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【批判】『14歳からのアンチワーク哲学』という書籍の解説を書きました

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こんにちは。哲学チャンネルです。

表題のとおり『14歳からのアンチワーク哲学』という書籍の解説を書きました。この記事では、依頼の経緯や私の考え、アンチワーク哲学に対する批判(と言っても大体好意的)などについて記そうと思います。わりと長くなる予定ですが、よろしければ最後までお読みください。


依頼の経緯


『14歳からのアンチワーク哲学』の著者は「ホモ・ネーモ」さんという方です。noteで精力的に活動されています。

もともと、知り合う前にnoteの記事は定期的に見させていただいていたんですよね。感想は「野良でこんなに面白い記事書く人いるんや…」というジェラシーでした。思想の内容に関しては後述するとして、単純に文章が面白い。読ませる。切り口が鋭い。私は元来、ネットにある情報を受動的に見ると言う習慣がありませんので、noteで活動する方々についてほとんど知識がないんですよね。そんな私に「もうちょっとnoteを掘ったほうが良いのではないか」と考えさせてくれた。それがネーモさんです。

そんなネーモさんですが、先日読書カフェのコミュニティーを募集した際、しれっと参加してくれたんですよね。(「しれっと」ってあまり良い言葉ではないか笑)

さらに、コミュニティー内でも積極的に発言をしてくれて、非常に助かってます。そんなネーモさんがある日「出版社を立ち上げるためのコミュニティー」なるものを作り、参加者を募っていたのです。

私って義理に厚い人間じゃないですか?義理チョコに対して愛情たっぷりの手料理をお返しする(迷惑)ぐらいには義理に厚い人間ですので、「これは何かしら協力したい!」と思って、そのコミュニティに参加しました。

このペースで書いていると長くなりすぎるので間は端折りますが、その流れで彼が(出版社第一冊目として)出版する『14歳からのアンチワーク哲学』の解説をお願いされたのですね。そのときの経緯はネーモさんのnoteで確認いただくのが早いかも。

義理云々もそうなんですけど、解説を書くという初めての行為に対して単純に興味があり、この話を受けさせていただきました。

この本、最初のうちはネット流通させないという話なので入手難易度はわりかし高いと思うのですが、もし手に入ったら渾身の解説をぜひ読んで欲しい。解説を書くのはとても楽しかった。ネーモさん。良い経験をありがとう。



解説のスタンス


先ほどのネーモさんのnoteでも触れてくださっていますが(触れ方が上手。過不足なし。)解説を書くにあたって以下のことを約束しました。

・思ったことをそのまま書く
・私はアンチワーク哲学に100%の賛同をするわけではない
・哲学チャンネルのスタンスはあくまでもフラットである
・疑問点や批判点も盛り込みたい

上記の条件を飲んでいただいたので、気持ちよく解説を書くことができました。

そもそもいくら義理に厚いとはいえ、面白くない本の解説は書きたくない。しかし『14歳からのアンチワーク哲学』は単純に読み物として面白い。同時にネーモさん自身が明らかに頑張っていて、その頑張りに共感して一緒に出版社を実現しようと協力している方が大勢いる。(ちなみにその青春に似た熱っぽい雰囲気自体は苦手です。性質的にちょっと距離を取ってしまう。これは私の良くないところ。)そうした勢いや信念を見て、純粋に協力できることなら惜しみなく協力したいと思ったんですね。

ただ、懸念点が一つ。特定の本の解説を書くことで、哲学チャンネルのスタンスがブレることだけは避けたかった。とはいえ、フラット過ぎると熱のない解説になってしまい、意味をなさない。

そこで上記の条件のもと、とくに「常識を疑う」「そのためには非常識が必要だ」「ネーモさんは(現在の一般的な認識において)非常識だ」という熱意をぶつけた解説を書きました。わりとよくできていると思います。もし手に入ったら(以下略)



アンチワーク哲学への同意点と批判点


晴れて本が出版されたら宣伝ついでにアンチワーク哲学の解説動画でも作ろうかと考えていますが、とりあえずアンチワーク哲学の概要に関してご興味がある方は、ネーモさんの記事を参照ください。

ここでは、アンチワーク哲学に対して私が感じる同意点と批判点を簡単に列挙したいと思います。


◻️同意点

・「労働を完全に無くす」という理想が突き抜けていてとても良い

・「他者から強制される不愉快な営み」という労働の定義は核心をついている(と同時にそう定義しないと「労働を無くす」が成り立たない)

・そういう意味でアンチワーク哲学は現在「労働」と一括りにされている行為を「他者から強制される不愉快な営み」と「そうではない自発的な営み」に峻別する切り口を提供する

・資本主義/貨幣経済に、ある種暴力的な性質があることに同意する

・その性質によって、労働が強制されていることにも同意する

・世の中にブルシットジョブが溢れていることに同意する

・BIがより良い世界を作る可能性を持つことに同意する

・BIはすぐにでも実現可能(な可能性を持つ)であることに一部同意する

・「BIによって人が仕事をしなくなる」という論が一部間違っているという主張に同意する

・人間は思っているよりも善い性質を持つという論に同意する

・「労働」がむしろ人間の善性を奪っているという主張には完全に同意する

・個々の人間に対して主体性/能動性を求めることに同意する

・暴力ではなく「価値観の転倒」で革命を起こそうと考えている姿勢に同意する



◻︎批判点

・アンチワーク哲学では(極端に表現すると)「貨幣経済的仕組みや資本主義的な仕組みがなくてもある程度文明は進歩する」または「それがなくて進歩しなかった文明の部分は、そもそも必要のない進歩」と判断するが、果たしてそうであろうか。私たちが享受している多くの恩恵は(大手を振って受容はできないが)貨幣経済的仕組みや資本主義によるもので、その中には無かったことにしてはいけない進歩もあるのではないか。

・アンチワーク哲学における「人間の善性」は本当か。個人的には少し人間を善きものと認識しすぎているような気がする。(以下の主張については絶対に批判の批判につながる部分ではあるが)その主張は例えば「人間の善性を鑑みると、法律がなくてもなんとかなるはずである」というものに似た希望的観測を持つものではないか。

・「価値観の転倒による革命」は可能か。アンチワーク哲学をフォローする属性は、その理想に近い属性を持つ人々(端的に今恵まれていない人)であると考えられるが(つまり現在の社会のルールである資本主義の上位プレイヤーはこの選択を選びづらい)そういった集団によって社会制度を転覆させるような流行を作り出すことは果たして可能だろうか。

・アンチワーク哲学が理想とする人間の信念(主体的/能動的な行為者)と、BIに救いを見る人間の信念(受動的な行為者)の乖離は問題ではないか。BIは数あるオプションの一つにして、他のアンチワーク実現方法を模索した方が良いのではないか。

・仮に経済的不安から全ての人が解放されたとしても「他者から強制される不愉快な営み」がなくなるとは思えない。(人間関係的/同調圧力的な脅迫・権力的な脅迫・劣等感的な脅迫)「他者から強制される不愉快な営み」の撲滅がアンチワーク哲学の最終目的であれば、経済的不安から全ての人が解放された後に依然残るかもしれない「他者から強制される不愉快な営み」を改善する議論があっても良い。

・アンチワーク哲学はどの範囲の社会を救おうと考えているのか。世界なのか、日本なのか、もしくはある一定の共同体なのか。それによって革命の規模と方向性が変わるはずなので、その辺りをもう少し明記すべきではないか。

・仮にアンチワーク哲学の理念が達成されたとき、果たして功利主義的な全体幸福は向上するのだろうか。例えば、資本主義のスキームによって世界全体の生活水準が向上している可能性は考えられないか。別の表現をすれば、全世界の貧困層を考慮してなお、全ての人が金銭的不安から解放される仕組みはあり得るのか。(一つ前の範囲が「日本」の場合は不問)



最後に


一応補足をしておくと、私はアンチワーク哲学に対してかなり好意的な解釈をしています。上記のように批判点は思いつくものの、だからこの主張が間違っていると言うつもりは全くないし、むしろ同意点の方が多いぐらいで、素晴らしい主張だと思っています。

また、この思想がすでに完成されたものだとも思っていません。(ネーモさんもそう考えているはず)だから、制度設計や”思想のその後”に対する批判に関しては全くのお門違いです。それはこれから界隈で議論されて固まっていくものでしょう。どちらかというと(特に『14歳の〜』においては)まず初めの「価値観の転倒」から始めようというのが現在位置でしょう。

ですからアンチワーク哲学に今重要なのは、一にこの思想が広がることであり、二にこの思想について活発に議論がなされることなのです。(多分)

私が哲学チャンネルを運営している大義は「主体的に物事を考え、納得して自分の人生を生きる人を増やしたい」という想いです。(個人的な動機としては「単にインプットとアウトプットを気持ちよくしたい」ですが)
そういう意味で、アンチワーク哲学の”非常識”な主張は大歓迎ですし、心から広く紹介したいと思うわけです。こうした思想に触れることで自分の”当たり前”を疑うきっかけを得て、こうした思想について議論することで自分の”考える力”を研鑽する。ただただ素敵。

何より、現在当たり前になっている「労働」という概念は、果たして正常なものなのでしょうか。テクノロジーの発展により今後の労働観は大きく変容していくはずです。そういう意味で、今この瞬間に「労働」についての議論が活性化されるのは良いことでしかない。(少なくとも私はこれまでの人生で、一般的な労働観に争ってきたつもりです)

『14歳からのアンチワーク哲学』は、そんな「労働の当たり前」に一石を投じる素晴らしい本だと思います。


••••••解説を書いた報告のつもりだったんですけど、この記事自体が解説みたいになっちゃった。まぁいいか。

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