夏目漱石 草枕
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」の名句で始まる「草枕」を次の読書としました。高校時代に読んでも殆ど理解出来ずに単に受験勉強の為にページを開いていただけで終わっていて本当に勿体ない事をしていたことに気が付きました。中年になった時に再読をすべきだったと。
峠の茶屋での小話その辺りの那古井温泉に行く迄の自然の景物と風情等小説の舞台になっているこの熊本の地、小天(こあま)温泉を訪れて見たくなりました。今でもその峠と思われるところから旅館まで存在しているので小説を片手に散策し温泉に浸かる予定です。
不人情な那美さんを主人公に展開して行く小説は語り手でもある画家「余」の言葉を使って漱石の芸術論、人生観を綴って行きます。非人情が「余」にとってメインテーマであり人生観のみならずそれを絵にも描き出したい事を考えています。
好いた人があったにも拘わらず親の意志で嫁に行った先で夫の銀行が潰れて実家に出戻りした那美さんの地元民の評判は悪いだけでなく、若い和尚に好きなら寝ようと皆の前で言ったり自由気ままに振る舞う那美さんは不人情とか気狂い呼ばれされます。しかしながら彼女をよく知っている老和尚だけは「あの娘さんはえらい女だ。」と褒めています。
「余」が那美さんと話をしたり付き合い始めて彼女の美貌だけでなく頭の回転の良さが解ります。人間的にも発言や振る舞いからは見えない暖かい人間性が潜んでいる事に気が付きます。また那美さんに不人情ではなく非人情であることを問い聞かせます。
「余」は、偶然に那美さんが離縁された亭主に秘密に合いお金の援助をしている所を見ます。そしてその後も那美さんの行いは以前と全く変らず日露戦争に出征するいとこの久一さんにも「死んで御出で」と言い続けます。那美さんは、「余」に自画像を描いてくれることを頼みますが欠けているものがあり描けない旨断ります。
汽車に乗車した久一さんが発車し最後の見送りを家族皆でしている時に同じ汽車の最後に付いている三等列車で出征して行く那美さんの別れた夫 を見ます。それが以下の部分です。
「茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。」
那美さんの真顔を見れた画家は自画像を描くことを決めますが小説の最後で以下の様に締め括ります。「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。」
不人情と人々に言われている那美さんが実は人情深い人間であり、非人情を求めている「余」が那美さんの憐れみに溢れた表情に会った時に人情に溢れる自画像を描く決意をする。非人情の究極はより人間的な人情に終着されるかも知れないことを指差しているかとも思いました。不条理の一片かとも。
那美さんと「余」が偶然に混浴した小天温泉の湯槽に浸って「草枕」の雰囲気を味わいたいと思います。この小説の中にもシェイクスピアや英文詩など英語の影響があることが分かります。
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