猛暑で写真が撮れません
世界的記録的猛暑により確信犯的に写真を撮る気が起きない。
ケツメイシの名曲「夏の思い出」は猛暑が当たり前になった昨今ではノスタルジーな三丁目の夕日となってしまった。
なんせ暑い。常時35℃の低体温な人間がまとまりついているようなうだるような暑さ。
夏休みは外で遊べといわれていた子どもたちですら、シンプルに生命維持のため屋内で過ごすのが当たり前な夏、そう酷暑。
おじさんが子供の頃は一日中外で遊んでいたよ〜なんていうのは昭和生まれの頑強で偏屈な肉体のおかげか、それとも温暖化の影響なのか?
写真なんてものは撮らなくても死ぬようなものでもない。
いわゆる緊急性のない用事である。
故に優先順位はすぐに後回しにされる、惰性でも楽しめる、そこが写真の善いところである。逆に写真を撮らないと死ぬ〜という人はカメラ用エアコンでも作らないといけないくらいの猛暑いかがお過ごしでしょうか?
照りつける太陽はもはやジリジリを超えてゴリゴリとすべてを焼き尽くす。
カメラはなんだかよくないホットな感じ、夏の終わりの前にカメラが終わってしまう。動画なぞ撮ろうものなら、カメラの怨嗟の声が録音できそうだ。
ということで、行き先は美術館。
広島県は下瀬美術館。鏡張りのエアコンキンキンの美術館は、もはやなんだか頼もしいぞ!真夏!
駐車場から屋内までの移動で大汗をかき、ひんやり汗が冷たくなるくらいエアコンで冷やされた直後に美術館の庭に出る。
サウナに行かなくても整うんじゃないかと思いきや、なんだか体に悪そうです。
こんなときにマニュアルレンズは非常にだるい。
ピントなんてどうでも良くなる。
もはや撮れてなくてもどうでも良い。
しかしこのクソ暑い中カメラを持ってきた自分を褒めたい。
火照る脳みそは確実にカメラを不要な物リストに入れようとしている。
無人島にひとつだけ持っていくとしたら、カメラはまず入らないであろう。
ではなぜそんなものを後生大事に僕は持っているのであろう?
酷暑の熱気で冷静になったカメラとの対峙、ちょっと距離感あり。
しかし、そんな中で撮られた写真はいつもとぜんぜん違う。
そこの隙間は何なのだろうか?
必要と不要のジャッジとは?その濃度は?優先順位の根拠は?
写真を撮るとは?
ああビール飲みたい。