Foveonセンサー&35mmフィルム&中判フィルムで写真比較フォトウォーク
FoveonセンサーのSigma dp2 merrill、35mmフィルムのLeicaR8、そして中判フィルムのPlaubel makina 67。
このかなりイカれたメンバーでフォトウォークという名の散歩に行ってきました。詳細はyoutubeでみてネ!
今回はこの3台のカメラの写真を比較してみようという試みで、同じ場所を撮ってみました。
描写比較
Sigma dp2 merrill
LeicaR8(summicron-R50mm/Kodak Ektar100)
Plaubel makina67(fujifilm fujicolor pro 400h 120)
さあ、どうでしょうか?
こうしてみると、Foveonセンサーの解像度はやっぱりすごいですね。
デジタルカメラだと、明暗差が激しい状況だとどうしても細かな部分がのっぺりしてしまい立体感を感じられなくなりますが、さすがmerrillちゃんです。
35mmフィルムは、KodakのEktar100です。コントラスト強めですが、さすが高級フィルム!黒つぶれなどが気にならないレベル。
ですが、色合いはやはりクセがありますね。僕はEktarの色味はKodakフィルムの中では一番好きですが。
そして中判フィルム。やっぱりね、6×7フィルムサイズという物理的な腕力勝負の描写力はすごいですね。
フィルムスキャンの画質が良くないのですが、細かな葉っぱや枝の部分の写りが素晴らしいので、全体的な立体感が強く意識できます。
こうしてみると、このような風景写真はやはり中判フィルムが良いですね。
スナップやポートレートではなく、静寂な自然との対峙という環境において重要なのは空気感だと思います。
その場に立っているような感覚を疑似体験できるのは、やはりフィルム写真だと思います。微細な銀の粒子による細かな像の表現は、実際の空気感に一番近いように思うからです。
この辺はまさに感覚なんですが、デジタルカメラだとどんなに高画素機でも空気感が薄いように思います。
そうなると、デジタルカメラでもFoveonセンサー機はフィルムに近いセンサーと言われている通り、描写はフィルムライクを超えてますよね。
カメラ比較
Sigma dp2 merrill
LeicaR8(summicron-R50mm/Kodak Ektar100)
Plaubel makina67(fujifilm fujicolor pro 400h 120)
続いて桜並木。
※この写真は、Sigma dp2 merrillだけ日にちが一週間あとです。
ちなみに印刷するとまたぜんぜん違うのが面白かったりします。
次は描写だけではなく、カメラの特性について。
この3台、とにかく個性的です。
FoveonセンサーのSigma dp2 merrillは、軽量ながら中判フィルム写真に匹敵する画質番長として有名ですが、とにかくデジタルカメラの中でも屈指の使いづらさ。
基本的な挙動はすべて遅く、ISO400超えると写真になりません。
しかし、とにかく吐き出される写真は凶暴な写りなので、カルト的なカメラなんですね。
LeicaR8もいわくつきのカメラ。
かのLeica様がついに本気を出して完全オリジナルLeica一眼レフカメラを作ったところ、デザインを全否定されてすぐさま消え去った悲劇の主役です。
ですが、当時のLeica一眼レフカメラフラッグシップモデル。ごついカメラですが、とにかく使いやすい。露出計はたまに失敗しますが、ほぼデジタルカメラに近いオートな感覚で撮れるフィルムカメラです。
あとデザインは酷評されていますが、手にするとこれほど持ちやすい機械はないです。
・・・しかし、不人気なのが理解できない。
Plaubel makina67はこちらも異端な中判フィルムカメラ。
このカメラは誕生する際の歴史的経緯が面白く、さらに弁当箱サイズで6×7の中判フィルムカメラが楽しめるとあって著名人に人気です。詳細はリンク記事を見てね!
僕の場合、石川直樹さんの影響が強いですね。
登山カメラとしても最高です。蛇腹が怖いですが。
写真論:人間+カメラの関係性と『その写真』
ご覧になられたらおわかりでしょうが、一般的に異端児扱いされているカメラが好きなんですね(笑)
僕の場合、撮れ高は正直どうでも良くて、撮影行為を楽しみたい質なんです。
そうなれば少々使いづらくても、尖ったストーリーを持つカメラや、三振かホームランみたいな岩鬼カメラが好きなんです。
持論として、カメラによって撮れる写真は違うと思っています。
例えば、手のひらサイズでいつも持ち歩いているスマートフォンのカメラでしか撮れない状況はありますし、8×10カメラだからこそ撮れる状況もあります。
これをさらに超えて、そのカメラだからこそ『撮ってみよう』という意識が生まれる・・・というメタ撮影論です。
iPhoneを持っていたら、おしゃれなレストランのデザートを撮るかもしれません。ですが、巨大なプロ仕様の一眼レフカメラだと撮らないと思います。
なぜなら、巨大な一眼レフカメラを持っているときにわざわざおしゃれなレストランに行かないからです。
朝自宅から出るときに巨大な一眼レフカメラを持って行こうとするときは、巨大な一眼レフカメラが必要だから、逆に言えば巨大な一眼レフカメラを持っているからこそ、その『場所』に導かれるわけです。
これがフィルムカメラとなるとさらに複雑で、基本的に晴れていないと撮影は難しいです。前回入れたままのフィルムのISO感度が低ければなおさらです。
そしてフィルムカメラを手にしたら、フィルムの描写に合うような場所に引き寄せられていきます。
望遠レンズを付けていたら木々に目を凝らして野鳥を追いながら歩きますし、マクロレンズを付けていたら道端の草花を凝視しながらゆっくり歩きます。
このように、カメラによって行動から視点から意識まで変わってしまうわけです。
ということは、持っているカメラやレンズによって撮れる写真は変わるというわけです。
当たり前ですが、「カメラに寄る意識の変容」は普段から意識していないと思います。
カメラがもたらす意識は、人間を行動へと駆り立て、そしてその帰結として写真を得る。カメラは脳のOSなのです。
写真を撮りたいからカメラを買うのではなく、カメラがあるから写真を撮りに行くわけです。
となれば、おわかりですね!
こんなにたくさんカメラやレンズが家にあるのは、必要だからなのです(笑)
カメラに沼があるのは、カメラは寄生虫やウイルスのように人間の深層心理に影響を与えているからであり、だからこそその欲求は尽きない。
結局のところ、どんなカメラやレンズで撮ろうが、その写真を撮れたということはあなたとカメラの関係性があったからこそなんです。
ということで、みなさまカメラを楽しんでいきましょう!!!!
こんな文章を書いております。
最近は動画も沼っております。