ノヴァセンにおけるリジェネレーション『ヒストポリス - 絶滅と再生 - 展』
『ヒストポリス - 絶滅と再生 - 展』。
ヒストポリスとはネクロポリス(死者の都市)の対義語だそうで、生命を宿す都市、再生する街といった意味か。
ちょうど午前中にリジェネレーション(自然環境や生命の再生)が題材ともなっている映画『ビッグ・リトル・ファーム』を観たので、そこからの連想は面白かった。
アントロポセン、近代文明、消費資本主義が行き着く先が絶滅のネクロポリス(コロナでゴーストタウンになった各都市は予兆か)であるのなら、そこから再生・リジェネレーションしてくるヒストポリスとはどのようなかたちだろう。
私たち人類はそこに居場所はあるのか?私たち以外の仲間は誰か?
ヒストポリスの仲間を示唆してくれるパターン1が『ビッグ・リトル・ファーム』で、生物多様性を極めてそれぞれの動植物にも意味がある(役割という型にはまったものより、弾力性のある意味・存在価値)という自然に還れ的な教えであるのに比して、パターン2の『ヒストポリス』は時代を進めてアントロポセンの先を示してくれるみたい。
そこにはAI的機会生命体やキメラ的遺伝子操作/身体操作生命体も含まれる。
ノヴァセンにおけるリジェネレーションを提示してくれる美術と思う。
コロナを経てもグリーンリカバリーなど眼中になく、今年の夏は大雨ばかりだとか言いながら大量消費資本主義社会というアントロポセンの誤ち(=絶滅への途)を突き進む人類は、一度ネクロポリスを味わって、そこから新たな生命体たちとヒストポリスを築き直すのがいいのか、、とか妄想する。
もちろん、人類がノアの方舟に乗せてもらえるのなら、だけど。
ちなみに、「人類は絶滅するか」という問いをたてて卓越した想像力で幻視的物語を送り出した文学者に武田泰淳という人がおり、今はほとんど知られなくなっているかもしれないが、入門的な(内容的にではなく、長さ的に)『ひかりごけ』だけでなく、代表作『富士』を読めばヒストポリスとヒューマニズムの両立の可能性が探れるかもしれない。