実家も倒産し13歳で貧困から逃れる為母と祖父と兄弟とブラジルに渡る。サンパウロ郊外のコーヒー園で奴隷の如く夜明け前から日没まで過酷な肉体労働に耐え少年時代を過ごした。たまたまサンパウロ興行中の力道山の目に留まりプロレスの道に進む。ビルロビンソンとのクリーンでスピーディーで華麗なリング上の肉体ダンス、狂気のタイガージェットシンのサーベルづきの鮮血に染る勧善懲悪なる歌舞伎劇。直前のルール変更で羽をもがれたペリカンと揶揄されたモハッメッドアリとの格闘技史上最大の真剣勝負。クマ殺しの極真空手ウィリーウィリアムと肋骨を折られながらの場外での完璧なる腕ひしぎ十字固め。その挑戦はやがて格闘技K1に継承され、彼は政治家という異次元の異種格闘技に挑んでゆく。
そして今や伝説化されたサダムフセインによって捕らえられた日本人捕虜41をトルコ航空でその家族46人と共にバクダットに乗り込み奪還した漢の中の漢、アントニオ猪木。

閑話休題、時は昭和の小学校の教室の放課。天気がよければ子供らは校庭で土ぼこりだらけになって遊ぶ。まだマイナーだったサッカーやドッジボール、軟式三角ベースボールに胴馬に缶蹴り、釘刺し、と飽くことはない。ただ、雨の日の放課の遊びはプロレスごっこにつきる。まるでパズルのように脚を折り畳む4の地固めは本当に痛い、腕をかん抜きにして固めるキーロックも痛い、最初は上向きで2本の脚を持って相手をひっくり返して相手の背中に馬乗りになる逆エビ固めもきめられると床を叩いて痛がり暫くしてギブアップと叫ぶのである。その中でもコブラツイストは数ある技の中でもプロレスごっこ界の華であった。やがて猪木は変形したオリジナルの新必殺技”卍固め“を編み出すのだがこれも流行った。ビデオもない時代、TVで見た興奮をそのまま教室に持ち込んで、こうしてまず相手の左脚を内側から自分も右脚で内から掛け足の甲でロックし、左脚を跳ね上げて相手の右側頭部から回り込ませてから、、、と試行錯誤で再現して皆、興奮し興じ続けるのであった。

コブラツイストはくらうけれど、不意打ちではない、厳格なる約束事に支配された、やられ役のヒールと技を掛けるヒーローとの共同作業であり、時に大袈裟に痛がり、また大声を張り上げる観衆の役回りもレフリー役も興行的なプロレスの本質を子供なりに理解し消化し再現していたのである。クラスには親分肌を争うライバルはいたしケンカも絶えなかった。奇行に走る癲癇持ちの子や、病弱や気弱な今で言えばイジメられやすい子もいた。ただそこに陰湿さは無かった。正々堂々とした痛みや加減を分かり合ったケンカがあり、少しばかりの優越感を確認する程度の明るいイジメは存在したがどこかで罪悪感が必ず手綱を引いた。見つかれば先生に立たされてビンタもくらった。先生のビンタも自らも痛みを感じ「良くなれ」の思いを掌に込め、"くらった"方も「後悔がビンタの痛みで贖罪される」感覚を味わうのである。コブラツイストを“くらう”方も“くらわせる”方も相手を思い呼吸を合わせ完成させる。そして最後は桑田のまるで昭和なフレーズで締め括ろう「決してひとりぼっちで生きてるんじゃない 必ず明日はやってくるんだろ〜」


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