森鴎外 安井夫人
この短編小説は、「安井夫人」の題にもかかわらず始めから終わりまで安井(お佐代)夫人の夫である安井仲平の人生を書いています。仲平は幼い時に重い天然痘に掛かり父親と同じで片目が潰れ容姿が醜い人になっていました。生き方や考え方も本当に質素で着飾った服装もせず堅実な道を選んで行きます。年頃になっても結婚相手が見つからない中、「岡の小町」と言われていた16歳で仲平から13歳も若い従姉妹のお佐代さんが自ら進んで嫁になる事を申し出ます。無事結婚をしてその後も安井家は鳴かず飛ばずの人生を送ります。子供にも恵まれ娘3人息子2人出来ますが当時の事で幼い内に娘が1人亡くなります。お佐代さんは、45歳の時にやや重い病気をした以外は美貌で健康でしたが51の歳に亡くなります。この時代では若干長生きをした方ではないでしょうか。そして仲平は、代官にまでなり70歳で隠居して78歳で亡くなります。
この小説の中で死亡時にお佐代さんの事は、以下の一編だけに書かれています。
『お佐代さんはどういう女であったか。美しい肌に粗服をまとって、質素な仲平に仕えつつ一生を終った。飫肥吾田村字星倉 から二里ばかりの小布瀬 に、同宗の安井林平という人があって、その妻のお品さんが、お佐代さんの記念だと言って、木綿縞 の袷 を一枚持っている。おそらくはお佐代さんはめったに絹物などは着なかったのだろう。 お佐代さんは夫に仕えて労苦を辞せなかった。そしてその報酬には何物をも要求しなかった。ただに服飾の粗に甘んじたばかりではない。立派な第宅 におりたいとも言わず、結構な調度を使いたいとも言わず、うまい物を食べたがりも、面白い物を見たがりもしなかった。 お佐代さんが奢侈 を解せぬほどおろかであったとは、誰も信ずることが出来ない。また物質的にも、精神的にも、何物をも希求せぬほど恬澹 であったとは、誰も信ずることが出来ない。お佐代さんにはたしかに尋常でない望みがあって、その望みの前には一切の物が塵芥 のごとく卑しくなっていたのであろう。 お佐代さんは何を望んだか。世間の賢い人は夫の栄達を望んだのだと言ってしまうだろう。これを書くわたくしもそれを否定することは出来ない。しかしもし商人が資本をおろし財利を謀 るように、お佐代さんが労苦と忍耐とを夫に提供して、まだ報酬を得ぬうちに亡くなったのだと言うなら、わたくしは不敏にしてそれに同意することが出来ない。 お佐代さんは必ずや未来に何物をか望んでいただろう。そして瞑目 するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか。その望みの対象をば、あるいは何物ともしかと弁識していなかったのではあるまいか。』
でしょうか?私にはこれは鴎外の詭弁としか思えないのです。お佐代さんは、全ての事に自分を承知していたと思います。美貌で賢女で決して裕福ではなかったものの飢える事はなく、亡くなる時には2男2女に恵まれお佐代さんは満足していたと思います。そしてお佐代さんの生きた時期が幕府最末期、明治維新、文明開化と本当に波乱時代であった事を考慮すればこのある意味で平穏無事な家庭は良い事であったと思います。人生や家庭には辛い事、楽しい事が起こります。お佐代さんは、常に欲張らずある程度の我慢をして少しの余裕を残しその中で一生懸命生きながら人生を満喫して生きて行ったと思います。
小説の題名が「安井夫人」で「安井仲平」ではない処も鴎外の詭弁を意味する点と思っています。表面に現れているのは一片でもその下には何十倍もの物があり、そこから真実を掴む様にと問いている気がしてなりません。
仲平は、その後も78歳で亡くなるまで安全な道を選んで歩んでいきました。家もいくつかの変更があるものの孫の代へと引き繋がれて行きました。今の時代にもを通じるところがあると思いました。
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