夏目漱石「彼岸過迄」「行人」「こころ」 ①
夏目漱石の後期三部作と言われる「彼岸過迄」「行人」「こころ」は氏が胃潰瘍の重病で「修善寺の大患」と呼ばれる一時的な「死」を体験した後に書かれた物です。この長期に渡る療養后もあり「彼岸過迄」の創作では、お礼の意味もあり新聞購読者により面白がられ夏目漱石色のより出た小説にしたい氏の大きな希望がありました。そして新しい挑戦として「かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうか」があります。前期三部作とは違った小説になっています。
「彼岸過迄」は、表面上が大学卒業後の田川敬太郎の話となっていますが実は彼の友人である須永市蔵の人生物語です。漱石の意図にある通り六の短編小説で構成されています。彼岸過迄に就て・風呂の後(全12章)・停留所(全36章)・報告(全14章)・雨の降る日(全8章)・須永の話(全35章)・松本の話(全12章)・結末です。「彼岸過迄に就て」は、頭書きで「結末」は総括です。
それらの短編小説は深く繋がっていますが一人称の主人公が「須永の話」では話し手の須永になり「松本の話」では話し手の松本になります。その為に例えば新聞の購読を2、3日止めた時など筋が全く見えなくなる可能性があります。
私はこの挑戦は50%の成功と見ています。私の提案は「須永の話」はこの挑戦は行なわず敬太郎を聞き手で一人称とし須永は前と同等に三人称で話させます。「松本の話」は、この挑戦のままで行う方法です。そうする事により読者の混乱の機会を少くすると共にこの小説のクライマックスである「松本の話」がより浮き上がりもっとドラマチックになると思います。
敬太郎についての筋道は彼の新しい経験と須永の人生を聞いて読む人生勉強です。メインの須永市蔵の物語は彼の母親との関係と義理の従姉妹の千代子との絡みです。
「松本の話」で須永は、叔父の松本から彼の出産の秘密を聞きます。母親は実の生みの親ではなく小間使いが生みの親でした。子のなかった母親は産まれた時から彼を育てまた産みの親の小間使いは出産後に亡くなってしまいます。
松本に秘密を云わせた須永の全てに対する執拗な疑いはこの出生から来ているかと考えさせられた一幕です。このひがみにも近い須永の疑い深い性格は千代子からもあなたは卑怯ですと云われほど酷いものです。
須永のショックは非常に大きく結局関西へ癒しの旅に出ます。当然彼を心配している叔父の松本は彼に旅先から手紙を出す事を頼みます。その手紙内容が落ち着いて来る事で松本も安心します。この「松本の話」の短編小説の最後は須永市蔵の手紙文で終わります。
「結末」は、田川敬太郎の総括で終りますが市蔵と千代子の関係について「彼らは必竟夫婦として作られたものか、朋友として存在すべきものか、もしくは敵として睨み合うべきものか」で結んでいます。そして最後に敬太郎が「大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流転して行くだろうか」で終ります。これは、作者の声でもあります。
私は、要するに「今後の事は読者の想像にまかせる」この様な結び形が大変好きです。
この小説は夏目漱石の新しい挑戦でありますが漱石色が十分に出ている上にまた構成の新しさで成功作品だったと思います。余韻の残った小説でした。0
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